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阿修羅の神道と無我の境地との関係性を考察!徳川と越前が平等院鳳凰から日本を託された理由は?遠山金太郎も可能性あり?

今回の話は以前に話した阿修羅の神道と無我の境地との関係について考察していきますが、「新テニ」の根底にあるものは仏教の「六道輪廻」が日本代表合宿の仕組みとして盛り込まれているのではないでしょうか?
六道輪廻といえば「NARUTO」に盛り込まれていたうずまきナルトの六道仙人モードがそれに該当しますが、平等院鳳凰や鬼十次郎が見せてきたのは「地獄」と「修羅」の世界の概念であったといえます。
「テニスの王子様」の根底にある宗教が仏教とキリスト教であるのは言うまでもありませんが、今回は改めて阿修羅の神道と無我の境地との関係性を見ていきましょう。
また、ドイツ戦で徳川と越前が平等院鳳凰から日本を託された理由や、遠山金太郎との関連性についても触れていきますので、是非ご覧ください。

阿修羅の神道と無我の境地の関係性


六道輪廻

結論から言えば阿修羅の神道も無我の境地も同じ仏教ですが、大きな違いは六道輪廻の範疇の違いではないでしょうか。
六道輪廻の基本は「瞋(いか)るは地獄、貪るは餓鬼、癡(おろ)かは畜生、諂曲(てんごく)なるは修羅、喜ぶは天、平らかなるは人なり」です。
ここではまず阿修羅の神道と天衣無縫の極みとの違いがまずしっかりと説明できるのではないでしょうか。

「無我の境地」は天上界の考え方の具現化

同じ「仏教」というカテゴリの中で「天上界」の象徴が無我の境地及びその最終形態である極楽浄土の具現化である「天衣無縫の極み」です。
その為にはまず「平らかなるは人なり」の部分の「人間」としての限界を超える必要があり、越前リョーマ・手塚国光・千歳千里・幸村精市・真田弦一郎・切原赤也の6人が到達しました。
そしてその中で天衣無縫の極みの扉を開けたのは旧作だと越前リョーマのみであり、新テニだと手塚国光と遠山金太郎がこの天衣無縫の極みという高みへと到達したのです。
高校生でも天衣無縫の極みを使えるのは日本だと鬼十次郎、そしてドイツのQ・P、エルマー・ジークフリート辺りで、それだけ使用者が限られています。

大元の無我の境地は「我が心すでに空なり、空なるが故に無」ですが、その先にある「百錬自得の極み」「才気煥発の極み」も含めて考えると本質は「気のコントロール」です。
この「気のコントロール」は「ドラゴンボール」に出てきた界王拳や超サイヤ人がそれですが、要するに己の気を極限まで高めることによって肉体が持つ本来以上の力を引き出しています
つまり「気のコントロールによるエネルギーの前借り」が「無我の境地」の本質であり肉体に疲労がかかる為、それを一箇所に集中させることで力を倍加させたのが百錬自得の極みです。
更にその無我の力を頭脳活性化に使うことによって最短何球で決まるかを予測できる「才気煥発の極み」があり、これはデータテニスの完全な上位互換でしょう。

そして天衣無縫の極みはその上で更に「テニスを楽しむ=自分軸でテニスをする」という心理が最高潮まで高まった時に辿り着ける境地であり、無我の副作用である疲労が一切ありません。
髪の毛が逆立つ演出も含めて「超サイヤ人2」を彷彿させますが、疲労回復から状態異常回復、更にパワー・スピード等のステータスもあって体力が減らないという一種の永久機関です。
天衣無縫の極みが世界でも通用するレベルでチートのように描かれているのは仏教の中で最上位とされる天上界がどんなものかを技として具現化したものだからではないでしょうか。
そりゃあ跡部様が「素の状態で天衣無縫の極みに対応するのは不可能」というわけで、零感のテニスや集中爆発・星の聖書・光風といった特化型の攻略法が必要となります。

「阿修羅の神道」は修羅界の考え方の具現化

そしてもう1つの「阿修羅の神道」は修羅界の考え方の具現化であり、現在この「阿修羅の神道」を形として使いこなせる人もまた限られているのではないでしょうか。
今の所「阿修羅の神道」を形として使うことができるのは平等院鳳凰・鬼十次郎・デューク渡邊・徳川カズヤ・亜久津仁・越前リョーマ辺りが考えられます。
まず条件としては自分の中に眠る霊(スタンド)を引き出して相手を翻弄する力、そして10球同時打ちができるだけのテクニックと瞬発力が必要となるのです。
序盤で示されていた「10球を同時に打てなければ鬼や徳川には勝てない」という三船コーチの言葉も実はそれ自体が「阿修羅の神道」のベースにあるからでしょう。

それが証明されたのが亜久津仁がアマデウス戦で見せた「無没識」であり、亜久津は不完全でありながら阿修羅の神道のエイトセンシズ(第8識)を開眼することに成功しました。
あの動きは真田の「雷」の高速移動と「陰」の「一部の隙もなくし様々な行動パターンを匂わせる」を同時並行でやっているようなもので、とんでもない肉体と精神への負荷を与えています。
亜久津の恐ろしいところはオジイに弟子入りしたわけでもなければ身近に仏教関係者がいるわけでもないのに才能だけでそれを開花したところにありますが、だからこそ不完全にしかなり得ませんでした。
どんなに才能が優れていても、それをきちんと師に教わって自分のものへと昇華する鍛錬と環境は必要であり、そこをおろそかにした亜久津ではアマデウスに勝てるわけがありません。

そしてもう1つ、これがおそらく阿修羅の神道で最も大事な要素かと思われますが、「霊(スタンド)を自由自在に引き出して相手を圧倒する」という能力も必要になります。
これが亜久津に欠けていたものであり、亜久津仁の中にはそのような霊が存在せずその力を引き出していなかった為、不完全なものしかできなかったのでしょう。
そしてその「無没識」の完成形として出てくるのがドイツ戦で平等院鳳凰が見せた究極奥義・阿頼耶識でありこれが「阿修羅の神道」の到達点と思われます。
入院はしたものの阿頼耶識は「体がどうにかなるようなものじゃない=副作用がない」と言っていたので、「阿修羅の神道」における天衣無縫といったところでしょうか。

徳川と越前が平等院鳳凰から日本を託された理由

ここまで分析した上で、改めてドイツ戦で平等院鳳凰が徳川カズヤと越前リョーマに日本を託していった理由を阿修羅の神道を関連させて説明してみましょう。
現在のところ確認されている日本代表メンバーで霊(スタンド)使いは現在のところ平等院鳳凰・鬼十次郎・デューク渡邊・徳川カズヤ・越前リョーマの5人です。
それぞれがどんな霊を使っているのかを具体的に見て行きましょう。


阿修羅使いの徳川カズヤ
海賊使いの平等院
鬼神使いの鬼十次郎
破壊の魔神使いのデューク渡邊
サムライスタンド使いの越前リョーマ

このように見ていくと、越前リョーマはまだサムライスタンドの片鱗しか見せていませんが、これを平等院鳳凰が感じ取っていたというのは大きなポイントでしょう。
しかも越前の侍スタンドは新テニでいきなり発露したものではなく、旧作の関東大会決勝のS1の時から伏線として示されていたものです。

そう、手塚国光と真田弦一郎だけがこの時越前の中に眠っていたサムライの霊を見るのですが、同じようなものを平等院鳳凰もまた見ることになります。
これはおそらく修羅の世界に生き、高い精神力と徳を持つものでなければ見えることができず、中学生ではこの2人しか見えなかったのではないでしょうか。
その真田弦一郎が決勝S1の決定戦でその越前リョーマの上位互換である徳川カズヤと当たっているというのが何とも皮肉ではありますが。
徳川に関しては元々鬼・入江・平等院・デュークと多くの高校生たちによって育てられていますし、「義で世界を獲る」ことを目標としているため納得です。

そして越前リョーマですが、彼に関してはサムライスタンドが見えたことだけではなく光る打球を「希望」へと昇華し、更にその先を見極めたことが大きく影響しています。
プランス共々中学生にして既に覚悟を背負って戦っており、最後まで「テニスでは負けない!」と立ち向かう武士道精神=サムライ魂が平等院鳳凰の心を動かしたのでしょう。
自分が「破滅」という形でしか示せなかった道を越前はきっと「希望」へと変えて繋いでくれるというのを平等院は越前に感じていたと思われます。
そして越前もまた「青学の柱」を託されたように今度は「日本の柱」をお頭から託され、しかもリョーガという救済すべき存在がいるので、これが決勝戦の伏線になっているのでしょう。

遠山金太郎も阿修羅の神道を開く可能性あり?

こう考えていくと、鬼先輩との関係性を築いた遠山金太郎もまた越前リョーマと同じように「阿修羅の神道」を開く可能性も考えられますが、どうなんでしょうか?
理由として挙げられるのはまず圧倒的な身体能力を持っているために亜久津以上に無没識を使いこなせそうであること、そして天衣無縫の極みに最短ルートで到達したことが挙げられます。
遠山は周回遅れではありますが、越前リョーマが辿ってきた道を参考にしながら着実に後を追いかけて来ているので、もしかすると今後阿修羅の神道を開眼できるかもしれません。
実は旧作の山吹戦前の南次郎とリョーマが出かけたあの日におスギ婆さんの墓で遠山と南次郎が出会っているという伏線があり、仏教関係者との縁が深いからです。

四天宝寺には石田銀という修行僧が居て遠山金太郎も銀にはなついているので、仏教との親和性は高いですが、越前リョーマとの差別化も今後は気になります。
今の所はどちらも天衣無縫ユーザーではありますが、個人的に決勝で越前と遠山がどうなるかを考えてみると、以下のような感じです。

<越前リョーマの決勝S2>

  • リョーガの能力剥奪により一度テニスを失い滅びる

  • そこからリョーマの中にあるサムライスタンドが覚醒し蘇る

  • 失われたはずのテニスがどんどん再生されていく

  • 「天衣無縫の極み」と「サムライスタンド」を融合させる

  • 最後の最後に取っておきの新技を繰り出してリョーガに勝つ

<遠山金太郎・大曲竜次のD2>

  • 天衣無縫を使った金太郎がボロボロに追い詰められる

  • 大曲竜次との能力共鳴(ハウリング)が起こる

  • それでも追い詰められて遠山が一度滅びそうになる

  • 遠山の中に眠る霊(スタンド)が覚醒する

  • いい線まで追い詰めるも負けて今後の課題が浮き彫りになる

実際のところどうなるかはわからないですが、あくまでも個人的見解として考えうる展開としてはこのような感じが予想されます。
徳川に関しても同じように平等院鳳凰と同じ阿頼耶識に覚醒するだけではなく、それ以上の何かを見せてくることが考えられるでしょう。
許斐先生は新テニでの進化について「簡単には進化せずじっくり時間をかけた分、進化するときは一気に飛躍する」ということを仰っていましたからね。
だから決勝ではドイツ戦以上の盛り上がりと進化を見せてくれることに期待しますが、今の所越前はともかく遠山の進化が見えにくいですね。

でも多分遠山も阿修羅の神道へ進み新たな強さを手にするであろうことは考えられます、鬼先輩と関係つくっておいて天衣無縫だけというのは有り得ないでしょうし。

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