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大学組織をしなやかに鍛える確かな方法。大学のアイデンティティを社会に発信する活動の意味と効能を考える

大学が社会に向けて発信するテーマを、誤解を恐れずに大別してしまうと、研究活動、教育活動、そして大学のアイデンティティに関わる内容のように思います。前者2つと比べると、最後の1つはそこまで重要ではないのでは?と、以前は思っていたのですが、いろいろと考えるなか、少なくともこの3つは同じぐらいに重要だと思うに至りました。今回、東洋大学の特別展のプレスリリースを見て、あらためてそんなことを考えましたので、noteに書き留めておこうと思います。

創立者、井上円了が存在感を発揮する東洋大学

今回、きっかけになったのは、東洋大学井上円了記念博物館の特別展『紙と墨にこめたメッセージ~書にみる円了スピリット~』の告知です。井上円了は、東洋大学の創立者となる哲学者です。同大学には、井上円了記念博物館や井上円了哲学センターをはじめ、さまざまなかたちで、井上円了の名を冠した取り組みや、その考えや生き方を発信しています。今回の特別展のその一環で、井上円了の書や詩、歌を題材にした企画展になるようです。

大学が創立者や歴史、建学の精神といったものと紐づく情報を社会に発信したとしても、広く一般の人が興味をもつかというと、そうではありません。なかには興味をもつ人もいるでしょうが、広報活動としてのコスパで考えたときに、パフォーマンスは決してよくはない。それでもこういう活動を行う意味は何かというと、インナーに向けた意味合いが大きいように思います。

大学のアイデンティティを学内関係者にどう根づかせるか

インナー向けた意味というのは、学内の人に自大学のコアとなる考えや精神を理解してもらうというのもありますが、それだけではありません。大学が自大学の考えや精神を、手間とコストをかけて、また自信をもって、社会に向けて発信しているという姿勢を見せることも含んでいます。

結局、こういう精神性の高いものって、合理的に判断して取り入れるものではないんですよね。前提に大事であるというのがあって、それが自然と受け入れられた状態でないと、理解も浸透も進みません。そのため、ことあるごとに、当然のように、自大学のコアなるものを恭しくも積極的に取り上げる、そういうことを継続的にやっていかないと教職員に根づかないわけです。なかでも社会に向けて発信するというのは、ある意味で自大学の在り方を社会に宣言することになるので、定期的にその様子を教職員に見せるとことに大きな意味があります。

インナーブランディングは”伝家の宝刀”を研ぐ活動

では、大学のアイデンティティを教職員に理解してもらうことに、何の意味があるのでしょうか。これは端的に言ってしまうと、ここの認識が揃っていないと、大学は重大な局面で身動きがとれなくなる、もしくはスムーズに動けなくなります。

コロナ禍に急発展したオンライン教育が、大学の学び方の根幹を揺るがしたと思ったら、これを消化する間もなく、生成系AIという課題が大学業界をざわつかせています。おそらく、今後も同じか、それ以上のインパクトのある出来事が大学を揺るがすでしょうし、これら未確認のナニカがなくても急激な少子高齢化によって、大学はその在り方を問われています。

これら予想できないようものや、かつてない困難に直面したとき、大学は大きな判断をくだすシーンが出てきます。そのとき、判断の拠りどころになるのが、我々は何のために存在しているのか、といった根源的な考えです。こういった根源的なものに対する共通認識がないと、その場その場の”私が思うベスト”を言い合うような状況になり、結論がまとまらないし、行動に一貫性を保てなくなります。

さらにいうと、大学は強烈なリーダーシップによって何かを推進するのがどちらかというと苦手で、民主的に皆でコンセンサスをとってコトを前に進めることを是とする組織です。大学のアイデンティティを皆が理解していると、判断基準がそろった状態になり、コンセンサスコストを大幅に下げられます。また意見が割れてどうしようもなくなったときも、建学の精神にそっているか?創立者ならどう判断するか?という問いかけが伝家の宝刀になり話を前に進めることができるように思います。

大学のアイデンティティを学内に染み込ませる活動は、組織のフットワークを高める活動であり、伝家の宝刀を研ぐ活動です。平時からしっかりとこれをしておくことによって、動くべきときに動ける大学になるのではないでしょうか。

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