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【エッセイ】初代ローマ皇帝アウグストゥスの最期の言葉

初代ローマ皇帝アウグストゥスの最期の言葉をずっと不思議に思っていました。

最期の時、友人に「私がこの人生の喜劇で自分の役を最後までうまく演じたとは思わないか」と尋ね、「この芝居がお気に召したのなら、どうか拍手喝采を」との喜劇の口上を付け加えたといわれています。

皇帝と名乗るからには、王よりも偉く帝国を統治していて、とても厳つい人間のイメージがあります。だから、ローマの国作りが喜劇の舞台で、アウグストゥス自身が喜劇役者で上手に国民を笑わしている姿は想像しにくいからです。

一体彼はどんな喜劇の役を演じてきたのでしょうか?

ローマ史研究家のF・E・アドコックが、

「アウグストゥスはアレクサンドロス大王やカエサルのような、圧倒的な知力の持ち主ではなかった。しかしあの時期の世界は、彼のような人物こそを必要としていた」

と記しています。

オクタビアヌス(アウグストゥス)は叔父であるユリウスカエサルの描いたローマ世界のグランドデザインを現実の社会に落とし込んで実現する為にカエサルに後継者と指名されました。

しかし、カエサルのように軍団兵を前に演説を行い鼓舞し、戦場に立ち兵に剣や盾の使い方を実際に示してみせ、軍団に指令を与え戦場を差配するという才能を示すようなことはアウグストゥスにはありません。戦闘の実際の指揮は親友にして腹心のアグリッパがとっていました。

だが彼はブルータスやアントニウスと言ったライバルを次々と倒しついにローマの唯一の権力者となりました。

しかしアウグストゥス自身はこの様に自著『神君アウグストゥスの業績録』の中でこのように述べています。

「私は権威において万人に勝ろうと、権力の点では同僚であった政務官よりすぐれた何かを持つことはない」(『神君アウグストゥスの業績録』34)

だが、実際に権力や権威を手放した訳ではありません。

一身に集中していた特権のすべてを放棄すると宣言したのは、

⑴三頭政治権(トリウンヴィラートゥス)

⑵イタリア誓約(コニュラーティオ・イタリエ)

⑶世界的賛意(コンセンスス・ウニヴェルソールム)

であり主にアントニウスとクレオパトラと決戦の時代の軍事的特権だけを放棄して市民と元老院を安心させる為です。

しかし権力を握るのに必要な官職は決して捨てませんでした。

執政官職とプロコンスル職の兼任こそがローマ帝国全土を支配する政治的・軍事的根拠となり、あわせて「アウグストゥス」の尊称授与といった権威が備わったため、この紀元前27年の取り決めこそアウグストゥスにとってローマ皇帝権力が確立する「第一段階」。
紀元前27年秋から紀元前24年にかけて西方の再編に着手、紀元前23年にローマに帰還した。同年、連続して就任していた執政官を辞任する代わりに、1年限りの護民官職権を付与され、以後は例年更新されることになった。アウグストゥスはこの護民官職権のうち身体不可侵権については既に保持していたが、法案に対する拒否権等、残余の権限がこのとき与えられたのである。さらに、プロコンスル命令権が上級プロコンスル命令権(インペリウム・プロコンスラレ・マイウス)に強化されたため、元老院属州でも権限施行が可能となり、この結果、皇帝権力はより強固なものとなった。これが皇帝権力確立の「第二段階」になりました。
ローマ史の研究者の一人はこの時期のアウグストゥスを評して次のように言いました。「合法であることに徹するとしたうえでの、アウグストゥスの卓越した手腕」何故卓越した手腕とかと言えば一つ一つは完全に合法でありながら、それをつなぎ合わせていくと、共和制下では非合法とするしかない帝政につながります。
表面上はともかく実質的には、アウグストゥスは終始唯一のローマの統治者であり続けた。そして彼の後継者達もアウグストゥスの称号を名乗り続ける事により、帝政は既成事実化していく。アウグストゥスは、インペラトルやカエサルなどとともにローマ皇帝を示す称号の一つになっていった。ローマ皇帝になりました。
これにより共和制は、元老院議員たちには気付かれないうちに(オクタウィアヌスが巧妙に偽装しつつ)終焉し、ローマは帝政へと移行しました。初代ローマ皇帝アウグストゥスの誕生です。なお、アウグストゥスに始まる帝政ローマの前期の政治体制は、後のディオクレティアヌスに始まる「ドミナートゥス (専制君主制)」と区別して「プリンキパトゥス (元首政)」と呼ばれています。

オクタビアヌスが皇帝になる過程を見てみてもよくストーリーが練られたお芝居をみているようです。

さらに皇帝に就任して、この皇帝という役を生涯に渡り演じきるには、国民や政敵、また敵国や同盟国にも演技を続けなければなりません。

一般人が同じ事をしようとしたらメンタルが壊れそうです。一体どんなに強いメンタルの持ち主なんでしょうか?

もしかしたら公私を分けるという感情さえ彼の中には無かったかも知れません。趣味を問われれば政治という言葉が返ってきそうです。

生涯をかけてローマ帝国という大舞台でパクスロマーナ(ローマによる平和)を実現して、観客のほとんどすべて(ローマ市民、属州民)を満足させたという自負が「この芝居がお気に召したのなら、どうか拍手喝采を」という台詞を人生の最期に言わしめたのです。

アウグストゥスの様に世界中の人々を幸福にできないけれども、家族や周りの人々は少なくとも幸福にできる名脇役になりたいと思いました。

果たして僕も人生という舞台で社会人であり夫であり、父でもあるという自分の役割を最期まで演じきれるのでしょうか?

※参照
・『ローマ人の物語 パクスロマーナ 』
     塩野七生著 
・アウグストゥス : Wikipedia

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