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愛の反対は無関心「理解されたい欲求」と怒りの関係

先日、久しぶりに飲み屋で友人と飲んでいました。

僕らはカウンターでお酒を飲んでおり、カウンターを挟んで店主がいました。

僕らの右隣にいたお客さんが手を挙げると、女性店員さんがメニューを聞きに走ります。

その女性店員さんが、カウンターの向こうにいる店主にメニューを伝えようとするのですが、居酒屋ですからワイワイガヤガヤしてて、店主に声が届きません。

次の瞬間、その店員さんはお店の入り口にあるドアをバンバン平手で叩き始めたのです。

「何事か?」と、店内にいた人は話すのをやめ、一斉にそちらを注視。

その女性店員さんは、「ちょっと静かにしてください。私の声が届かないじゃないですか!」と怒声を響かせました。

賑わっていた店内はシーンとなり、気まずい雰囲気が漂いました。

そのあと、女性店員さんの怒りは収まらず、僕の隣の空席を掃除する際に、箸入れをガーン!とカウンターへ置いたり、ブツブツ不満を言ったりと、とにかく不機嫌。

僕は近くに怒っている人がいると、その感情が自分の内側に入ってきて気分が悪くなる体質です。
一気に酔いが醒めてしまい「もう行こうか?」と、僕らはそそくさお店をあとにしました。

一次感情と二次感情

頻繁に怒っている人を見ると、恐らくその人の内心では「また〇〇された」といった言葉が発せられているんだろうと想像します。

〇〇に入る言葉は、「無視」であったり「裏切り行為」、もしくは「雑な扱い」などになるでしょうか。

怒りは二次感情であると言われます。

最初に発生している一次感情は別のもので、こちらの一次はなかなか当人が認識しづらいと言われています。

一次感情の多くは、不安や恐れ、寂しさなどが多いとされており、それがほんの数秒で怒りという二次感情に置き換わってしまうため、一次感情の認識は中々難しいとされているのです。

怒りやすい人は、例外なく日頃から寂しさを感じている人です。

聴覚過敏を理解されず怒った過去

日常であまり怒りを表現しない僕ですが、結婚生活を振り返ったときに怒ったときを振り返ると、
疲れているときに隣の部屋で音楽をかけられそれが大きな音だったので、「静かにしてくれ!」と怒鳴ったことがありました。

聴覚過敏なので、疲れると色々な物音が刺さるような感じで鼓膜に当たり、それが辛いことがあります。

怒ってしまったときの僕の一次感情は「自分を理解してもらえずに寂しい」というものだったのでしょう。

余裕をなくしキャバオーバーしていたり、しかけている状況になるほど「自分を理解してほしい!」という気持ちが強まります。

自分が怒るパターンを知るには、一次感情へフォーカスし「自分の何を、どれだけ理解してほしいと感じているのか?」を把握することが大切です。


社会的孤立が無敵な人を生み出す

マザーテレサが言ったとされているものの、誰が言ったか諸説ある言葉「愛の反対は無関心」があります。
この言葉は本質を射抜いています。

関心を示してもらえること自体、人間のとっての大きな喜びです。

反対に、そこへいるのにいないように扱われると激しく傷つきます。

平成から令和にかけて無敵の人が起こす事件が定期的に報道されていますが、彼らは社会から「無視された」と感じているはず。

最後にあのような凄惨な事件を起こすのは、「俺はここに存在しているんだから見てくれよ!」と関心を引くために他なりません。

無敵な人と称される人が起こす事件を見るたびに、やるせない気持ちになります。

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