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恋はデジャ・ブ、愛はランデブー

タイトルに深い意味はありません!(思いついただけ)

「恋はデジャ・ブ」
(監督:ハロルド・ライミス、1993年)

・恋はデジャ・ブ
・MONDAYS/このタイムループ、上司に気づかせないと終わらない
・パーム・スプリングス
・ブラッシュアップライフ

それぞれタイムループ(タイムリープ)の映像作品だが、ふと共通点に気付いてしまった。それは、主人公(当事者)が巻き戻った後の人生で、うまく過ごすことができるということだ。タイムループが延々と続くことでヤケになることもあるが、基本的にはみんな、うまく過ごしている。

「恋はデジャ・ブ」の主人公フィルは、突如、Groundhog Day(アメリカでいう聖燭節の日、2月2日)のタイムループにハマってしまう。一年に一度しか訪れない土地で、仕事仲間と共に過ごす。スター気取りで周囲から好かれていなかったフィルが、最初は性欲の塊になり、飽きると自暴自棄になり、そして他人のために尽くそうと改心していく。改心の過程でピアノを学んだり、アイスアートの達人になったり、すっかり人格者になってしまう。最終的に恋した女性と結ばれる……というハッピーエンドなタイムループ物語だ。

「MONDAYS」は組織が、「パーム・スプリングス」は男女コンビが、「ブラッシュアップライフ」は友人同士が……という具合に当事者の形は違うが、基本的に人生をやり直すときは「うまく」こなしていくようになる。(「ブラッシュアップライフ」が流行したとき、大谷翔平選手のことを「人生何周目?」と表現することがあったが、それは傍目から「うまくやっている=何か成功のコツを知っていて、それに倣って行動している」という図式に見えたからだろう。失礼な話だ)

「恋はデジャ・ブ」の感想はThreadsに書いたので、今回のnoteは別の話を。タイムループ作品と既視感を抱く出来事について記したい。

それは、僕の幼少期のことだ。

それほど自由にテレビゲームをさせてもらえなかった我が家だが、実は両親が共働きという「利点」を有していた。弟は学童に通い、そのまた下の弟は保育園に通っている。つまり学校から帰宅し、母が帰ってくるまでの間、「家にいるのは僕だけ」という状態が続いていたのだ。

両親は僕がテレビゲームに興じないよう、物理的に「ゲーム機を隠す」という手段をとった。

まず僕は隠し場所を特定した。その上でゲームに興じていたのだが、夢中になり過ぎて母の帰宅に気付かなかった。ルール違反を咎められるという、めちゃ単純ミスを犯してしまったのだ。

次に僕は、母の帰宅に留意するようになった。たしか帰宅は、だいたい18時くらいだったと思う。車を家の駐車場にしまうタイミングまでに、ゲーム機を片付ける必要があった。窓の外の光、そしてエンジン音で、うちの車かどうかを判別できるようになっていく。次第に僕は、母に全く気付かれずテレビゲームに興じる方法を見出していった。

だがそれも長くは続かなかった。片付け方が悪かったのだ。適当にゲーム機をしまっていたら、父が「休みの日以外にもゲームをしている」と気付かれてしまった。これもまた僕にとっては「学び」になる。

母の帰宅時間、ゲームのしまい方。

それぞれをしっかりこなすことによって、「平日はテレビゲームをやっていませんよ」というアピールをする。完全犯罪だと思えた。

だが盲点だったのは、弟の嫉妬である。僕がみるみるゲームの腕をあげていたのに気付き、「お兄ちゃんは絶対にゲームをやっている!」と告げ口したのだった。まだ小学校の低学年、手加減してゲームをやるような器用さは持ち合わせていなかった。

ゲーム機の隠し場所が変わっていくなど、しばらくイタチごっこが続いていたが、やがて気付く。

うちのゲームって、そんなに面白くないのでは?

面白いんだけど、もっと楽しいことがありそうな気がした。そもそも両親はゲームをやらせたくなかったので、新しいテレビゲームを買ってもらえる機会も少なかった。どんなゲームも、さすがに数ヶ月で飽きてしまう。

であれば、家でコソコソゲームをするのでなく、色々なゲームを持っている友達の家に行った方が良い。そんなこんな、新しいゲームを求めるために友人宅を訪問する日々が続いたが、だんだん外で身体を動かすことが楽しくなったり、ゲームそのものに魅力を感じることが少なくなっていった。

当たり前だが、新作ゲームを持っている友人はゲーマーであり、ゲームも強かった。「ストリートファイター」や「マリオカート」など、なかなか勝てないゲームも多かったのだ。

「恋はデジャ・ブ」の主人公フィルも、最初のうちは性欲に走っていた。ひととおり女性とデートをし、一夜を共にすることができたとしても、ワンナイトラブの連続ではだんだんと飽きてしまう。多くの人にとって、関係性が築けていない上での性行為というのは、長く続けるに値しないものなのだろう。僕にとってのテレビゲームと同じことだ。

それよりも、打ち込める「何か」を見つけることの方が重要だ。

フィルにとって、それは他者への貢献だった。

人命救助だったり、チャリティコンサートでの演奏披露だったり、他者が喜ぶことに時間を注ぐようになっていった。それはリタへの恋のためではなかっただろう。純粋に、自分がしたいことをタイムループの日々でやり続けることができたのだ。

恋はデジャ・ブ、愛はランデブー。
そして人生は、ホップ・ステップ・ジャンプ!

そんな感じで、これからもタイムループ的人生を楽しんでいこうと思う。

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