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イデアの考察 断片2 本多裕樹による

イデアの考察

断片2

2

昨日は宗教の道に入る私の体験を書いた。この続きを書きたい。生命の源まで言った。これをもっと解説する前に多角的に神の世界を開陳する考察をしていく。人生は神を教える。もれなくすべての人の人生に目に見えない内在する可能性に動かされている。すべての存在はもれなく神の子である。あなたは神の子である。いや、神だ。みことだ。あたたの心の中に宇宙とつながる知恵がある。そこから無尽蔵に出てくる知恵が教える。それは学校で学ぶような類の知識ではない。内在された仏の知恵、内在された神の種である。そこから引き出していくのだ。または直観と言ってもいい。またはインスピレーション、または霊知である。言い方はいろいろある。世界はどうなっているのか。世界は生命の園である。人は学ぶために生きている。そして遊ぶために生きている。人生は修行である。人生はさまざまな問題がある。一冊の問題集を人生につきつけてくる。これが人生だ。人生の一コマ一コマに問題がやってくるこれを経験や知恵によって苦しみながら悩みながら問いていく。人生は苦悩の連続だ。人生は苦しみに満ちている。人によっては地獄のように感じる者もいる。それは仕方ない。人生なんだから。この人生の問題を逃げる事はできない。逃げても逃げてもそうなると堕落の道を行きさらなる試練が押し寄せる。苦悩は進歩を内包している。もし君の人生が天国的ならばあなたは本当に神に愛されたものかもしれない。そういう人もいる。それを私は知っている。しかしそんな人でもそれなりの苦悩がある。挫折は誰でもする。病気もするだろう。災いはあなたを進歩を促す。私もそうである。この人生において、ひとたび一文無しになる事もあろう。富もいつかは朽ちる。財産は消える。働き場所も永遠じゃない。地球もいつもあるわけじゃない。いつかはその生命の終わりがくるだろう。そんな中われわれは永遠なるものを得なくてはならない。これがあれば心に宝を持つ。それは知恵である。それも神の知恵である。その神の知恵を具現するための表現手段も必要であろう。神の知恵は宇宙に満ちている。宇宙の意識、または宇宙の法則とつながる事だ。そこで生命は光りを自らの魂に、生命の器に入れて放つ、人はどう生きればいいか。これは人になるために第一段階である。かく言う私もそれで悩んだ。人間はどう生きればいいか。中学生の時から悩み探求してきた。もっと言えば人の生き方というマクロな視点も大事であるが、もっとソクラテス的な「汝、自分を知れ」的なオリジナルな自分の本質、自分はどんな人間なのかという問いだ。それは自分自身の中に神がある事を知る。人間は罪の子ではない。人間は神の子である。しからば己を大事にして神の表現を、あなたは神の子として生きていけ。神の子としての光を思い出して神を表現してください。愛はあなたの心にある。どんな悪人でも、どんな悪魔の子であっても神の種はある。それに気づくことで人生の運命の悪循環は消滅する。カルマを克服できる。神の子としての自覚を思い出すだけで輪廻の苦悩から解放される自らの自覚だけで、もっと言えばどんな悪魔でも救われる。何で救われるか。それは宇宙の法則とつながればいい、そのワードポイントは「愛」である。この愛という言葉を心に写し人生が不器用でも少しずつ表現し行動して生活するだけで悪循環から離れることができる。ゲヘナの運命はあなたから去って行く。愛は日本の浄土真宗でいうところのアミーダであり阿弥陀如来みたいな方だ。実際この地球で愛の光を照らしている霊的指導者がそのアミーダであり阿弥陀如来である。また西洋の方ではイエスとよばれる方、またはキリストと言う人がそうである。この方々は同一の意識であり地上に愛の教えを説く者である。その真実の名前はアモールと言われる意識である。なので地獄にあってどうしよもない時、愛も見えない時このアモールを心で唱え愛をイメージする事だ。愛は宇宙において根源的な血液である。愛ある所にアモールの指導がある。愛はどういうものか?それは個人個人において認識の在り方がちがうかもしれない。わかりいい愛は母親の愛かもしれない。愛はカルマの中でドロドロした毒のように思える。しかし、この愛の光輝かせ人生を磨き発見していく中で無限の可能性を引き出すのである。もっと言えばすべての森羅万象の存在の可能性は愛で作られた。愛からすべては出て発生した。愛には神の可能性のすべてがある。知恵のより所は愛なのだから。愛から知恵は生まれる。愛無き知恵は意味をなさない。愛無き知恵は迷いの姿である。すべては愛から出現する。

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