見出し画像

100ルピーの笑顔

ガンジス川に向かう階段を降ると、そこは陽だまりになっていた。朝のひだまりには、極端なまでに人に慣れた犬と、犬を人に慣れさせたインド人たちが集う。

ガンジス川の西側にはガートと呼ばれる階段上の沐浴場が84箇所続く。東から太陽が昇って沐浴場の裏手に沈むまで、ガートは常に日に照らされているのだった。

ガードに集まる人間はしたたかであり、愛を込めて換言すればちゃっかりしている。

無論、わかりやすく船賃をかさ増しする輩には辟易とする。ただ握手を求めてそのままマッサージ開始するおやじがいたり、振り向きざまにインドではおなじみの赤い顔料を額に塗ってくる子どもいる。そして、日本円にして40円くらいすなわち20ルピーをせがんでくるのだ。
彼らに愛を込められるのは、それ以上を求めてはこないからだ。だから、したたかであり、やはりちゃっかりしているなと笑うしかない。

陽だまりでは、その朝、少女が父と絵を売っていた。絵葉書や栞もあり、そこまで値が張るわけでもない。ちょうどいい土産が見つかった、と何枚かを買うことにした。

彼女は私が去ろうとするとき

「週に一回しかここには来ないから、また夕方にも見に来てね」

とせがむような表情で私に迫ってきた。父も優しく私をみつめる。聞けば彼女は18歳らしい。その夜は彼女の健気な懇願を噛み締めながら、床についた。

翌朝、親子は全く同じ場所にいた。
あまりにもちゃっかりしていて、ついには可愛らしささえ覚えた。

散歩がてら今日も親子の横を通り、少し川を上る。するとこの日は何かしらの祭りなのか民族衣装に身を包んだ子どもらを多数みかけた。中には顔を青い顔料で塗りつぶした女の子もいる。

カメラを肩からぶら下げていた私にとある少女二人組が、30m先くらいから小走りで近寄ってくる。どうやらカメラで私たちを撮れと言っているらしい。おそらく幼稚園児と小学校低学年くらいの年齢だろう。

実際これまでもインドの至る所で、なぜか写真をせがまれた。といっても、それを自身のスマホに送れなどと言うわけではない。すなわち、ただ単に被写体であることを皆楽しんでいた

だから、彼女らにも同じようにレンズを向けた。そして、ファインダーの向こうには満面の笑みの少女が肩を組む。

カメラからを私が顔を上げると

「100ルピー」

という乾いた声が聞こえた。このときばかりはちゃっかりしてるなと笑って流すことはできなかった。

昔とあるCMに違和感があった。この笑顔100円、この笑顔120円。笑顔に値付けをするということに、子どもながらに何か言葉に出来ないモヤモヤを抱えていたように思う。

これまでちゃっかりしていると笑えたのは、マッサージなり、顔料なり、絵葉書なり、金銭的価値の対象が人間ではなかったからなのかもしれない。

そのCMと同じ時期だったか、スマイル0円がハンバーガーチェーンで売り出されるようになった。それはなんとなく好きだった。だから、無垢然とした彼女らから聞こえる100ルピーはあまりにも物悲しかった。

彼女らの笑顔は何ルピーなのだろう道行く人に問いたくなった。
ただ、その返答が「そもそも質問が野暮だよ」であってもほしい。

今日もガンジス川には陽がたまる。
少女らの小さな影をかき消すように。





この記事が参加している募集

旅のフォトアルバム

一度は行きたいあの場所

いただいたサポート分、宿のお客様に缶コーヒーおごります!