(再再掲)第二外国語・初修外国語でロシア語を学ぼうと考えている新入生へ

このたびは,合格,おめでとうございます。

ロシア語を大学で学ぼうと決めていた人,迷っている人——皆さんはいま極めて複雑な気持ちにいると思います。無理もありません。皆さんにこうして手紙をしたためている私自身そうですから。2月24日に始まったロシア連邦によるウクライナへの軍事侵攻は,一瞬にして世界を変えてしまいました。

ロシア語を勉強しようとするとき,その目的は様々かと思います。そのうち一部の目的は,今回の戦争で間違いなく損なわれたでしょう。また,ロシア連邦が世界において著しく評判を落としたのも確かでしょう。文化人類学の立場からシベリアを研究してきた者として,私自身がこれまで築き上げ,また,成し遂げていこうと思ってきたこと——たとえそれがごく僅かばかりのものだとしても——の一部分は確実に崩壊しました。ロシア語と向き合う姿勢もまた,以前と同様という訳にはいきません。

ですが,二つのことを皆さんに伝えたく,この手紙を書いています。

第一に,ロシア語が使われるのはロシア連邦だけではありません。ウクライナでもバルト三国でも,中央アジアでも使われています。機会があれば授業でお話しますが,こうした国々でロシア語を話す人が持つ対ロシア観は一筋縄ではいきません。自分のことをロシア人と思うが,ロシア政府には批判的という人もたくさんいます。ロシア語しか話せないウクライナ人もいます。戦争が始まってから私はニュースからなかなか離れることができず,数々の映像に接してきました。ウクライナから届けられる声のかなりがロシア語でした。もちろん,もう自分はロシア語を話さない,ウクライナ語しか話さない,とインタビューに答えている人がいましたし,ウクライナ市民のロシア語感情に否定的側面が強いのも肯けます。ですが,ある国に一つの言語があり,別の国には別の一つの言語があるというように世界を捉えることは,事実認識として誤っていますし,侵攻を許容しかねない敵対的思考にも思えます。

第二に,言葉には受け取られる義務を持つものもある,ということです。受け取るべきか否かを判断するのは各個人ですので,私自身の見解を書きます——。今回の戦争において,すぐに受け取るべき言葉と私が考えるのは,死にゆく人の苦痛の呻き,愛する人を亡くした人の慟哭,そしてこの戦争に反対する人々の声——特に,十日間の拘留が待ち受けながらも街頭で戦争反対の意思表示をするロシアの人々の声です。この声の大多数はウクライナ語であり,ロシア語——「ニィエット・ヴァイニェー」と発音されます。書くと«Нет войне!»となり,直訳は「戦争に否!」となります——です。

デモをしたことがあるでしょうか。私はあります。デモの意義は幾つかありますが,意思表示をしながら街中を歩くことで,その意志が他者に見えるものとなることがとりわけ重要な意義です。伝わってほしいと思う相手は,そのデモを間近に見ている他者ですし,時には自分を待ち構えている警察も,たとえ伝達成功の可能性は極めて少ないにしても,含まれるでしょう。また,マスメディアによってその場にいない人にも出来事が伝えられ,その結果何らかの力を得られるというのも重要です。手紙をいれた瓶を海に投げるような思いで——つまり,ほとんど届かないだろうが,届く可能性が万に一つもないわけではないという思いで——言葉を放ちます。この場合,大海への投瓶というイメージよりも,街中のデモでの声ですから空中に音を飛散させる感じ,あるいは,言葉ですから,小さな葉を大空に飛ばすというイメージでしょうか。すぐさまシャボン玉のように消えてしまうでしょうが,遠くに着地する植物の種のように,どこかで誰かが受け取ってくれることを期待します。だからこそ,デモのプラカードは,その地域で一般的に使われる言語のみならず,様々な言語で書かれるのです。多くの人々に着地し,発芽し,次の言葉や行動につなげてもらうために。

こうしたことを多くの詩人が,立場や技法は異なりながらも,捉えていたように思います。ウクライナを代表する詩人タラス・シェフチェンコは,

わたしの詩,わたしのこころの想念よ,
わたしの花,わたしの子どもたちよ!
手塩にかけて育てあげ,見守ってきたおまえたちを
いま どこに送り出したらよいだろう。

と歌いました(藤井悦子訳)。また,「いつの日にかどこかの岸辺に流れつくという信念の下に投げこまれる投瓶通信のようなもの」と詩を規定したパウル・ツェランは,

来た,来た。
来た,ひとつの言葉が,来た。
夜をくぐってやって来た。
輝こうとした,輝こうとした。

と歌いました(細見和之訳)。

放たれた声を受け取るか否か,受け取るのであればどう受け取るのか,それは皆さんが自分で決めてください。いずれにしてもまずは声を理解しなければなりません。受け取るにあたって必要な力がロシア語力であることは言うまでもありません。私は,耳を澄ませて声を聞こう,目を見開いて読み解こうとする皆さんを,鳥の囀りも豊かな駒場キャンパスで,お待ちする者です。

                                                                                                            2022年3月10日

©渡邊日日(東京大学大学院教員,教養学部ロシア語部会。上記は個人の見解です。)
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©渡邊日日_270


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