見出し画像

芸術の書 断片 5・6 

5、霊的世界と通じ降ろす


 霊的な世界と通じ、作品を降ろすことでありますが、これはイメージと言ってもいい。そのイメージはどんなところから来ると言いますと、天上からイデア界から光が降りて、それを地上の芸術家が表現する事です。純度の高い芸術が天上より降りてきます。ほとんどの名作、傑作は天上より降りてきます。芸術家はさながら預言者のような存在であると言えましょう。もちろん、地上の芸術家の個性を通して作品に再現されていきます。要は、アイディアですね。芸術は善悪に関わりなく、大事なのは光の強度であります。あと、性的な表現をよく悪く言う人もいますが、それは鎖の思想であります。前節で述べたとおり自由というバックグラウンドが芸術家には必要であることを言いましたが、そうです、芸術はほとんど善悪の二元論は無いのです。そこを超えていかなくてはなりません。大事なのは光です。強い光です。そこにおいて倫理もしのいでいかなくてはなりません。まず、霊的世界と通じるためには、自由な精神を悟る事です。光りとは情熱です。光りとは愛です。光りとは太陽のあの燦々と輝く灼熱の炎です。霊的世界は光です。異次元です。芸術家は地上にありながら、高次の世界と通じ、太陽と通じ、宇宙と通じ、天上界の光りを自らの心に降ろして表現しているのです。真実なるものを表現し、炸裂した愛を表現し、美を表現する。この世的な、三次元世界の認識をしばしば超えていくでしょう。芸術家は小さな善人であってはいけない。芸術家は自由な精神をいだいていかねばなりません。芸術家はいつも自分に自由になる時間を作ってトレーニングをしているでしょう。なぜならば、この世的な認識では作品はできないからです。芸術家は、高次の世界、霊的な世界から芸術を降ろすゆえに、自分の心を自由にするトレーニングをしてアイディアを受信し、作品制作、演奏に、詩作にいそしみ表現していくのです。こうして、霊的世界と通じ降ろしていく事になります。




6、天上の悟り


 いよいよ天上界の悟りということで芸術家の立場で語ってみたいと思います。先ほども述べましたが、基本は自由であることです。そして芸術家である可能性として、感性で悟って行きます。日々の嬉しいこと、悲しいこと、辛いこと、苦しいこと、いろんな感性があると思います。または、人生のうまく行っている時、うまく行かない時、いろんな人生の浮き沈みがあります。この世で生きているとそういう事があります。しかし、これをしのいで行く感性がやはりある。人生の喜怒哀楽は作品の肥やしになります。それは芸術の中にある。芸術作品は非日常的なことがあるかもしれない。しかし、芸術家のアイデアはすでに天上にある。天上にある芸術を芸術家が受信して、それをその芸術家の個性でもって表現していく。もちろん、そこで、肉体的な欲望も作品に影響していくでしょう。欲望についても自由になって行く。欲望も神の与えた喜びであります。それを活動の原動力、創作の原動力になって行くでしょう。芸術は神の知性であります。創造する知性であります。美の感性であります。その美の中に天上の思い出があります。天上のイデアを降ろしていくなかに、だんだんと芸術家として悟り得ていきます。大事なのか、芸術の方向ですが、それは心の中にある魂の感情に気付く事です。すべての生命には神性が宿っています。霊的な実在がわれわれの内部に存在しています。心の奥に、ハートの中心に宇宙があります。そこに気づき、すべての存在は神の体であり、人間は神の子であり、神の分霊であり、われわれの経験している事は、神が経験している事である。われわれ神の子である人間は神の仕事をするために存在している事です。芸術家は、表現という事において世の中に啓発して行かねばなりません。自由を教えなくてはなりません。芸術を通して生きる喜びを教えていく。これが芸術家の基本的な態度です。作品を作って行く中で世に問う事で進歩していきます。天上のイデアを常に制作の時に感じ、演奏の時に演奏のエクスタシーの状態、詩作している時の天上界の映像を見て、作品を作り続けていくうちに次第に悟って行くでしょう。そして、今まで芸術制作をやって行くうちに、自分の芸術は天上のイメージだと悟り、感性によって悟って行くでしょう。地上にありながら、いろんな世界を見ていくでしょう。悟りには、神の光りがある事です。神は光です。それを芸術に光りを込めるのです。天上の悟りにおける芸術の悟りは、光りを感受し、作品として表現する事です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?