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宮大工を養成所で育成することは可能か?「選ばれた人」しかなれない厳しい職人の世界に到達できなかった若者の失敗談を見て

受験生版Tiger Fundingのなかで随一の神回と言われるのが宮大工を志望する16歳の下田昊德くんの回であり、師匠筋の金田さんも同伴したのだが、その結果が昨晩に出ていた。
こちらである。

何と3年間も宮大工の為の修行に励んだにも関わらず成果が出ず、宮大工ドラフトにすらかけてもらうことなく山梨の方の一般大工の会社に何とか就職という形になったそうだ。
しかも話によれば、彼は本来なら3年間で得るべき基礎のうち1年性の3分の1程度しかできておらず、このままだと就職してもうまくいくのかわからないらしい。
せっかくたくさんの方々に出資していただいたにも関わらず、結果としてその人たちの期待を裏切ることになってしまった訳だが、私から見れば疑問もなくはないのである。
宮大工養成塾の動画も含めて思うのだが、そもそも宮大工のような「選ばれた人」しかなれないプロ中のプロを専門学校や塾のようなところで育成できるものだろうか?

宮大工のニュースといえば、成功体験(?)に近い事例として紹介されていたのがこちらである。

こちらの金剛組という日本最古の宮大工の企業で働いている山崎神聖(こうせい)という若者だが、彼は見るからに立派な宮大工になることが予想される第一印象で、面構えが違う。
彼の場合も下田くんと同じで父親が大工なのだが、両者の違いは何なのだろうと思ったが、やはり「意識の差」と「環境の差」というところが大きいのではなかろうか。
下田くんは金田さんからも言われているように顔つきや目からしてもどこか甘さが残っているし、「自分がやらなければ」という意識も低いように見受けられる。
宮大工ドラフトにかけられなかったことに対して普通なら悔しがってもおかしくないだろうに、どこか淡々と冷めた受け答えをしているのが私から見れば大きな違和感だ。

対して山崎くんの場合はきちんと立派な親方につき、臨戦態勢で真面目に仕事に取り組んでおり、正にプロ中のプロとしての片鱗を窺わせる意識の高さと動きだった。
なぜ今回このテーマを扱うのかというと、私もつい3年半前の2020年3月まで実家の跡継ぎ候補という形で5年半ほど建築の仕事に携わっていたからである。
そこには正に下田くんや山崎くんのような若手の大工さんもいたが、人数にするとわずか数名であり、ほとんどが父の跡継ぎか大工の世界にゆかりが深い人たちだ。
そしてそういう人たちの働きぶりを見ていて思うのは、大工という職人の仕事はそれこそなりたい人ではなく選ばれた人がなるお仕事ではないか。

結局はスポーツの世界や芸能界などと同じであり、こういう手に職つける仕事は入り口自体が狭き門であり、なおかつ宮大工となると現在は100人程度しかいないようだ。
要するに建築業界における宝塚や東大のようなもので、そこには当然運と縁の要素が大きく影響するし、何より大工をやっている人たちがそれに全てを捧げるくらいの覚悟と決意が必要である。
そう考えると、金田さんからボロクソにこき下ろされている下田くんだけが悪いのかというと決してそうではなく、ほとんどがやはり今回の下田くんのように挫折してしまうのではないだろうか。
どうしても人間はごく一部の成功体験のみを見て、その裏にごまんとある失敗体験にばかり目を向けがちだが、下田くんのケースは明らかに後者であり、この事実から私たちは何を感じ取るのかが大事である。

受験生版の面接での受け答えや第一印象からして私は思ったのだが、「ああこの子は多分宮大工にはなれないだろうな」というのが何となくであれわかってしまった。
才能や資質というよりはもっと深い人間性や意識の部分でまだ本気で大工さんになる為の覚悟と決意があそこでは見えず、最終的に金田さんの助力があり半分同情のような形で得た軍資金である。
それをきちんと結実させることができなかったのは色々理由があるにせよ、やはり一番大きいのは下田くんに本気で目指そうという意識とその為の努力が欠けていたからではないだろうか。
夏季合宿の動画を見ていても思うのだが、同級生ならまだしも下級生に抜かれて「悔しい」とすら思えず淡々とした受け答えをしているのはプロ失格と言わざるを得ない。

しかし、一方でそれは下田くんの問題だけではなく、金田さんが経営している宮大工養成塾の環境や教育の仕組みにも問題はあるように思われる。
正直な話、相当にハードルを下げて大工の基礎基本から教えているような環境ではドラフト会議にかけて宮大工になれる後継者がきちんと育つとは思えない
本当に優れた宮大工候補なら、何かしらの形で縁がある企業に入ってそこで実践を通して身につけていくという徒弟制の環境が一番望ましいだろう。
ましてや、その中で本物の宮大工は図抜けた職人の資質やセンス・筋の良さが必要であり、下田くんにはその辺りの必要な資質もあまりないように感じられた。

なぜこんな話をしたかというと、この話で思い出すのが「ドラゴンボール」の孫悟空・ベジータら父親世代と孫悟飯やトランクスら息子世代との大きな実力の差についてである。
「ドラゴンボール」ではサイヤ人と地球人のハーフは生まれつきの潜在能力が高いという設定があるが、それでもやはり純粋なサイヤ人である孫悟空とベジータが常にトップを維持しているのだ。
その原因がどこにあるのかを分析すると、最終的には孫悟飯たち息子世代には父親世代と違って「強くなろうという意識とその為の努力・工夫」が足りないからである。
だから生まれた時の才能や潜在能力では悟飯たちの方が高くてもインフレについていけるのはたゆまぬ努力を続け向上心を持ち続ける悟空とベジータのみということになってしまう。

また、金田さんの養成塾のモデルを見ていて私が連想するのは「秘密戦隊ゴレンジャー」に出てきた「ゴレンジャー予備軍」なる設定だが、まともに機能していたとは言い難い。
それを明示しているのが第40話と第67話であり、第40話ではモモレンジャーことペギー松山が変身不能に陥ったにも関わらず、ゴレンジャー予備軍から代わりの戦士を呼ぼうという流れにはならなかった。
そして逆に67話では、ゴレンジャー予備軍から正規戦士に昇格したはずの二代目キレンジャーこと熊野大五郎が悲惨な戦死を遂げることになったが、これが「選ばれし者」とそうでない者との差である。
要するにプロの厳しい世界で通用する超一流の資質がある者は最初から決まっており、所詮養成所や訓練所で得られるものなど本物の力にはなり得ないという事実を端的に示しているであろう。

声優業界だって養成所や専門学校が腐る程あるのに、その中からちゃんとした有能なプロの声優が出ないのもこれと似たようなものじゃないかと思うし、宮大工は養成塾のようなところで育成できない気がする。
下田くんの挫折・失敗に関しては本人が責めを負うべき部分ももちろんあるかもしれないが、それと同じくらい宮大工養成塾の育成環境やビジネスとしてのモデルにも問題があるのではなかろうか。
大工の息子が必ずしも立派な大工に育つわけではないし、ましてや宮大工という日本の歴史や文化を象徴する立派な建物を守るプロ中のプロなんざそうざらにいるわけもないだろう。
それに見ていて思うのだが、下田くんが本当に宮大工ないし一般大工というお仕事を心の底から望んでいるのだろうか?

おそらく本人としても、多感な時期ということもあってその辺りの自己分析や心の整理などいろんなものが追いついていないように感じられる。
金田さんは彼の良いところを「社交性」と言っていたから、大工以外にも彼が輝ける分野や場所が他にあるような気がしてならない。
意識に関しては本人にしか改善のしようがないが、才能や資質といった向き不向きもまたこういう職人の世界では大きく影響する。
今後彼がどうなっていくのかは神のみぞ知るというところだが、改めて職人の世界の現実はとても厳しいものなのだと痛感させられた。

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