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「私の死体を探してください。」   第28話

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 退職してから一ヶ月。私は森林先生の最後のブログに抱いた違和感の原因を考えた。

 最初に読んだときはショックで気づかなかったけど、何度か繰り返し読んでいるうちに、違和感が拭えなくなった。

 そして、違和感がはっきりと疑惑になったところで、山中湖を訪れた。
 正隆氏と対峙するためだ。

 森林先生がいなくなったのは七月の終わりだった。もう年をまたいで二月になっていた。冬にこの別荘に来たことはなかった。骨まで冷えてしまいそうな寒さなのに、私の身体は怒りで煮えたぎりそうだった。

 別荘にたどり着き、インターフォンを鳴らして返事を待った。

 冴えない返事だった。そして、かなり待たされた末、正隆氏は現れた。

 その出で立ちに思わずぎょっとしてしまった。髪はボサボサ、グレイの毛玉だらけのスウェットの上下はよれよれで、前回ここで会ったときと同一人物とはとても思えなかった。 頬はごっそりこけて、目の下にはクマができていた。

「いったい、どうされたんですか?」

「ああ。ちょっと集中していたからね。まあ、どうぞ、中入って」

 リビングに通された。リビングの様子も以前とは違っていた。空気は淀み、ローテーブルとソファーの周りに飲みかけや食べかけで放置されたものが、何日分もあった。

 まるで害獣の巣穴に迷い込んだような気持ちにさせられた。この男が働かないだけでなく、家事を全部森林先生に押しつけていたことが嫌でも思い出された。

「窓を開けても構いませんか?」

「外は寒いよ! ああ。空気清浄機をつけようか」

 窓を開け放ちたかったけど、確かに外は寒かったので空気清浄機をつけてもらった。

 片付けるというよりも、そこにあったものをどかしただけのソファをすすめられて、しぶしぶ座った。その対面に正隆氏が腰をおろした。

「池上さん、会社をやめたんだろう? なんか担当の人が変わったって挨拶の電話をもらったからさ」

 まるで自分の担当者のような言い回しにイライラしたけど、ぐっとこらえた。

「森林先生の最後のブログのせいだって分かって言ってますよね?」

「やっぱ、そうなんだ、ちょっとあれじゃあ、他の出版社に移るってのも厳しそうだよね」

「はい」

 香坂美央子がIが私だということを、Twitterで拡散してしまった。広そうで本当は狭い業界にもう私の居場所はない。

「出版社をやめて、もう出版社に勤めることもないのに、どうして、ここに来たんだい?」

 私はなるべく怒りが表にでないようにゆっくりとやんわりと声を出した。

「あのブログは森林先生が書いたものじゃないからです」

 正隆氏の視線が一瞬泳いだ。

「あのブログが麻美が書いたものじゃない? おかしなことを言うね。二人でなんどもあのブログのIDとパスコードを試してみたじゃないか。どれもだめだった。鍵がない家には入れない。そうだろ?」

「見つかったんですよね? IDが。だから、あなたは自分宛の遺言だけ自分で書き換えた。とても不都合なことが書かれていたから。違いますか?」

 正隆氏はこちらを睨んだ。

「そんなことするはずないだろう? だいたい証拠もないのにどうしてそんなことが言えるんだ」

「証拠ならあります」

「どこに? どんな証拠があるんだい?」

「あのブログの中にあります。正隆さん、あなたも文章を書かれるんですよね? どうやって決めていますか?」

「何を?」

「開くか、閉じるかをです。文章の中で漢字を使うか、ひらがなを使うかをどうやって決めていますか?」

 正隆氏の顔面はクエスチョンマークが沢山浮かんでいた。

「それは、その時々の雰囲気によるんじゃあないかな」

「そうですね。商業でなければそれでいいと思います。でも、森林先生は十年以上プロとして活躍されていて、『表記が揺れる』ことがほとんどない方なんですよ」

「表記が揺れる?」

 私が何を言っているのかいよいよ分からなくなっているようだった。

 私は手帳に書き出していた違和感を正隆氏に突きつけた。

「森林先生は『私』を『わたし』とは書かないし『ください』を『下さい』とは書かないんです。それにお義母さんも義の字が抜けていました」

 正隆氏の顔がサッと赤くなった。

 あのブログで私が抱いた違和感の正体がこれだった。表記の揺れ。森林先生のルールにのっとっていなかったのだ。

「たまたまだろう?」

「苦しい言い訳ですね。あなた宛の遺書だけが揺れていたんです。他でもないあなた宛のものだけが。書き直したんですよね? 自分のものだけ。私宛ての遺書を消すことだってできたのに、それはしなかった。違いますか?」

 長い沈黙だった。

 正隆氏はあんなに嫌がっていたのに、窓を開けて、こちらに断ることなく煙草を吸いはじめた。 

 それが私の問いに対する肯定なのか否定なのかは分からないので私は畳みかけることにした。

「佐々木信夫がここに来たことをどうして警察に言わなかったんですか?」

「どうしてそれを?」

「佐々木信夫が自殺する前の足取りを調べたんです。山中湖行きのバスに乗っていたことが分かりました。ちょうど、結末が公開された日ですね。私が佐々木信夫だったら、なんとしても暴露される前にブログの更新を止めたかったでしょうから」 

「確かに来たよ」

「脅されたり、殺されそうになったりしませんでしたか? 佐々木信夫は命がけでここに来たはずです。暴露されて自殺したのが動かない証拠です。ブログを止めるためならなんだってやったはずです」

「確かにおだやかな話し合いとは言い難かった」

「どうして、通報しなかったんですか?」

「僕がブログを触れないことに納得してくれたんだ」

「そんなに簡単に納得するとは思えません。でも、とにかくあなたは佐々木信夫に危害を加えられそうになったのに、警察には通報しなかった」

「まあそうだね」

「正隆さん、あなたはここに警察が来て欲しくないから、通報できなかったんじゃないですか」  

 正隆氏は再び煙草に火を点けようとしたが、ライターはカチカチいうだけでなかなか火はつかなかった。そして、持っていた煙草が折れてしまった。明らかにイライラしてそれを窓の外に投げ捨てた。

「通報する必要がなかったからだよ」

「嘘です。もう分かりました。正隆さん、私がここに来た理由は分かりますか?」

「あのブログが麻美の書いたものじゃない。と僕に言いたくてしかたがなかったってことだろう?」

 私はゆっくりと深呼吸してからこう言った。

「私はここに森林先生の死体を探しに来ました」

 正隆氏の顔は雪のように白かった。

 もう間違いない。森林先生はこの男に殺されたのだ。

「どうして、僕が麻美を殺さなければいけないんだ? 麻美が死んでむしろ今僕は困っているのに」

「それが私にも分からないんです。でも、正隆さんが森林先生を殺したのだとしたら、森林先生は正隆さんが森林先生を殺すことを知っていたとしか思えません」

「そんな馬鹿なことあるはずがない」

「質問を変えます。佐々木信夫はどうして東京のマンションではなくここに来たんですか? 先生は佐々木信夫にも時間指定でメールを送ったんじゃないでしょうか? 私でなければ夫がブログを書きかえることができるとかなんとか書いていたのでは? そして、正隆さん、あなたはどうしてここにいるんですか? 東京のマンションを売らなければいけなかったのは、森林先生が死んだからかもしれません。でも、以前ならお母さまを頼ることもできた。森林先生はあなたが最終的にここに来るように仕向けたんじゃないですか?」

「そんな馬鹿な、偶然だよ。偶然」

「森林先生は私に、あなたに小説を書くように励ませと言いました。それから、私に妊娠したと嘘をつくようにとも言いました。私はその指示にしたがいました。正隆さん、あなたは離婚も考えたと言っていました。それで話がこじれたのかともと一瞬思いましたが、それだけじゃない。何か決定的なことがあったはずです。いったい何があって、森林先生を殺したんですか?」

「ちょっと待ってくれ」

 正隆氏はそういうと私の前から消えた。とうとう認める気になったのかもしれないと思った瞬間だった。

 後頭部に激しい衝撃と痛みが走った。

 思わず痛む場所に手をやる。手は真っ赤に染まっていた。

 ぱっと顔を上げると正隆氏が火かき棒を持って振りかぶろうとしている。私はよけたけど、いつまでよけることができるのかは分からない。

 私は正隆氏に殺されるのか。

 恐怖が吐き気のようにせり上がっているのに私はあと少しだけ話したかった。

 まだ、森林先生が私に宛てた遺書の文章のことをまだ問い詰めていないのだ。

――ある意味気の毒だとは思います。どうしてそうなったのかは私には手に取るように分かるからです。それがどうしてだかは、よく考えてみて欲しいところでもあります―― 

 私はよく考えてみたのだ。

 私と正隆氏の関係はほとんどデートレイプのようなはじまりだった。

 それが手に取るように分かるということは、森林先生と正隆氏の関係のはじまりもそうだったのではないだろうか。森林先生のブログはもしかしたら、壮大な復讐計画という作品なのではないだろうか? 

 とうとう火かき棒が二回三回と振り下ろされる。意識が遠くなって行くなかでまた森林先生の遺書の言葉が蘇った。

――人との距離感をもう一度考え直したほうがいいです――

 悔しいけれど、私がこの忠告に従うチャンスはもう訪れそうにない。  
 どうしても知りたかった事実を知ることもできないようだ。正隆氏が森林先生を殺した動機。それは一体なんだったのだろう。

 痛みすら遠ざかって私の目の前は真っ暗になった。

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