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何でこうもプロの特撮評論家の方々はスーパー戦隊シリーズに関して無知なのであろうか?

そういえば、スーパー戦隊シリーズをプロや研究機関の人たちはどう見ているのかが気になって調べてみたのだが、まあこれがとにかく酷い。

https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/49169/1/Sau8_007.pdf

そういえば、もう10年ほど前になるが、誰かが私のことを「宇野常寛とは話が合わなさそう」と言っていたのを見たことがある。
宇野氏に関しては確かに私はいつもやや疑問を抱きながら懐疑的に見ていたのだが、これらの論調を見ていると批判する気すら起きない
切通理作然り早稲田の准教授然り、宇野氏に影響を受けた北大の研究生然り、この人たちはスーパー戦隊をきちんとまともに「見て」いないのだなと虚しくなる。
特に宇野氏がnoteに書き起こしている文章で引っかかったのはこのくだりだ。

この『ドンブラザーズ』を一言で述べるならそれはとりあえず「特撮ヒーロー「だから」こそできるスラップスティック」ということになるだろう。特撮ヒーロー「なのに」ではなく、「だから」なのだ。

開いた口が塞がらない、と学会の山本弘やオタキング岡田と同等かそれ以下の論調でスーパー戦隊シリーズに関して述べている。
そもそもスーパー戦隊シリーズの第1作『秘密戦隊ゴレンジャー』からして、シュールなギャグやコメディが多く盛り込まれていたシリーズだった
石ノ森先生なんて途中からギャグ路線どころか「ごっこ」にしてしまった程であり、スラップスティックコメディなんてスーパー戦隊では何も珍しいことではない
上原正三氏も曽田博久氏も初期からギャグ話をたくさん書いていたし、それこそスーパー戦隊で不思議コメディを全般的に取り入れた『激走戦隊カーレンジャー』の浦沢義雄師匠を知らないのか

宇野氏が平成ライダー勃興期を作り上げた名脚本家として賞賛している井上敏樹先生が『超新星フラッシュマン』(1986)の時代から携わっていたことに関しても同様である。
「シャンゼリオン」しかり「アギト」「555」しかり、それらの功績だって「フラッシュマン」〜「ファイブマン」での下積みと『鳥人戦隊ジェットマン』の大成功が下地にあればこそだ。
曽田先生ら当時の厳しいスーパー戦隊のスタッフに揉まれながら脚本家として大成してきたわけで、「ドンブラザーズ」だってそれらの歴史の延長線上に存在している
にも関わらず、平成仮面ライダーシリーズを賛美する人たちはスーパー戦隊が実は細かい歴史の変化を刻みながら今日まで歩んできたことをまるで知らない

「ドンブラザーズ」を傑作だと賞賛するのは大いに結構だと思うが、その内容が明らかにそれまでのスーパー戦隊の歴史の蓄積を無視して突発的な異色作として出てきたかのような彼らの論調は大間違いである。
もちろん私も数字稼ぎと玩具販促に走っている今のスーパー戦隊に対しては批判的だが、それは90年代までの古き良きスーパー戦隊の歴史を知っているからこそだ。
スーパー戦隊の熱心なファンはそれ故に決して安易な様式美のあり方で鋳型にはめるだけでここまで47作品も作り上げてきたわけではないことを熟知している。
しかし、この宇野氏をはじめとする自称「プロの研究家」と呼ばれる人たちはそのことすらも知らないで、スーパー戦隊がライダーやウルトラに比べてチープなガキ向けだと見下す。

私は別に宇野氏だろうが誰だろうが、スーパー戦隊に関してこのようなバイアスを持っている者に対しては容赦無く立ち向かう所存である。
まず、宇野氏に限らないが、スーパー戦隊をライダーやウルトラよりも下と見る人たちに私はこう問いたい。

本当に歴代スーパー戦隊を全作全話きちんと見たのか?

本当に歴代スーパー戦隊を『秘密戦隊ゴレンジャー』から1作ずつ見てきた人たちならば、その歴史が並並ならぬものがあることはわかるはずである。

まず「国家戦争=冷戦」や「学生運動」といった現実に存在していたものが原点であること、「戦隊」という単語自体が本来は軍事用語であること。
そこを起点として、時代に応じて古いものは捨てつつ新しい風を取り入れて、時代に応じた柔軟な変化を繰り返して今に至っているということ。
そうした様々な紆余曲折があることを踏まえて見ていけば、スーパー戦隊は決して「様式美」「5対1は卑怯」といったレベルで語れる安易なものではないのである。
何よりも、ライダーやウルトラが休止を長期間置いて作品を作ってきたのに対して、スーパー戦隊は「ジャッカー」「バトルフィーバー」の間を除いて1作も切らしたことがない。

この事実の裏には何が隠されているのか、その意味でスーパー戦隊は一見シンプルで幼稚なように見えて、実に多面的で奥深いところを持っているシリーズである。
旧帝大や早稲田にいる人たちの研究ですら浅薄さを露呈させているのだから日本の特撮批評なんてお里が知れるし、発展もしてこなかったわけだ。
受け狙いや数字欲しさの為ならば何を言っても構わないとする人たちには、頼むから金輪際プロの面してスーパー戦隊を語らないでいただきたい
スーパー戦隊シリーズはまだ批評の余地が沢山残っているジャンルなのだが、まあその魅力に気づいてくれないのならばそれはそれでいいか。

これからもスーパー戦隊の真の魅力は「知る人ぞ知る」のレベルであまり外にその魅力が知られない方が逆にいいのかもしれないなあ。


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