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『勇者王ガオガイガー』(1997)と『電磁戦隊メガレンジャー』(1997)の意外な共通点〜未曾有の脅威に対して、地球の科学技術では対応できない〜

現在、ふと懐かしさに勇者シリーズを「エクスカイザー」から見直しているのだが、単純にパイロットだけを比較するとシリーズ最終作の『勇者王ガオガイガー』(1997)が一番出来が悪いのではないかと思えた。
まあポスト「エヴァ」の作品ということもあり、勇者シリーズもシンプルな子供向けの勧善懲悪のみを作るわけにもいかず、それなりにシリアスさと陰影のついた「暗さ」が必要だったのは分かる。
なんというのか、個々の要素はそんなにおかしいわけではないし、少なくとも「エクスカイザー」〜「ゴルドラン」までの谷田部・高松が監督をやっていた時代と明らかにテイストを変えてきた。
主戦力たるガオガイガーのデザインやファイナルフュージョン自体は映像のクオリティも含めて個人的に好みではないが、それでも従来のシリーズにない斬新な合体方式なので、そこは時代の洗練として認めよう。

だが、いわゆる米タニ監督や五武先生ら作り手側が「リアリティ」と「熱さ」の融合と称していざ出来上がったものがちっとも面白くない、単純に映像のリズムとしても話のテンポとしても遅い。
まあ主人公・獅子王凱のビジュアルと声優は「マイトガイン」の主人公・旋風寺舞人のセルフオマージュとしてカッコいいし好きだし、あとはギャレオンの顔のデザインも歴代屈指のカッコよさであろう。
ガイガーが子供達を救出するシーンもいわゆる昭和の『秘密戦隊ゴレンジャー』(1975)などの昭和ヒーローでよく見られたバスジャックネタと「子供を守るヒーロー」の原初的な描写として好きである。
また、新宿都庁のビルをはじめとする東京の街並みが細かく丁寧に描かれているからそれはよしとしたいのだが、問題はファイナルフュージョンから護少年が出てくるまでの一連のカットだ

なぜわざわざ合体するだけで承認を得ないといけないのかと思うし、しかも「成功率が限りなくゼロに近い」「そんなのは目安、勇気で補え」の無駄なくだりを入れる。
そもそも合体する流れに至ったのもガイガーがピンチだからというもので、いやそこはガイガー単独の活躍をもうちょっときっちり描けよという話だ。
それこそシリーズの原点たる『勇者エクスカイザー』(1990)の1話を見てみろ、ガイスターの幹部をエクスカイザーはキングエクスカイザーにならずとも単独で圧倒してるぞ
これに比べるとガイガーは明らかにファイナルフュージョンの前座といった描写でしかなく、格下相手には強く出るが格上相手には引いてしまうチンピラみたいに思えてしまった。

しかも1話できちっと完結するのかと思いきや、2話の冒頭でいきなり護が妖精になってゾンダー核の浄化を行い、その後ガオガイガーの破損修理と凱の緊急入院という流れである。
子供向けだから多少のナレーションはいいと思うのだが、どうにも設定も映像の描写としてもきちんと詰めきれておらず、圧縮が足りないという気がした。
この段階ではせっかく獅子王凱とGGGの仲間たちVSゾンダーに的を絞っているのだから、余計な子供達や親子の描写・メカのナレーションを入れる必要はなかったのではないか?
そういう入れなくてもいい説明が無駄に入ってしまっているせいか、ガイガー(ナレーション)→ガオガイガー(ナレーション)は後のOVAも含めてテンポが悪い

画面に詰め込む設定の情報量を増やしたのはいいのだが、そこからスピーディーに話を転がして繋いでいくための省略・引き算ができていないために流れが断絶してしまっている。
シリーズ最終作だということを踏まえても言い訳にならないレベルでクオリティーが低いのだが、でもよくよく思い返せばこれは同年の『電磁戦隊メガレンジャー』もそうだった。
あれもやっぱり初期の段階でしっかり諸設定や映像のリズムなどが詰めきれていないために、全体的にぶつ切りというかスムーズに話が転がらないという失敗したパイロットの典型である。
だが、両者は図らずもこのパイロットの段階で視聴者に対して1つの印象を植え付けることに成功しているのだが、それこそがサブタイトルに書いてある今回の本題だ。

未曾有の脅威に対して、地球産の科学技術では対応できない!

これは改めて一連のシリーズを見て感じたことだが、「メガレンジャー」も「ガオガイガー」も未曾有の脅威に対して地球の科学技術で作り上げたレプリカの装備一式で挑んでいる
だが、そのレプリカの完成度は決して高くはなく、「メガレンジャー」では突然襲ってきたネジレジアの脅威にINETはやられていてなし崩しに市井の高校生を戦士に選ぶことになった。
結果として敵の撃退はできたものの地球にある科学研究所は壊滅状態になり、おめおめとメガシャトルに乗って宇宙まで逃げるなんてことになってしまったのである。
しかも終盤では脅威を増していくネジレジアに対してどんどん健太たち高校生側の劣勢が目立つ状況が多くなり、終盤では正体がバレて私生活を根こそぎ奪われてしまった。

実は「ガオガイガー」も形は違えど「準備がしっかり出来ていないばかりに無駄なピンチを自軍で招く」という泥縄式の展開が多くなってしまっているのだ。
例えばファイナルフュージョンがそうだが、地球産のガオガイガーは後のOVAで登場する「ジェネシック・ガオガイガー」のデータや技術を無理矢理地球のチンケな科学技術で擬似再現したものである。
つまりそれを生み出した本人にしかわからない未解明のブラックボックスの塊がギャレオン・凱・護にあるGストーンであり、しかも未完成のままぶつけ本番で運用するというアウトなことをしていた。
大河長官は「勇気で補えばいい!」などと誤魔化していたが、このセリフは今はやりの「祈り方が9割」みたいなもんじゃないのかと思うし、同時にIT業界で働くエンジニアたちを愚弄していないか?

フィクションの上とはいえ、試運転すらまともにされていないものをいきなり実戦に投入する、しかもそれを他ならぬ大企業クラスがやっているというのがちゃんちゃらおかしい。
実際そのせいで序盤は特に合体するたびに損傷が出たりパイロットの安全にも支障が出たりといった具合で、敵たるゾンダーもそこを容赦なくついてくる展開になっている。
まあ「ガオガイガー」の場合は最終的にオリジナルのジェネシックまで到達するので、私自身はOVAは擁護しようがないゴミクズ認定だが、オリジナルのジェネシックガオガイガーはそこそこ好きである。
ジェネシックのあの無敵なオーバースペックの描写を見ると、いかに地球産のレプリカであるガオガイガー・ガオファイガーが欠陥だらけであるかということがよくわかるだろう。

しかしこれは「ガオガイガー」だけではなく、例えば同じ地球産の「マイトガイン」「ジェイデッカー」もそのような描写が散見され、「マイトガイン」では合体の失敗はないがやられ描写は多かった。
そして「ジェイデッカー」も試運転すらままらない状態での実戦投入が多くなり、ビルドチームの最初の合体失敗は特にファンの間で印象に残っているのだが、なぜかこんなところだけシリーズで共通している。
まあそれが実際の作品の上で面白いかつまらないかは別として、勇者シリーズには面白いことに純地球産のものは宇宙からやってきたものに比べてスペック・運用力などで劣ってしまうようだ。
そのような技術の問題を「カッコいいからだ」だのといった変なロマンで済ませてしまえる時代ではなくなった今、90年代の科学技術の描写のいい加減さは見るに堪えないものがある

スーパー戦隊でもそれは同じことであり、地球産の科学技術で作られたマシン・ロボットは結構やられ描写が多いというようなことを長谷川裕一が考察していた。
実際、高寺Pが作った「カーレンジャー」「メガレンジャー」「ギンガマン」の中で宇宙レベルのオーバースペックとして設定されているのは「カー」「ギンガ」の2作である。
物語のパイロットを見てもらえればわかるが、例えば「カーレンジャー」のクルマジックパワーで与えられたスーツ・武器・RVマシンは地球規模で収まるものではない。
恭介たちが市井の一般人にもかかわらず宇宙暴走族ボーゾックを相手にまともに戦えるのはもらっている力が宇宙レベルの規格外のものだからであり、単なるギャグ補正だけではないのだ。

「ギンガマン」の星獣剣やアースなどもそれに該当し、ギンガの森の民は地球上で3,000年もの間バルバントの戦いに備えて臨戦態勢で準備してきた戦闘民族である。
だから地球の民として帰化しているものの、呼吸をするように手から大自然の力を衝撃波のように生身で繰り出す様を見るとどう考えても「地球人の皮を被った宇宙人」だろう。
これは私見だが、星獣剣の戦士として選ばれたリョウマたちはそれぞれの星獣が暮らす星から移民してきたと思われる初代ギンガマンの末裔と考えられる。
彼らの価値観が正義が地球人の感覚とは異なっているのはそのせいであり、いうなれば悟空・ベジータ・ブロリーみたいなのが転生して戦っているようなものだ。

90年代に入ると途端に科学技術ベースよりもファンタジーベースの作品が増えたのは科学技術信仰に対する不信のみならず、人智を超えた規格外の力の方が強いという説得力があるからだ
そのあたりも兼ねて見てみると「メガレンジャー」「ガオガイガー」共に「地球産のレプリカの問題と限界」を既に露呈していたのではないかと思えてならない。


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