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遥か自己に辿り着く為の「自己破壊」

今日も今日とてひきこもり。
咳をしても無職、ホロ9です。


今年に入ってからは、停滞と閉塞感の方を感じることの多い日々でしたが、そんな中でも幸い、私の持ち前の神経質がでっち上げた「幻想」を新たにまた一つ看破することが叶いましたので、面白半分にそれを記録しておこうと思います。


私は以前より自身の「自律神経失調症」を疑っており、それでとにかく副交感神経系を優位にする為に緊張してはいけないのだと、何が何でも気を張ってはいけないのだと、酷い強迫観念に囚われていたことに気が付いたのです。


それに気付いたきっかけはひょんなことで「働くことには金銭意外にも人生のメリハリといった利点がある」という文章をどこかでチラと見掛けたことです。瞬間に、ああ、そうか……と閃きました。


こうやって不意に閃きのトリガーを引いてもらえるので、他人の意見というものは本当に貴重で有難いものです。この「自己」に対して「他者」があってくれる実は稀なる構造は、退廃の世に於いてもなお色褪せぬ魂の寿なのではないかと仰がされる想いです。


フレーズに触発されて閃いたのは、ある意味では「時が満ちた」証でもあったのでしょう。つまり、その時の私に閃いて行動するだけの精神的気力が満ちていたのだと。だとすれば幸運なことでした。そうして、いとも容易く無自覚に囚われていた強迫観念を破壊された私は、「日中であれば緊張をしたり、気を張ったりしても良いのだ。そうやって頑張った分だけ日の暮れにはどっと息が抜けて、夕焼けの朱さや、星空と共に死のような安らぎが訪れる……」とやけに感に入っておりました。


思い返せば、私が「何が何でも緊張しまい、気を張ったりしまい」と意固地になっている時間にも「兄弟。日中くらいは気を張って、活動的にさせてくれよ……」と訴えかける身体の声を聞いていた気がします。にも関わらず、私は凝り固まった頭だけで一人歩きして、体を遠くに置き去りにしていたわけです。そんなデュラハン(西洋に伝わる首なしの悪霊)の様相で、人らしい生気が出ないことも必定です。私はまた一歩、予てより憧れである「人間」に近付けた気がします。


私にとって、「自分らしさ」とは相変わらず崇高な境地であります。例えばその序章に過ぎない、「人間が人間らしい生活に至る」ことが現代では如何に難しいでしょうか……。そして、それが叶った暁には如何に莫大な「健康」と「幸福感」が我々の身に降り注ぐことでしょうか。「自分らしさ」という個性の前段階の「人間らしさ」でさえ現代では到達が難しく、また莫大な利益を齎してくれるものだと考えているわけです。


「神は飼えない。厄介で強大な存在だ。従って、この星を奪うにはまず彼らを神の座から堕とす必要がある」

いつだったか、そんな風な物語を読んだ記憶があります。



意外と高い領域にある数々の「当たり前」。そして「自分らしさ」。いつかはそこに到達する為にも、まずは自己を収監せしめる様々な牢屋の姿に気付き、軽やかに自己破壊を連ねてゆかねばなりません。脱却することの楽しさを知れば知るほど、囚われることもまた有意義だなと感じられてくる次第です。


でも実は、全て簡単なのかも知れません。あらゆる苦痛・症状とは突き詰めれば治癒への道を照らす標であり、我々の肉体と精神は生物学的にも心理学的にも、いつだって自ら治ろうとしているものです。そして不可侵の領域に灯り続ける我々の魂。ただ彼らの声に耳を済ませれば良い。数々の病気や絶望を経て、今はそんな風に感じられています。


ちょっと自分の健康語りをしたかっただけなのに、また随分大げさになってしまいました。毎度こうなってしまいます(笑) 相変わらず空想的で薄ぼんやりした戯言ではありますが、何か響くものがあれば是非活用されてください。


魂の寿がありますように。


このサポートという機能を使い、所謂"投げ銭"が行えるようです。「あり得ないお金の使い方をしてみたい!」という物好きな方にオススメです(笑)