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意味ないことなんて「ない」。

全てに意味を見いだそう、なんて躍起になっているわけではない。


ただ少し、立ち返る必要があるなと思うことがらにおいては、しっかり立ち止まり考えるようにしているのだ。


自分にとって「不都合だな」「迷惑をかけるな」と思うことがらにおいてはなおさらである。


  • 何のためにそうなっているのか?

  • なぜ今なのか?

  • どうして自分なのか?


そう深堀りしていくと、最終的にはやはり自分という現象を目のあたりにする。



悩んでいる自分、もがいている自分、逆にときめいている自分、何も感じていな不感症のような自分。様々なじぶんが混在し、ひしめき合い、絡み合っていることに気づくのだ。


そして深く自分に潜っている間、その複雑に絡まり固結びになっている「じぶん」という名の糸をほどくことにいそしむのである。


そこには俯瞰してものごとを観れている自分がいる気がしてならない。映画に登場するじぶんを眺めて、次の展開を考察しているような、そんなイメージ。

今、流行りの病で仕事をお休みしているのため、自分と向き合うじかんが取れている。意味をみいだす時間だ。


  • なぜ今病気で休んでしまったのか?

  • なぜ自分だったのか?

  • 何のため休みなのか?


迷惑をかけていると感じるが、一旦そこは置いておいて、復帰した時によりよく仕事に取り組めるように内省と静養にとりくんでいこうと思う。


いや、よりよく仕事にというより、よりよい自分でいられるように、か。


この時間に意味を感じながら、いつもより少しだけ深く考えてみようと思う。


ありたい自分で在れているか、と。

意味を見いだせているか、と。


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