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「この世は地獄なり」と気づいた瞬間、一気に生きるのが楽になった話

昔から性善説のところがあり、悪意を持つ人に傷つけられることが多かった。

昨日、高校時代の回顧記事を投稿したが

地元を離れて私立に入った高校も、なかなかの地獄だった。

スポーツ高だったこともあり、スポーツ推薦でフィジカルが優れた粗野な人間が関西各地から集まってくる。
180センチを超えるガタイのいいジャイアンさながらの人間たちが所せましと肩をいからせながら校内を跋扈するのが日常だった。ガリガリの文科系オタクだった僕は身の置き所がないのだ。
体育の授業が終わったあと、誰かが悪意をこめて投げつけたバレーボールが僕の後頭部に直撃したこともあった。僕の頭にボールが当たった直後に、どこかで大きな笑い声があがったが、そこで笑うような品性のない人間とは、何があっても口をきかないと心に決めた。
どんな目に遭っても腐った瞬間、自分本来の良さが損なわれる。それが何よりの損失なのだ。僕には「俺はお前たちのように品性のかけらもない人間ではない」という矜持があった。
もちろん全員ではないが「スポーツができる俺はえらい。何をしても許される」と勘違いした輩が実に多かった。そういった悪性のナルシストは、僕にとって今でも大敵である。アスリートが性加害事件を起こす度に、高校時代に有頂天になっていたスポーツ推薦の人間が脳裏に浮かぶ。
「自分は強者である。だから何をしてもいい」と思っているマウント系自己陶酔系ナルシストは、とにかく人の気持ちを踏みにじる。相手の痛みに気づかず、ずんずん突き進んだ結果、犯罪行為にいたるのは少しも不思議ではない。むしろ因果が手に取るようにわかるので、まるで違和感がない。彼らは人の気持ちに関心が低く、基本的には主観と肥大した自己愛しか持っていないのだ。


別の話に移ろう。
ライター見習い時代は、ナルシストの講師に洗脳された。そのときの講師は次のような言葉を平気で吐いていた。「物書きは極めて優秀な人間や。普通の人間とは一緒にいるな。レベルがちがうんやから」。
とんでもない発言だが、今ならわかる。この講師は劣等感や自己不全感を埋めるために、マウント中毒になり人を見下すことで、精神の均衡を保っていたと。彼はハラスメントをしかけないと生きていけない脆弱な人間だった。
優しい人に罪悪感を与え、次々に相手を病ませ自らカルマを背負うことを選んだ。己が直視したくない弱さから目を背けるために。

そのときの洗脳体験は、下記の記事にまとめてあります▼

僕はいつからか「この世は地獄である」と認識するようになった。

これは前を向いて生きるために必要だったひとつの解釈である。

絶望したわけでもないし、人として腐ったわけでもない。あまりに期待しすぎて裏切られる経験を重ねたので、この世を地獄認定した方が生きやすいことに気づいたのだ。期待値を下げるための方法として、世界を地獄として認識してみる実験を始めた。この実験によって心の負担を減らすことができたのだ。

・他者を軽視してマウントをとり続ける人
・勝つことのみが人生の目的で、敗者には生きる価値がないと思い込んでいる人
・根も葉もない噂を拡散させて人間関係を崩壊させる人
・自分の正義を押しつけて、それに従わなかったら憤る人
・人を洗脳することに生きる喜びを見出す人
・利他と搾取の選択なら、迷いもなく搾取を選ぶ人

生きているとさまざまな地獄に出くわす。

突如振りかかる病気や災害なども含めて、心を痛める状況はあまりに多い。

全てはホモサピエンスが社会集団を形成し、暮らし始めたことで発生した宿痾ともいえる。

だからこそ僕は「地獄の中で天国を探そう」と決めた。

noteは数少ない天国だ。

テクノロジーの進化によって人類はかなり危うい方向へ行きかけているが、noteでつながらせてもらっている方々のように、ネット環境を自他の幸せのために使おうという意思がある人も少なからずいる。

地獄の中で、他者を不快にし幸福度下げるような行為をしていることに気づいていない人とは関わらない。客観性や自覚がなく、内省の習慣を持たない人は怖い。

こんなに生きづらい時代でも腐ることなく、純粋性や利他の精神を忘れることのない人たちと、僕は共に生きている。

天国の中の天国よりも、地獄の中の天国の方が振れ幅がある。

このギャップはもちろんポジティブなものだ。「こんな地獄のような世界にも、こんなに素晴らしい人たちがいるんだ」と実感することで自然と感謝の念が生まれる。そして明日を生き抜く活力が生まれることもまた事実なのだ。

そんなふうに考えると、地獄もそんなに悪くない。

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