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「テニスの王子様」にも通じる「時機」と「成功」と「先行者利益」のビジネス論

先程ふとこんな記事を目にしました。

  • 時機を見極めるのは専門家でも難しい。しかし勝負をしないと舞台に上がることすらできない

  • 成功してからの後追いは自分でゲームを変えられるぐらいでないと難しい。しかも成功している方は100倍ぐらいの差はあっという間につけることはできる

  • 成功する時機のスイートスポットは半年〜1年である。それより前より後でも成功することは難しい

  • 一方で準備は数年前からはじめていなければならない

記事は「テニスの王子様」とは全く関係ない「ビジネスの成功論」に関する記事だったのですが、これってビジネスだけではなく色んなことに言えるのではないでしょうか。
特にスポーツはこれが本当に大事であり、どんなスポーツでもプロの世界でそれを生業にして行こうと思ったら幼少期からその経験を積んでいないと遅いんです。
しかもその上で「ここがチャンス!」と言えるスイートスポットを見極めてその流れに乗る必要があり、これぞまさに「チャンスの神様は前髪しかない」でしょう。
それより前でも後でも成功することはできず、だからチャンスを逃すということはそれだけ後々の人生で大きな損失が発生してしまうのです。

そしてこれを「テニスの王子様」に照らし合わせて鑑みると、実は恐ろしいほどこの法則で描かれていることがわかります、少なくとも中学生に関してはそれが多大に影響しています。
なぜ「テニスの王子様」という作品において青学の手塚国光と越前リョーマが青学の「柱」として同じ天衣無縫の極みに目覚め、作品の根幹を成していたかというのは決して「才能」だけではありません。
「テニスの王子様」は通常のジャンプ漫画の逆張りで「努力」「友情」「勝利」ではなく「才能」「環境」「勝利」の三原則で作られていますが、かといって単純な「才能>努力」でもないんです。
まず意識の問題として、「テニスの王子様」には「楽しむ>努力>才能」の原則が敷かれていますが、実はこれが今現在突発的に出てきた者ではなく、先人が名言として残しています。

[原文]
知之者不如好之者、好之者不如樂之者(これを知る者はこれを好む者に如かず、これを好む者はこれを楽しむ者に如かず)

[訳]
賢者はそれを好きな人には及ばず、またそれを好きな人は楽しむ人には敵わない→才能ある者は努力家には及ばず、また努力家は楽しむ者には及ばない

孔子の論語(雍也第六_20)

そう、かの孔子先生がはっきりとこの言葉を残しており、おそらく許斐先生はこの辺りもきちんと勉強なさった上で出力されているのではないでしょうか。
そして「テニスの王子様」の中で上位陣とされる者たち、「新テニ」だとU-17杯の日本代表として選ばれている人たちをこれにカテゴライズしてみます。

  • 才能ある者=不二周助・亜久津仁・千石清純・忍足侑士・千歳千里

  • 努力する者=跡部景吾・幸村精市・真田弦一郎・柳蓮二・切原赤也・仁王雅治・来手英四郎・白石蔵ノ介

  • 楽しむ者=手塚国光・越前リョーマ・遠山金太郎

このような感じになりますが、ご覧いただければわかるように天衣無縫の極みに到達した3人を最強とすると、その下に跡部様・立海・来手・白石が来て更にその下に不二たち才能の塊が来ています。
もっとも不二は最近「努力する者」「楽しむ者」に肉迫しつつありますがそれでもまだまだですし、遠山も「楽しむ者」ではありますが、それでもまだ越前リョーマや手塚国光の域には到達できません。
なぜなのかを考えていたのですが、そこで大きなヒントになったのが最初に述べたビジネス論の成功法則として紹介した上の記事であり、これによってだいぶ疑問が氷解しました。
上記で紹介した4つの要素を集約すると「時機」「準備期間」「成功」「先行者利益」になるわけであり、ここまで見ていって漸く「テニスの王子様」における強さランクが決まります。

まず「時機」ですが、これは原作の地区大会〜全国大会まで、そして「新テニ」の合宿期間中であり、ここまではまあよしとしましょう。
次に「準備期間」ですがこれが実はとても大きく影響していて、例えば手塚・越前・跡部様・幸村・真田辺りは幼少期からテニス教育を受けていたことが示されています。
3つ目の「成功」に関しては、上位陣はJr.テニストーナメントで優勝するといった試合経験をたくさん積んでおり、それがあった上で更なる舞台で活躍しているのです。
最後の「先行者利益」ですが、その上で独自のテニススタイルを先んじて築き上げて他との差別化をきちんと図ることができるかどうか、というポイントになります。

ここまで見ていくと手塚国光と越前リョーマの2人が天衣無縫に到達した中学生の中でも特別なのはこれらの成功者の要件を全て満たしているからなんですよね。
越前は毎日父親と打っていて幼少期は兄のリョーガともテニスしていましたし、手塚も小学6年生の時にはすでに手塚ゾーンも百錬自得も習得済みでした。
そして手塚国光が中学3年になった時にアメリカのJr.大会を4連続優勝した越前リョーマが入学して青学は強くなり、越前もまた無我の扉をどんどん開いて実績を積み上げていきます。
これらがあった上で最後は自分の原点である「テニスを心から愛おしく楽しむ」という原点に立ち返ることで「自分軸」が完成し、天衣無縫に至ったわけです。

この縮図は「新テニ」に入っても変わっておらず、どれだけ跡部様や立海メンバーが強化され進化しようとも、許斐先生の中で最強は間違いなく青学の柱コンビなのでしょう。
その点可哀想というか不利なのは遠山金太郎であり、彼は「時機」「成功」はちゃんと掴めているのに「準備期間」が圧倒的に不足している余りに「先行者利益」を受けられないんですよね。
もちろん遠山金太郎だって先天的な身体能力や潜在能力はずば抜けていますが、それでも越前リョーマや手塚国光を相手に勝てるかと言われたら間違いなく勝てないでしょう。
何故ならば青学の柱コンビは準備期間と小さい頃から積み重ねてきた実績に積み重ね、そこから生まれた根底的なテニス哲学の深みが圧倒的に遠山とは違うからです。

そして不二周助が越前リョーマと手塚国光に敵わないのも、亜久津仁が越前リョーマに敵わないのもそこにあって、まず準備期間と積み上げてきた実績に歴然たる差があるんですよね。
だから目に見える描写以上に不二と手塚、亜久津と越前の埋められない差は大きくて、そこを埋めて行こうと思ったら最低でも柱コンビの数倍は努力し経験を積まないと難しいでしょう。
ただ、越前も手塚も基本的にテニスが大好きでテニスと結婚していると言っても過言ではないくらいテニスの虫ですから、少なくとも「新テニ」の段階では追いつくことは不可能と思われます。
そして遠山金太郎も越前リョーマの数倍は努力し実績を積み重ねていかないと越前リョーマのいる高みには到底追いつくことはできません。

この点でいうとどうしても微妙なのが跡部様、立海メンバー、白石たちなのですが、彼らも天衣無縫に対抗できるようになったものの、それでもやはり柱コンビには敵わない気がします。
柱コンビはスコアの上で負けたとしてもそれで自分たちのテニスが根幹から揺れることがないし、テニスを楽しんでやっている以上どうせきっかけがあれば無限に進化し続けるからであろうからです。
なんかそう考えると、「テニスの王子様」って「青学が如何に強敵に勝つか?」ではなく「ライバル校が如何に越前と手塚に勝つか?」みたいな話に見えてきますね。
10年後もこの2人はずっとテニスで生き続けていくでしょうから、許斐先生、是非ともプロの舞台で越前リョーマと手塚国光の最高の試合をお願いします。

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