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noteを始めて3年目、記事に起きた「とある変化」について


noteの上にも三年

noteを始めてはや3年目。

最初の頃はどれだけ頑張って記事を書いたところで、良くてせいぜいスキを4件いただける程度の反響でした。

いや実際、4件でも何か専門スキルを発信しているわけでもない私にとっては非常に贅沢なのですが、今見返してみて、かつての自分の記事は色々な部分が技術不足だったな、と痛感させられています。そもそもアイコンが気色悪いだとか、そういったデリケートな問題は置いておいて……(笑)

とある変化

変化を感じられたのは、主に記事の「構成力」です。

私は一般人よりも教養は少ないながら、辛うじて日本語の読み書きができる底辺として、文章ひとつひとつの意味が解読不可能というまでにはなっていない筈ですが、どうも全体的な構成が雑なようでした。「端々にノイズが掛かっており、川のようには清らかに流れていない」とでも表現しましょうか、「あれ、なんか話が飛んだ?」と思えることも屡々(しばしば)。それくらい、当時の私の文章は読んでいる内に何度も突っかかりが起きるものだったのです。

こうした随筆形式の文章は普通、思考の過程を紙面に書き出す行為でありますが、まだ書くことが不慣れだった当時の私には、実際、紙面と頭脳の間にノイズが生じていたのでしょう。

理想としてはスッと清らかに投影されなければならない思考の過程が、虫食いだらけの穴開き状態で次々と現れてくる。それであの読む度に突っかかるような、ぎこちない感じになっていたに違いありません。そしてそのノイズの正体は、当時まだ抱えていた様々な「固定観念」や「執着」だったような気がしております。恐ろしいことに、当時は全くの無自覚でした。

それに比べて今の私の記事は「構成」という意味で随分と読み易く、少なくとも、自分で読み返してみて何度も突っかかるようなことが起きなくなっています。一方でツッコミどころは増えていっていますが(笑)

もちろん、人間の気質とは季節さながらに移り変わってゆくものなので、現時点に立ち、過去の己を眺めてみればある程度の違和感が起きるのは普通です。しかし特別上手く書けたなと思う記事については違和感が起きないので、やはり「技術」という面も関係しているのではないかと思われるのです。

客観的な証拠としましても、「自分が書いた記事に10以上のスキが付く」という、ノイズ塗れの当初の私にはあり得なかった反響を賜っていますし、また、「この記事は、読んでいて突っかかりが少ないな」と自覚できる記事ほどスキが多いという傾向もございます。

やはり文章の突っかかりが減って、周囲からも読み易くなったということではないでしょうか。

変化の原因

私が文章構成のノイズから大幅に脱却できた一番の原因は、何よりもnoteの継続……と言いたいところですが、これが意外にも「書く」という行為から外れた世界にあったのではないかと目星を付けています。即ち、実はこれらは「他人と話す」という世界から得られた変化(成長)だったのではないかと。

私は学校にも企業にも属さないひきこもりでありながら、紆余曲折の果てにDiscordという通話ソフトを用いて、他の無職、ひきこもり同志、或いは社会人らとコミュニケーションを取らせていただいております。

ちょうどnoteを始めたてだった三年前くらいを境に、日に日に関わる人数が増え、今では一週間の予定が全てDiscordでの打ち合わせ(主に雑談ですが 笑)で埋まることもあるくらい、多くの関係を賜るに至れました。

考えてみれば、「他人と話す」という行為は兎に角、思考のノイズを除去する技術が要されます。自分を客観視して、その思考の過程を周りから見てもわかるように丁寧に描き出すことが他者へと向けた「話す」ということであり、たとえばオリジナルの造語やエセ外国語をこれでもかと盛り込んで、自分にだけしかわからない言葉を続けていれば、それは大きな声の「独り言」であり、「他人と話す」という行為たりえません。

つまり、必然的に相手に伝わることを重視し、丁寧にノイズを取り除き続ける必要があった。個人的な「固定観念」や「執着」についても、会話の上では他者からわかる形で表現し、外へと解放する必要があるわけです。この繰り返しの内に、徐々に薄まっていったように体感されています。そして、このような習慣的な行為こそが、口頭での他者とのコミュニケーションという枠を超え、noteに於ける文章作成にまで効いてくれたように思えてならないのです。

まとめ

短く纏めると、「noteを三年間続けたひきこもりが、noteを始めたての頃の自分の文章を読み返して主に"文章の構成力"といった面での成長を実感し、その原因が意外にも"他者との会話"にあったのではないか?と推測している」という風になります。

何もこう合計2000文字にまで迫らずとも、タッタそれだけを伝えれば済む話でありましたが……。「文章力アップには他者との会話が効いた」とだけ言っても論旨が掴めませんし、文章であれ人生であれ、本懐は結果ではなく過程にあるものと存じておりますので、何卒。

健康法の世界でも、肉体が治らない場合は精神から、精神が治らない場合は肉体からといった風に、敢えて反対方向から働きかけてみたことが回復に至る決定打となることが多いです。このことからも、「押してダメなら引いてみろ」とはつくづく金言だなと思わされます。

私はnoterとしても人としてもまだまだ三流以下なので、偉そうなことは言えませんが、もし他にも文章力に行き詰まりを感じられている方がいらっしゃいましたら、「他者との会話」という裏側の世界から攻めてみるという方法を提案してみようと思います。

今回も拙文にお付き合いいただきまして、誠にありがとうございます。




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