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何も持たないぼくらが見る幻想;『悪女入門 ファム・ファタル恋愛論』を読んで

この本を読むきっかけは、のな(@ThiriAkutagawa)さんが動かすdiscordサーバーに参加したことだ。

私にとってファムファタルは「男性を破滅に導く」という程度の認識だったため、ファムファタルについての基礎知識を得るために読んでみたがヒロイン論としても面白かった。
この『悪女入門』という本は「悪女を目指すための入門編」を意味しているらしく、ときおり著者が「あなたがもしファムファタルになりたければ~」と語りかけてくるし、章立ても第1講から第11講と講義を意識した形になっている。この全11章はファムファタルのタイプごとに分けられていて、第1講「マノン・レスコー」によるわかりやすい金銭的・物質的な破滅からはじまり、第11講「マダム・エドワルダ」は観念的な狂いに主人公を導いていく。

ファム・ファタルとは

ではファムファタルとはどういう存在なのか。この本ではラルース大辞典の定義を採用している。
ファムファタルとは「恋心を感じた男を破滅させるために、運命が送りとどけてきたかのような魅力をもつ女」とのことだ。

ただしファムファタルは ””すべての男”” を破滅に導くわけではない。多くの恋愛がそうであるように、ある男にとってのファムファタルは、別の男からすればなんでもないただの女だったりする。しかるべき時期にしかるべき男と出会うことで、ファムファタルはファムファタルとなるのである。だからこそ、その出会いが運命的なのだ。

つぎに、ファムファタルは男を破滅させることでしか生きる術をもたない女であるということ。そして男を破滅させるには、男に破滅させるだけの「価値」がなくてはならない。地位、権力、財産、才能、知力、美貌、将来性。
さらに男の側が、ファムファタルを手に入れるためならそれらすべてを賭けてもいい、何なら失ってもいいと思えるほどの抗いがたい魅力がその女になければならない。

しかし、男が心身ともに充実しマッチョなエネルギーにあふれている間は、ファムファタルのつけいる隙はない。このエネルギーが衰えたとき男は、積極的に誘惑してくる女に強く惹かれながら、一方では、誘惑されることを激しく恐れるようになるのだ。
この複雑な心理がファムファタルの概念である。

なにも持たないぼくら

そんなファムファタルをなぜぼくらは求めてしまうのか。

ひとつは、現代の男のエネルギーが衰えているということにある。
明日は今日より幸せになるとか、人は平等であるとか、努力すれば必ず報われるだとか、そういった明るさを素直に信じられる人は少ない。貧富の差は拡大し、社会的階級は固定されつつある。立場のよい人間にだけ優位な制度というものを変更する手段はなく、憎悪や偏見がむきだしになっている。それが現代社会だ。

そんなくそったれな世界での抵抗のひとつは、別世界への夢想である。
地位も、権力も、財産も、才能も、知力も、美貌も、将来性も持たない若い年頃の男がファムファタルという概念に強く惹かれるのは、そこに退廃的な夢と幻想があるからだ。
だから「なにも持たず何ものにもなれないぼくら」は、なんでもないただの娘に簡単にファムファタルを見出してしまう。

ふたつめの要因として、ぼくたちは今、とても周囲に配慮しすぎている。
もともと恋愛は二人だけの閉じた世界をつくる行為である。それは所有や支配の関係をつくりやすい。だからぼくたちは、相手を大切に慎重に扱おうとする。それはとてもよいことではあるけれど、だからこそ、「恋愛感情を抱いた特別な人間に思い切り愛情をぶつける」という野蛮な行為に憧れてもいるのではないだろうか。

一般的に女性の精神年齢は男性の精神年齢よりもはやく発達する。目の前の少女は私の知らない何かを知っていて、私には見えない何かを見ている。そんなふうに見えるときがある。そして思わせぶりな発言や大人びた仕草に男は翻弄される。
目の前の娘にファムファタルを見出した瞬間から、ぼくらは現実を生きている目の前の女の子をまったく見なくなる。幻想のファムファタルを見るのだ。

そして、ファムファタルは常に男の欲望をくみ取り、先回りしてそれを実現させる。彼女たちは男の「理想の女」になる。
なぜなら、現代社会に希望を持てずに空虚になっているのはなにも男だけではないからだ。男が女に与えるファムファタルという器は「何者でもない不安定なわたし」にひとつの役割を与える。愛でも金銭でもなく、観念そのものが人間を満たす。
現代のファムファタルは、金銭をもたない男を金銭で破滅させることはできない。また先の見えない未来のために、その将来性を破滅させることもできない。彼女たちは、「男がいま現実にみている世界」そのものをめちゃくちゃにするために存在しているのだ。それがなにより男の望むことだからである。

空っぽの男女が互いを鏡にして双方の空虚さを埋めようとするそのとき、ふたりの破滅ははじまる。世界の明るさを信じられない男女がそこから背を向けて進む先は暗く、限りなく無垢で純粋になるはずだ。
この反現代が、いまぼくらの求めるボーイミーツガールなのである。

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