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俺たちは無力じゃない。自立が叶う「混ざる」社会(映画「CODA あいのうた」を観て)

アカデミー賞で作品賞を受賞した「CODA あいのうた」。

前評判も良かったので期待して観たのですが、素晴らしかったです。

青春劇、歌もの、少女の成長物語、家族愛、社会問題……など、様々な側面がある映画で。たいていそういった作品は、焦点がボヤけて薄っぺらくなるものですが、最初から最後まで「良い映画だなあ」と感心するような作品でした。

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コーチによって歌の才能を見出される

どの人物もとても魅力的なのですが、エウヘニオ・デルベスさん演じる、顧問・ヴィラロボス先生が特に印象に残りました。

どんな才能も、発見する人がいなければ、世の中に登場することはできない。ヴィラロボス先生は内向的なルビー(演・エミリア・ジョーンズ)に対して、ときに厳しい態度で接します。

「(喋り方を気にするルビーに対して)どうして自分が変だと思うんだ?」
「分からないです。説明するのが難しい」
「説明してみろ」
「(手話で説明する)」
「(頷いた後で)練習しよう。時間を無駄にするな」

(映画「CODA あいのうた」より)

ヴィラロボス先生が働きかけることによって、抑制していた自分をどんどん解放させていくルビー。優れた才能には、優れた師が必要であることが分かります。

俺たちは無力じゃない

ルビーが音楽大学を志望するものの、彼女がいなくなると漁の仕事ができなくなります。そのジレンマに、ルビーも家族も苦しみます。

一度は大学進学を諦めたルビーに対して、兄のレオ(演・ダニエル・デュラント)は大学へ行けと強く主張します。激昂するほど妹の背中を押す姿は、まるで鬼のような狂気も感じます。

その理由は、彼の「俺たちは無力じゃない」という一言に集約される気がします。目が見えないことはハンデかもしれないけれど、彼らは漁師という専門性があるし、知恵や思いもある。

誰かに依存するのでなく、それぞれが自立していこうという姿に、心が動きました。

手話が、社会に馴染んでいく

やはり現実の世界で、聾唖者の存在はマイノリティなものです。

特定の職業や、身近に聾唖者がいない限り、手話が展開される光景は「珍しい」ものになります。

映画でも、やはり最初の頃は「彼らがどんな話を手話でしているのか」ということに関心がいきました。ですがだんだんと、手話に慣れていくというか、手話で話されている内容よりも、彼らが手話を通じてどんなことを伝えようとしているかを追っていました。

多様性が実現する世界とは、マジョリティもマイノリティも混ざる社会のことであり、制度や集団の都合によって「分かつことをしない」ことが大事なのだと感じました。

こんなふうに、現実の社会でも、手話が馴染んでいったら良いなと思いました。

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監督のシアン・ヘダーは1977年生まれ。脚本家でキャリアをスタートし、本作が2つ目の監督作品。

ルビーの部屋に、イギリス出身のロックバンド・The Kooksのポスターが貼ってあるあたり同じ世代な感じが伝わってきたのも嬉しかったです。(まあ、美術監督の趣味かもしれませんが!)

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(映画館で観ました)

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