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人とのズレ

 私って嫌なことからの逃げ方が、人と少しズレていたんだなと気づいたのはいつ頃だろうか。たぶん少し前だと思う。

 「挫折は己の成長のもと」でも書いたが、いじめられている現場を回避するための方法として、私は自殺を考えた。これは別に人とズレてはいないだろう。

 私がズレを感じたのは、部活動からの逃げ方である。私は人から怒られるのを極端に嫌がる。幼少期の頃、全く怒られてこなかったのが大きく影響してそうだ。社会に出れば、もちろん怒られることなど山ほどあるだろう。私が初めて怒られるというのに直面したのは、部活動だった。
 怒られるという表現が正しいのかはわからない。指導されたというのが正解なのかもしれない。だが、ここでは怒られるという表現をしよう。
 
 硬式テニス部に所属していた私は、初心者なりに頑張っていた。頑張っていても、ミスはするものだ。私たちは人間ですから。練習試合は特に緊張から、ミスが多くなった。ミスをした時は、大抵顧問がこっちを見ているのだ。そして大声で怒られる。この流れがとても嫌だったのだ。

 練習試合は土日に詰め込まれることが多いが、そうでないのが夏休みだ。夏休みなど毎日が土日みたいなものなので、曜日問わずに練習試合が入れられた。そう。私が大嫌いな練習試合が。夏休みに入る前、練習の予定表が配られた時点から憂鬱だった。本当に憂鬱だった。
 嫌だなという気持ちは、その原因のものから、なんとかして逃げようという気持ちを生み出させる。私は逃げたいと強く思い、その逃げる方法を必死に考えた。考えた結果何が出てきたのか。それは、骨を折ることだった。

 まず、骨折する場所として理想だったのが、足の骨だった。小指なら折れやすいだろうと思い、とてつもなく大きい懐中電灯を、悶絶しながら、何回も足の指の上に落とした。しかし、痛みは長く続かず、折れることはなかった。
 次に手首の骨を折ろうとした。お風呂場で滑って、手首を変に付けば折れるだろうと思った。無理だった。
 この時点で既に心は折れていた。最終手段で、階段から落ちようと思った。だが、自分から転げ落ちようとしても、恐怖心が勝ってしまい、なかなか一歩が出なかった。そこで私は、階段の前で気絶すれば落ちることができるのでは、と思い気絶する方法を調べて、実行した。しかし、気絶するだけで階段から落ちることはできなかった。
 どれも成功することなく、私は地獄の夏休みに突入していった。

 このことは、中高生の私にとって、特に変わった行動ではないと思っていた。しかし、大学生になって、少し考えが落ち着いてきたころに振り返ると、あれ?これおかしいな?と段々疑問に感じるようになった。

 このズレはどこから生まれたのだろう。両親の育て方だろうか。いじめられたからだろうか。自己肯定感が低いからだろうか。自分の命を大切に思えていないからだろうか。どこから生まれたのか、これは私が死ぬまで答えが出ない問題だろう。


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