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元自称進学校出身の私が「自称進あるある」の真相10選を語る!当てはまった人は自称進の闇に飲まれないよう気をつけろ!

さて、ここまでは私の受験体験記に纏わる様々なエピソードを話してきたが、今回は視点を変えて自分が卒業した高校のことについて話してみたい。
私が通っていたのは某田舎の普通の県立高校で、今風にいえば「自称進」と呼ばれる高校であり、私が通っていた頃はまだできて20年くらいの歴史の浅いところだった。
何がめんどくさいって一番は「地理的にめんどくさい」であり、なにせ学校が丘の上に立っているという物凄く不便な立地条件の学校である。
校舎まで100段もの階段を通って登下校をしなければならず、こんなことなら他の高校にしておけばよかったとさえ思っていたくらいだ。

また、今思い返すと「本当に何でこんなものがあったんだろう?」と思うくらい無駄が多く、私が現役生だった頃の自称進の特徴を紹介してみよう。
もしこれを読んでピンと来た、もしくは「あるある」と頷いてしまったらそれは自称進の可能性が高いので要注意である。

私が経験した「自称進」の実態10選

まずは私が「自称進」を3年間生活した時に本当にあったことの中で、「特にこれは危ない」と思ったものを10個選んでみた。
無論「今はそうじゃない」「真実は違う」というのもなくはないが、ほとんどが現在の自称進にも通じていると思われる。
私が通っていた自称進は主に以下のような特徴を持っていた。

1、特別クラス=天才の集まりというくだらない選民思想

一番にあったのは特別クラス=天才の集まりというくだらない選民思想であり、これぞまさに「井の中の蛙」というやつである。
私が通っていた自称進は1年の時に1クラス、そして2年と3年の時にはそれぞれ文系と理系に1クラスずつ「αクラス」という特別クラスがあった。
学校の定期試験や実力テスト・模擬試験の点数を基にクラス分けがなされ、当然教科の担当となる先生も上位の先生が呼ばれる。
私は文系のαクラスにいたが、今思えば何ともくだらない区分けであり、受験生のランクとしては所詮底辺でしかないと思う。

私の学年では確かに東大・東京外大・お茶の水といった難関大に合格した者はいたが、精々1名ずつくらいしかいない
あとは地方の駅弁大学か私立のMARCHに指定校推薦で受かるか、中には専門学校を選択する者さえいるのだから驚きだ。
はっきりいっておくが、αクラスといっても所詮は井の中の蛙であり、超有名進学校からすれば「雑魚」としか思われないような人たちである。
だが、他のクラスの奴らからすれば「αクラスだから凄い」という変な羨望があるらしく、そういうナンセンスな区分けがあった。

2、無意味な国公立至上主義

2つ目に、これは今でもままあるが、何故だか自称進の先生たちは揃いも揃って国公立至上主義であり、私立をやたら見下す傾向がある。
しかし、たまたまの偶然なのかもしれないが、私が文系αにいた2・3年次の担任や副担任の先生は決して私立受験を否定しなかった
むしろ2年の時から「知る人ぞ知る私立大学」として語学の獨協大学や南山大学、関関同立も積極的に勧めてくれている。
何より副担任の数学の先生は現役時代に受かった地方の国公立を蹴って立教に進学したということから、私立受験にも理解を示してくれていた。

だが、それ以外のクラスではやはり頭が固い先生が多いのか何故だか執拗に国公立大学を受験するように勧められたらしい。
しかもこれがいちばんの問題なのだが、生徒の意思や適性を無視したワンランク上の大学を受けさせようとしてくるから困ったものだ。
おそらくは進学実績を作りたいという功名心のようなものが働くのであろうが、はっきり言ってこんなのは何の意味も持たない。
生徒の進路はあくまで生徒と親御さん自身が決めるべきことなのに、そういう頭の固い連中が進路指導までやっているのだから始末に負えない。

3、模試の結果に一喜一憂する

これもまた自称進にありがちな特徴らしいが、模試の結果にとにかく一喜一憂しがちで、しかも何故かやたらに進研模試を受けさせたがるのである。
西日本の自称進は特にベネッセとズブズブの関係にあるらしいが、あんな糞の役にも立たぬ模試を3年間も受けさせられるのは地獄でしかない
しかも1年か全統模試・駿台模試・代ゼミ模試といった大手予備校の模試を大量に受けさせられ、土日までわざわざ学校に駆り出される始末である。
ただでさえ丘の上にある学校で3年間もそれをやるなんて苦行でしかないのだが、生徒だけならまだしも先生までが模試の結果に一喜一憂するのだ。

なんども述べてきたように、模試に一喜一憂するのは「ドラゴンボール」でいうところのスカウターの数値に依存するのと同じ危険行為である。
模試は所詮模試であり本番で結果が出せなければ意味がないのに、それがクラス分けや内申にまで響くのだからたまったもんじゃない。
いうなれば、自称進の生徒も生徒も根本の思考力がナッパやキュイのようなフリーザ軍の雑魚兵レベルでしかなく、精々良くて二流止まりだ。
上位の進学校になればなるほど模試なんて「時間の無駄」くらいにしか思っていないのが現実であるが、その現実を知らないのである。

4、難関大志望というと笑われる

これは特に自称進あるあるなのだが、何故だか難関大志望を口にすると周囲がこぞって「お前にはそんなとこ無理」と否定してくるのだ。
所詮情報量も少なく受験への意識が薄い井の中の蛙だから仕方ないのかもしれないが、本当に自称進のバカどもは意識が低い
これが雑魚の普通クラスまでならともかくそこそこできるαクラスの連中までがそう言ってくるのだから救いようがない。
特に私の中で九大の文学部志望のやつが私に対して「お前は所詮英語と国語しか取り柄がねーんだから東京外大諦めろ」とマウント取られたことははっきり覚えている。

まあそいつがどうなったかといえば、前期後期ともに九大に落ちて私立受験も全滅、大学進学のお金がないからニートまっしぐらの日々へと落ちたわけだが。
受験において最も大事なのは「環境」であり、周りに難関大志望が当たり前にいる環境では相乗効果で自然に意識が難関大へ向かい「俺だってできる」となる。
しかし、自称進では「俺の学力じゃどんなに頑張っても」という諦めの意識が頑強に巣食っているのか、やたらと意識が高い連中を後ろ指さして腐す連中ばかりだ。
そんな奴らがどうなったかといえば、大体私立のFラン大学か、良くても精々地方国公立のショボいところにしか進学できていない。

5、地方の駅弁大学ですら「神」扱い、難関大は「雲の上」

これもありがちなのだが、地方の駅弁大学ですら「神」扱いされ、東大京大早慶のような難関大クラスになると「雲の上」として崇め奉る傾向がある。
4と並んでありがちなことなのだが、自称進の連中は先生も生徒もこぞって「難関大なんて無理」「駅弁大学に受かれば神」という扱いをされるのだ。
私立の有名進学校である灘開成筑駒辺りの人たちからすれば信じられないかもしれないが、自称進の大学の認識なんてこんなものである。
何故こんなことになるかというと、自称進は所詮情報弱者であり、実は難関大をどうやって突破すればいいかという方法を知らない。

難関大をどうやって突破すればいいかも知らないし、そこに受かる人たちがどういう層の人たちなのかということも当然わからないのである。
逆にいえば難関大クラスの攻略法をまずきちんと押さえていれば、東大京大クラスだって合格するか否かは別として挑戦権を手にするくらいは可能だ。
そこをやらないからいつまで経っても「雲の上」から意識が変わらず、難関大なんて所詮は雲の上の存在だというクソみたいな認識から変化しない。
受験はほとんどが「情報」で決まる、情報がきちっと押さえられていればどうやって攻略するかも見えてくるのに、それをやらないから井の中の蛙のままだ。

6、夏・冬・春課題の量が無駄に多い

自称進で一番めんどくさいのが夏・冬・春の休みの課題の量が無駄に多く、しかもその課題が特別大学合格に結びつくわけじゃないのも自称進の特徴だ。
特に夏はほぼ毎日補習がある上、休みですら「ほらお前らこんだけの課題やれよ」というしょうもない課題ばかりで、全くやる気が起きない。
その癖課題をやってこないと怒られるのだから始末に負えない、勉強とはただ課題の量をこなせばいいというものではないのだから。
確かに課題をこなせば「勉強をやった」という既成事実は残るかもしれないが、そんな既成事実がなんになるというのか?

そんな自称進の連中に限ってノートの取り方だけは上手かったり、あるいは「こんなに勉強しているのに成績が上がらない」と不平不満を述べたりする。
当たり前だ、勉強は「量」以上に「質」が大事であり、大学合格するにはその「質」をどれだけ内実のあるものにできたかが大事なのだ。
自称進のいわゆる「できたつもり」「勉強したつもり」の奴らは「つもり」で終わっていて「実戦で点数が確実に取れる」というレベルに至っていない
また、先生自身もどう勉強すればいいのかということを教えないから、ただ闇雲に勉強しただけという空虚さしかそこには残らないのである。

7、文武両道という割に勉強も部活もパッとしない

これも自称進あるあるだが、やたら「文武両道」という割には勉強も部活もパッとせず、大した実績を残せていない
1〜6までに述べてきた特徴のせいで、勉強も部活もしっかり充実したものにしようという意識が根本的に薄いのである。
しかも部活に関しては無駄に練習時間が長いし、帰ったら帰ったで無駄な量のしょうもない宿題が待ち受けているのだ。
文武両道とは所詮口だけであり、大概はどっちつかずの中途半端な器用貧乏に終わってしまって大した実績を残せない

別に部活をやるなとは言わないが、その部活に一生懸命になりすぎて結果が出なかったとしたら本末転倒である。
スポーツの強豪校に行って将来スポーツ選手になる人は別として、ほとんどの人はアスリートとして食って行くのは不可能だ。
だから下手に部活に入るくらいなら帰宅部を選んだ方がマシだし、実際私も帰宅部を選択していた。
無論部活をやってもきちんと結果を残す人はいたが、そんな人は学年に300人いる中の1人か2人である。

8、無駄な朝課外・放課後課外

今では廃止されているらしいが、私が通っていた頃には「0限」とかいって、クソみたいな朝補習があった。
もっとも私が通っていたところでは朝課外は去年(2022年)から廃止されたらしいが、問題は朝課外だけではない。
3年になると無駄な放課後課外が増える上、土曜の午前中には変な選択課外という名の変な課外授業がある
これがセンター・二次対策になるならまだしも、今思えば何の対策にもなっていないのだから意味不明だ。

こんなことするなら内職していた方が遥かに学力は上がるのだが、自称進の先生たちはやたらに内職に厳しい。
ぶっちゃけあんな質の低い授業を放課後になってまで受けるくらいなら、今の時代ならスタサプを使った方が効率がいいだろう。
予備校講師の授業もYouTubeなどでも見られるのだから、そっちを使った方がよっぽど成績が上がるというものだ。
だが自称進のアホな先生たちはそういうものに否定的で「俺たちの授業を信じろ」だのと押し付けてくるから困る

9、3年になっても学校行事に駆り出される

これは私の学校だけかもしれないが、自称進では何故だか3年になってまで無駄な学校行事に駆り出されるから困る。
まあ2年終わりの修学旅行程度はまだしも、何故3年になってまで文化祭や体育祭に参加しなければならないのか?という話だ。
しかし、自称進の奴らはαクラスも他の奴らもそういうしょうもないイベントに限って無駄にやる気を出すから困ってしまう。
受験まで半年もないというのに文化祭で受験生が合唱をやっているなんて受験のプロからすれば「舐めている」と思われるのがオチだ。

超有名進学校ではそのような学校行事は全て2年までで終わらせて3年になったら受験勉強に特化して1年間受験のみに集中する。
しかもその中で東大京大のような難関大に進む連中は2年次に東大理科I類や理科Ⅱ類の模試でA判定を余裕で取る連中ばかりだ。
難関大を目指そうと思っている自称進の人たちはそのような受験に特化した化け物たちと戦って合格しなければならない。
そういう厳しい現実があるとも知らず学校行事に精を出している3年生の姿は今考えると何とも滑稽である

10、無意味な「補習科」の設置

今となってはもう廃止されているが、私が通っていたところにはいわゆる「補習科」なるものが存在していた
これは本当にごく一部の自称進にしかないのだが、そのごく一部に該当していたのが私のいたところである。
補習科とは受験に失敗して浪人する羽目になった人たちが特別に1年だけ払って受験勉強に専念するというものだ。
だが、はっきり言ってもう1年勉強する機会を設けたところで所詮は自称進だから高が知れている

実際、私の学年で補習科に行った連中でめぼしい実績を残せたのはわずか2名くらいしかいない。
1人が九大でもう1人が名古屋大、後は地方の駅弁大学か名もなき私立のFランばかりである。
補習科なんて所詮はぬるま湯の環境の延長線上でしかなく、そんなところに行って学力が上がるとはとても思えない。
私がK予備を選び補習科に行かなかったのもそのことがわかっていたからである。

まとめ

このように、私が通っていた自称進とは詰まる所「間違った指導法で生徒の可能性を潰してしまう学校」といえるであろう。
もしこの記事を読んでみて「あるある!」と思った方、現在そのような自称進に通っている現役生は注意していただきたい。
自称進の先生たちは受験業界の現実を知らない無能ばかりであり、自分たちがどんな連中と戦うことになるのかを知らない情弱である。
そのような情弱に毒されないよう、まず大学受験の現実をしっかり調べ上げてから十分な対策を立てていただきたい。

幸い今ではネットで大学受験の情報は簡単に調べられるし、オススメのスタディサプリや無料公開の授業など環境はいくらでも充実している。
ネットがそこまで発達しておらず情報格差が酷かった私の頃と比べて、今では田舎にいようとスマホやネットを使えば情報収集は可能だ。
高校3年間を決して無駄にせず、大学合格に向けてしっかり戦略・戦術を立てて本気で勝ちに行って欲しい
そして自称進の人たちもまた自分たちがそう言われているのだという現実をきちんと認識して、本当に大学合格に必要なことをお考えいただきたいものである。

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