芸術の美しさに涙が溢れるのは初めてだった。香川県・豊島美術館で感じたこと
香川県豊島にある、豊島美術館をご存知だろうか。
私はそもそも豊島という場所すら知らなくて、というか「香川県に島なんてあったんだ〜」くらいの低解像度で考えていたものだから、その場所にある美術館なんて知る由もなかった。恥ずかしい。
そんな無知な私が、ひょんなことから豊島に訪れる機会があった。しかも豊島美術館に行くご縁をいただいたので、今回はそのときの体験について書きたい。
私は香川の地理どころか、アートに関しても無知なものだから、美術館といえば、たくさんのアート作品が並んでいる場所だと思い込んでいた。
だから、豊島美術館もスタイリッシュなデッカい建物がそびえ立っているものかと思い込んでいたのだ。
でも、美術館員さんに案内された先で、私が目の前にしたのは、青々とした芝生の上に佇む、白い謎の建物。
一見すると綿飴みたいな、お餅みたいな、クッションみたいな…?とにかく、柔らかな曲線が美しいその建物自体が、豊島美術館におけるアート作品らしい。
私は意味がよくわからなくて、とりあえず建物の中に進もうとした。すると、その柔らかな白い建物の前に立った学芸員さんに、行手を阻まれる。
「ここに展示してある作品は、小さな球体やお皿、お水など繊細なものばかりです。足元には気をつけて進んでくださいね」
「中は大変音が響きやすいです。会話はお控えください」
ますます意味がわからない。美術館で喋っちゃいけないのはわかるけれど、展示されているのが小さな球体やお皿というのは、なんかこう貴重な陶芸作品みたいなものだろうか…?
しかも、足元?そんな貴重なものを、蹴られる可能性のある足元に置くことなんてある?
頭の中にクエスチョンマークばかりが浮かんで、私が首を傾げていると、では「靴を脱いでください」と、おもむろに靴を脱がらされ、あれよあれよという間に、アート作品?の中に入っていくこととなった。
何もわからないまま進んでいき、目の前に開けた光景を見て、さっき学芸員さんが言っていたことすべてに納得した。なるほど、そういうことか。
そこは真っ白な空間だった。空間は、緩くカーブした楕円形のような曲線の壁に囲まれている。
天井は中央より少し奥に向かって、ちょうど平たい鉢をひっくり返したかのように緩やかにすぼまっている。
そして、その先には、ぽっかりと大きな穴が空いており、切り取ったかのような青空が顔を出していた。
天井の穴には窓がはめられているわけでもなく、ただ穴が空いている。穴からは、春の優しい陽の光が差し込んでいた。
(私の説明で伝わるかわからないが、写真撮影は禁止だったので、気になる人は検索してみてほしい。とにかく、不思議な空間だった)
あんまり真っ白な部屋だから、この白さそのものがアートなのか?とか、乏しい感性でアンテナを立てながら、ひんやりと冷たい床を裸足で進んでいく。
突如顔を出した青空にばかり目を奪われて、足元に注目していなかったが、よく見ると、床には小さなお皿や球体が展示されていた。
いや、展示されていたというより、落ちているというか、ただそこに存在しているといったほうが正しいかもしれない。
さらに目を凝らすと、どこからやってきたのか、無数の水たまりもある。どうやら床は、天井に空いた穴の下に向かって傾斜になっているようで、水は中央に向かって少しずつ少しずつ移動していた。
大きな水滴が塊のようになって、まるで意思を持っているかのように、ひとところに集まっていく。
私はぽかりとあいた天井のちょうど下あたりに座り込んで、辺りを見回した。
美術館に訪れている他の客も、私と同じように座り込んだり、寝転んだり、ふらふらと歩いたり。思い思いに過ごしているようだ。
最初は周囲の様子が気になっていたが、しかしそんな存在すら忘れてしまうくらい、あまりにまっさらなその場所に、魂が裸にされていくような感覚を覚えた。
心に冷涼な風が吹き通っていくような、よく晴れた日に水浴びをするような、なんともいえない心地の良さに、身体の力がふっと抜けていく。
耳を澄ませてみると、どこからか鳥の鳴き声が聞こえてくる。風の囁きが聞こえてくる。波のさざめきが聞こえてくる。
そして、私が身体を動かすと、小さな衣擦れ音が驚くくらい反響して、振動として周囲に伝わっていく。
空間にこぼれ落ちる音の一つひとつが、光の一つひとつが、私たちが普段見落としている自然の力を拡張しているようで、そこにあるすべてが混ざりあっていくようだった。
目の前に広がる世界の様相があまりに綺麗で、とてつもなく尊いもののように思えて、いつのまにか涙があふれてきた。芸術に涙を流すのは初めてで、自分でも戸惑った。
でも、泣くのを止められない。心がすっかり満たされて、その余剰が涙として溢れているようだった。
この作品を通じて作者が何を伝えたいのか、私の拙い言語化力だけでは言葉にできないが、しかし何かが痛いくらいに伝わってくる。
旅に出るといつも、世界の途方もない広さに眩暈がしそうになる感覚がある。ここは、そんな旅で得てきた感覚が、果てしなく凝縮された空間だと感じた。
言うなれば、自然を通り越した、超自然。長い年月をかけて蓄積してきた膨大なパワーを前にすると、自分の存在はあまりにも無力に感じる。
でも、そんなことも通り越して、すべてに身を委ねられる感覚があった。ずっとここにいたかった。
私はいつも、心のどこかで帰る場所がほしいと思っている。それは一人暮らしをしている2Kの古びたアパートでもないし、親のいる実家でもない。
どこにいても、帰りたいと願ってきた気持ちが、ここにいると少し癒やされるのが、不思議だった。
私には、帰る場所があるようでない。でも、ここには帰ってきたいと思う。一つの場所に帰ることはできなくても、もしかすると、帰りたいと思えるような場所が、まだこの世にはたくさんあるのかもしれない。なんだか、希望が湧いてきた。
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