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三宅一生らが創立したデザインミュージアム21_21 DESEIGN SIGHTってどんなところ? <安藤忠雄建築 vol.1>

都内でも珍しい、デザインをテーマにしたミュージアム(正確にはその展示を行うためのスペース)である21_21 DESIGN SIGHT。東京ミッドタウンのすぐそばにあり、建築も広場に向かって開かれた形になっており、ぷらっと入れるようなそんな空間です。

こちらの記事では、2023年10月に訪れたMaterial展、吉岡徳仁 FLAME展の様子と合わせて、何が特徴的なのか、どんな意図があって安藤忠雄さんが設計されたのかなどについてまとめています。

建築概要

設計:安藤忠雄建築研究所+日建設計
施工:竹中・大成建設工事共同企業体
竣工:2007年3月

マップ:

開館時間・観覧料

開館時間:10:00-19:00
休館日:火曜日、年末年始(12月27日 - 1月3日)、展示替え期間
観覧料:一般1,400円、大学生800円、高校生500円、中学生以下無料
※ギャラリー3は展示により異なる

参考:21_21 DESIGN SIGHT公式サイト

21_21 DESIGN SIGHTとは

1980年代に、三宅一生が、イサム・ノグチ、田中一光、倉俣史朗、安藤忠雄らとともに何かデザインに関することができないかと語り合ったことから始まります。

その後、2003年に『造ろうデザインミュージアム』という記事を三宅一生が新聞に寄稿したところ、大きな反響があったそうです。さらに、三井不動産からの提案や多くの方々の協力があり、デザインミュージアムの創立が実現しました。

三宅一生さんのコメントによると、デザインミュージアムと言われてはいるものの所蔵品はなく、これからのデザインについて考える拠点のようなものを目指されているようです。そして、もしかしたらその在り方も時代に応じて柔軟に変わっていくものなのかもしれません。

デザインにかかわるさまざまな展示や催しをするなどの活動を通して、日本の伝統と美意識、そして新しいテクノロジーを繋ぐ場所でありたいと考えています。私たちと若い人たちと、一緒に未来をつくっていく、そんな拠点になりたいと考えています。

公式サイト 三宅一生のコメントより

創立者の三宅一生をはじめ、佐藤 卓、深澤直人がディレクターとなり、川上典李子がアソシエイトディレクターとして始動しました。(現在、三宅一生さんが亡くなられて以降のディレクター体制については、特に公式サイトに言及がなく分かりませんでした。)

2017年3月31日には、それまでレストランであった別棟を新たな活動拠点「ギャラリー3」として開設しています。

参考:21_21 DESIGN SIGHT公式サイト

建築の特徴

構造

東側のギャラリー1&2の棟(地下1階-1階)と、西側のギャラリー3(1階のみ)の2棟に分かれています。
東側の棟の地下部分には2つのギャラリーと三角形の中庭を設けています。

若干複雑な構成ですが、もともとギャラリー3がレストランだったことを考えると納得です。
台形を2つ並べたような不思議な形ですが、これは地区計画区域内の公共空地に計画したため制約が大きかったことも関係しているそうです。その結果、ミュージアムの大半が、地下に埋め込まれています。

しかしながら、入ってびっくり、地下とは思えない明るさなのです。

地下だが1/3近くが吹き抜けのため閉塞感が全くない

しかも、吹き抜け部分もありますし中庭部分からたくさん光が取り込まれているので、非常に開放感もあるんですね。

中庭より空を眺める
中庭も一体となって展示空間として利用されていた
鋭角の独特な空間

台形になっている、つまり建物の端が三角形になっているので、なんだか不思議な気分になります。四角でないことの心理的な影響に関する研究とかあるんでしょうか。

イッセイミヤケの「一枚の布」を表す巨大な一枚の鉄板

建築の特徴である「一枚の鉄板」は、三宅一生さんの「一枚の布」からイメージを得ています。

そして、これの実現には非常に高い現場の技術力が必要なのです。
鉄板は膨張と厚さの問題があります。それをクリアして造形する技術、解析する技術の両方が必要です。

PHOTO: MASAYA YOSHIMURA/NACASA&PARTNERS, INC.

屋根を設置する前の入念な準備作業 2006年5月30日撮影
外観

街と一体となった美術館

私が行ったときにギャラリー3で開催されていた吉岡徳仁 FLAME展は、入場無料でしたので、休日にミッドタウンの広場でのんびりしている方が興味を持ってそのまま入ってくるといった姿を見かけました。

特にギャラリー3に関してはかなりガラス張りの比率が高いので、中が見えるようになっているということも開放感につながっているのではないでしょうか。

場所の選定の意図としても、広場に集まってきた人々が自然に中に入れるような場所にしたいという思いがあったそうで、その点は本当に大成功と言えるのではないでしょうか。
元々ミッドタウンは裏の広場にハンモックを並べたりインスタレーションを置いてみたりと活発に敷地を活用しているので、外に出る方も多く動線としても良いものになっているのだと思います。

安藤忠雄さんのこの建築への想い

安藤忠雄さんは上述の通り、創立前から関わられていたため自然に設計を担当されたのでしょう。

設計するにあたって、この混迷する時代に、もうひとつの日本の顔をつくる、日常の生活に欠かせないデザインの可能性を示す、そんな建築を心がけました。

公式サイト 安藤忠雄のコメントより

コメントで上記のように述べられており、その言葉の通りシンプルでありながらも集まった人の相互作用を促すような、不思議な力を持つ空間になっていると感じました。

建築家安藤忠雄の考え方

経歴

1941年 大阪生まれ
1969年 独学で建築を学んだ後、安藤忠雄建築研究所を設立
1987年 イエール大学客員教授
1997年 東京大学教授
2005年 東京大学特別名誉教授に就任
2011年 東日本大震災復興構想会議議長代理

代表作品

住吉の長屋(大阪府、1976年)
光の教会(大阪府、1989年)
淡路夢舞台(兵庫県、2000年)
フォートワース現代美術館(アメリカ、2002年)
地中美術館(香川県、2004年)
表参道ヒルズ(東京都、2006年)
こども本の森 中之島(大阪府、2020年)

建築や都市に対する考え方

大学に経済上の理由で通えなくても独学で建築士の資格を取得したり、1980年以降に生まれた人たちは自立心や責任感がないと発言するなど、常に信念に従って行動し続けている安藤さんですが、
私の中では岡本太郎の信念と重なる部分を感じます。

楽な方を選ばず、金や安定ではなく、信じるものに向かって反対や困難があろうとも食いしばって進む姿とその発言は、常に私の心にグサグサと刺さるのです。

日本は高度経済成長期を経て「お金があれば豊かになれる」という考えが主流になってしまい、かつての美意識はどこかに消えてしまい、東京の街は無計画に建物が乱立するようになった、と語られています。

資本主義の中、建築も他の工業製品と同じようなただのものと考えられてはいけません。簡単には作り替えられない上、毎日そこにあり、毎日使う人がいるのです。
美意識をもう一度思い出す、普段の世界に疑問を持ってみる、そんなきっかけになるような問題提起をされているのではないでしょうか。

参考:
NEWS ポストセブン, 「安藤忠雄 若者はダメと指摘し、高齢者死んだ後の日本を心配」, 2010年
https://www.2121designsight.jp/documents/directors/tadao-ando/


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