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つまらないを集めたら面白いに気づけるし、僕は毎日投稿をやめる

やあ、僕だよ。
連続投稿150日を達成した。つぶやきも駆使してるので実際の記事は111記事だ。
1記事2500文字と考えると、約44万字にもなる。後半、「見出し」を使い始めたのでその分の文字数は本文でないが、どえらいことだと思う。

結論、「書くこと」に対する「やりたくない」気持ちは幻想、勘違い、 食わず嫌いだったのだ。
ひねくれ者で怠惰な、僕らしい結論だよね。

まだまだ書きたいことは山ほどある。
でも人生は優先順位をつけないと「短くなる」ってショーペンハウアーさんも言ってたから、どうしようって思ってるの。

ふむ、この記事の終わりには方向性が見えてるといいな。
さあ、始めようか。

書きたいことは山ほどある

毎日気づくことは多いのに、僕はすぐに忘れてしまう。
特に毎日摂取するエンタメ。最近は観た直後ですら怪しくなってきて、いくつかの記事は「これ大丈夫か…?」と思いつつ、そのままにしてる。

頭の中の有象無象を「過不足」なく伝えようとすると、絶対に「過」になってしまう問題は4ヶ月前からずっと戦っている問題だ。僕の長文は読みづらいし、みっともない。
美しくない文章は大嫌いである。

そこで僕は大いに「不足」した文章に取り組むようになった。
ここでの「不足」は2パターンある。

一つは、思考の「不足」。これは元になる思考からごくごく小さな断片のみ抜き出して、それについて「過」を気にせず書いてしまう手法だ。
現実はもっとたくさんの思考があるけれど、忘れたくないなら手書きノートに残しておき、記事に反映させない。
これのデメリットは面倒なところと、極論になりがちなところだ。

良い例

『名前の哲学』記事の良いところは、結論が簡潔で分かりやすく、それに至るまでの思考の順序も単純ですっきりしている。
この本を読むまでに考えてたことがたまたま積み上がっていたせいだ。
これが毎回出来たら言うことはない。

であれば、脳内僕ACが額を突き合わせて苦悩しながら考えてる、この問題はさして重大でなかったとも言える。
強いて言うなら、なるべく純粋な「命名」であればよいということだ。「なにものでもない」、つまり「なにものにでもなれる」存在を邪魔しないようにするのが好ましい。

この結論が前半に出せたので、後半は強化する根拠や付随する問題に触れる余裕があった。
何より、極論ではあるものの、この結論が僕の一番記録したかった思考の断片である。

悪い例

『オタク女子が4人で暮らしてみたら。』記事の良くないところは思考の断片の選択をそもそも誤ったところにある。
というか、選択しきれなかったという感じ。

矛盾しているみたいで恐縮だけれど、だからこそ僕も聞くばかりでなくてたくさん話すことが出来て楽しいというわけだ。

結局何が言いたいって、友だちが少なくたって最高に相性がいい友だちがいればそれでいいってこと!

つまらない話をする人云々のくだりは別記事で扱うか、あるいはそれだけに特化するべきだった。
最後の最後で「これ僕の書きたかったネタじゃない!」と気づいて、無理やり友だちの「相性」について結論を述べている。本来は「相性」のことを掘り下げる予定だった。
そのせいで、つまらない話をする人云々のくだりも極端なだけの一般論に終始している。あまり美しい記事とは言えないな。

「不足」パターンのもう一つは、表現の「不足」。そのままだけれど、要はTwitterのように読みやすさを重視して、修飾や述語(果ては主語までも)を極力削ぎ落としてしまう手法だ。
そもそも僕は僕のために書き始めたので、想定する主な読者は僕。つまり僕が理解出来てればいいのでは、という身も蓋もないやり方である。
デメリットは誤解や混乱が生まれることと、内容が薄くなることだ。

いい例

『蜜蜂と遠雷』記事は非常に抽象的な話で分かりづらい。が、「創作物」とは何か、「創作物」たりうる条件とは何か、ということをシンプルに言い切ることで最低限読めるようになっている。

しかし、何も別の誰かでなくてもいい。
君自身だって今、この瞬間生きている人間なのだから、君こそが「世界」とも言えるんじゃないかな。

であれば、「創作物」を「創作物」たらしめるのは、作った君がそれを「贈り物」だと認識した時だ。
君は何を受け取るのだろう、そしてまた君は「世界」へ何を返すのだろう。

これもまた、僕がエンタメ摂取しながら頭のどこかで考えていたもののように思う。
それが『蜜蜂と遠雷』とたまたまシンクロした。僕の良さげな記事は概ね、ラッキーで出来ているらしい。
これが毎回出来たら言うことはない(本日2回目)。

悪い例

『トラブロフ』記事は修飾や述語を削ぎ落とせなかった典型的な記事だ。

一方で続かなかったものを振り返ってみるといずれも「気持ちよくなかった」ものばかりだ。 
カポエイラは僕の苦手な人付き合いを休みの日にしなければならないし、イラストやギターや中国語はそれらしい形になるまでじっと待つのが苦痛だった。

F1は真夜中に起きるのが面倒になった(受験期に深夜起きていたから観続けていただけだったのだ)し、古着リメイクは実用性皆無のものばかりなのに無駄に時間がかかるから不器用な僕にとってはストレスでしかなかった。

こうして見ていくと、F1以外はその趣味の理想に至るまでの作業に「気持ちいい」を見いだせなかったものばかりだ。

これは「スキルを習得するのに一定の時間がかかるような趣味は、スキル習得の作業自体を楽しめないと趣味として成り立たない」と言いたいだけの文章である。
例え話が多すぎて何が言いたいかわからない。例え話を全部排除すれば、F1の「習慣になったものはそこまで興味がなくても趣味になる」話を掘り下げる余裕すらある。

また、この日の散歩を「気持ちいい疲れ」と表現しているようだが、実際とても疲れていた。それで削ぎ落とし作業がおっくうになったのだ。
スマホで書くのもストレスだったしね、仕方ない。

いずれにしても、みっともない文章を改善するなら、どちらの「不足」パターンも良い手法とは言えない。特に時間がない時はやめた方がいい。
もういっそ長さを気にせず、書いてしまった方がいいんだろうかとも思うが、細かく書き直したくないんだよね。

他の人の記事は長くても読んでられる

これは多分、かなり時間をかけて丁寧に推敲していらっしゃるんだと思うんですよ。
noteに限らず、紙のエッセイでも、web記事やコラムでも、1万文字2万文字は平気で超えてくる。
むしろ、5000文字くらいは短い記事にあたる。僕の記事は4000文字でも長く感じるのだが。

とはいえ、連続投稿100日の時に「書くこと」でお金もらったって自慢したあれが、まさに5000字相当のエッセイ記事。
画像選定もあって僕はリテイクがどれだけ入るかドキドキだったんだけれど、誤字脱字の修正のみでそのまま納品になった。
「想像よりずっと良い」というお客さんの社交辞令が嬉しかった。

それに、「もしかして僕の文章は自分が思ってるより長文に堪えうる文章なのでは」という疑惑が出てきた体験でもある。

つまらないのはネタか文章か

君たちみんな忘れてるだろうけども、僕は元々「話すこと」の方が得意で、それは双方向のコミュニケーションがあるから、つまんない話を極力しないようにリアルタイムで音声の強弱や表現選択を修正できるおかげっていう話だったよね。

※ここにも書いてある。

有り体に言えば、ごまかしが効いてしまうのだ。
でも文章にはごまかしが効かない。つまんない話はつまんない話で帰結する。取り上げるネタ自体によっぽどの魅力がある場合を除いて(世の中にエログロ下世話トピックスが跋扈するのは文章力がなくても面白いからである)。

凡人の僕の気づきでも、「それなりに面白い」ものもある。でも、僕の文章ではつまんない話になる気がしてならない。

ふいに梅棹先生が、いいアイデアだと思ってもいざ書き起こしてしばらく放っておくと平凡でつまらないものに成り下がってる、みたいなことを書いてたのを思い出した。
であれば、「それなりに面白い」ものが本当はつまらないものの可能性は十分にある。

今まで僕はこの事実から目を逸らし続けてきた。
周りも、自分も、ごまかすことが出来てしまった才能の弊害である。

ぼぼぼ、ぼくは面白い人間だし!

僕はすぐに嫉妬する。
一番の嫉妬対象は巨乳である。欲情するのに憎しみが湧いて出る。僕が女の子にそういう
感情を持つのは、過ぎた憎しみに身を焦がさぬようにと神様が配慮してくれたからじゃないかと思う(多分違う)。

あと秀才イケメンに対する嫉妬も尋常じゃない。生理なしでそのスペックを持つなんて理不尽にもほどがある、と思っているのだ。
イケメンはどこか頭のネジが吹っ飛んでるか、秀才はちょっと顔が崩れててくれると推せる。僕はきっと乙女系エンタメにはハマれない。

何が言いたいのかというと、僕は劣等感のかたまりで、さらに「つまらない」という要素が足されると目も当てられない人間に成り果ててしまうのである。
僕は一応、「それなりに面白い」人間というカテゴリーだったから、自分に対して嫉妬するのを許していたのだ。

まずい、まずすぎる。こんなのってないぺこじゃん!
(兎田ぺこら嬢の口癖は汎用性が高い。)

かといって嫉妬はやめられない。
とみに最近は、劣等感が地の底で夫への嫉妬も募りに募っている(こいつも煽ってくるのだ、嘆かわしい)。
それなら、本当の本当に「それなりに面白い」人間になるしかあるまい。

例えばチロルチョコの包装紙

食費20万近いという大富豪の生活をしていたツケで、現在僕の家は倹約フェーズ。終日ラジオがかかるような激安八百屋に、ちょくちょく立ち寄るようになった。
そこでこの間ゲストが来ていたのだけれど、チロルチョコの包装紙収集家だった。

そんなもの集めて何になるっていうんだ!

こちらの森のカルロス大根さん、もとい加藤諒さんである。
上記の記事でも話題に出ている、ゲーセンの話をラジオでしていたのだ。

加藤さん曰く、「UFOキャッチャーで大量にチロルチョコを獲った時同じMILKの包み紙でも微妙に違う」と気づき、それが「面白い」と思ったから、包装紙を本格的に収集するようになったらしい。

MILKは、珍しいチロルチョコでも高級なチロルチョコでもない、ド定番のチロルチョコである。
しかも、中身ですらない。包装紙だ。
取るに足らない「つまらない」ものだ、本来は、、、

それが「大量に」ある時、新たな気づきが生まれ、「面白い」となるみたいだ。確かにこれは、僕が意識しつつある「思考の深度」ってやつに似てる。

梅棹先生もにっこり

論文や本の元となる「原稿」の書き方で、アイデアを書き留めた「カード」を蓄積し、整理すればおのずと出来上がるもの、というのは梅棹先生の方法論だ。

一つ、二つ、自分のネタが「つまらない」といって、すべてを否定するのは些か性急が過ぎる。MILKの包み紙は集めてこそ、面白さに気づけるのである。
皆がネタ帳を作ってるのはカッコイイからだと思ってたんだけれど、違うのだ。僕知らなかったよ。

あとは文章が「つまらない」かどうか。これはもう一度いくつか長文化実験(文字数気にせず書いて丁寧に推敲する実験)してから考えよう。今はよくわからん。

文章でちょこちょこお金もらうと、編集の人すげえってなるよね。
マンガとかドラマだと脇役なことが多いし、主役でも苦悩するのは大抵物語をつくる人たちだから、大量の記事をさばく編集の人の大変さを緻密に描いたエンタメをみてみたい。

閑話休題。今何文字よんせんもじだ?

僕は長いと思う…。

でも、まだまだ「つまらない」を忌避する理由も、推敲のやり方も、夫に嫉妬した詳細も書けていない。
作業がスマホであるせいで、ここまで書くのに4時間かかっている。4時間だ!入院中、記事を書くのにそんな時間を取れるはずもない。

iPadの新作発表は4月予定。型落ちが一番安いのはその発表直後。僕は3月に出産だ。
子どももいるし、キーボードの方が手に馴染むし、何より速さが全然違う。
痛いのはどうだっていいんだけれど、産後うつが怖すぎる。

そんな時も、ベッドの上で原神が出来る。
そう、iPadならね。 

買う?買っちゃう?
今週予算的に100円も使えないのに、iPadを買うという傾奇かぶき見せつけてく?

そして僕はまたメルカリで2時間消費する。この先150時間上乗せて消費するなら、よっぽど10万円で買ってしまった方がいい。15時間1万円。なかなか良いラインを突いてくる。
いや、安くなっても結局買うのだから、今買った額と将来の値下げ額の差額が150時間の値段だ。半額(絶対ならないけど)だったとしても7.5時間1万円。もう買いだ!買い!

ここで突然のお知らせ

マガジンを作り直したんだ。
理由?僕が自分の記事を見つけられないからだよ!

他はマガジンページから見てくれると嬉しいな。
あと、前から宣言していた出産レポだけれど、下のマガジンにつぶやきも記事もまとめていくことにした。

どこまでやれるかは分からないが、僕は絶対に忘れたくないから、病院に迷惑かけない程度に母子優先いのちだいじにの精神でやれるとこまでやるつもり。

僕が忘れっぽくなければこんなことしなくて良いのだけれど、ついでに君たちにも面白がってもらえたらこんなに嬉しいこともないよ。
ちなみに、こんなところまで読んでくれた君なら察してくれてるだろうが、僕の出産レポは、為になる情報よりエンタメ的ユーモアを優先しているから期待しないでくれたまえ。

今後のnote投稿について

いや、もう毎日noteやめても大丈夫だと思う。さすがの僕もこんなあったけえ場所を忘れたりしない。しないよね?

エンタメ摂取とnote読むのはやめないけれど、投稿は週1~2(次回は2月14日予定)にしてみる。
iPad手に入れてまた毎日投稿し始めちゃったらどうしよう。

諸事情により、やったりやらなかったりしている英語習得を早めることになったのも大きい。僕、TOEIC550点なのに。

その他にも、僕にしては珍しく「やりたい」が山積みで、これから計画を立てる必要まで出てきた。確かにこういう時期は人生は短く感じるねぇ。
ショーペンハウアーさんに言わせれば、僕の時間の使い方にはまだ雑味があるんだろうな。
計画を進めつつ、同時進行で本当に「やりたい」か精査していきたいものだね。

蛇足

さて、一度僕のnoteは区切りがついた。
エンタメ風に表現するなら、「新章」「第二幕」「パート2」辺りだろう。
往々にして、そう表現されるエンタメは面白くないことが多い気がする。縁起が悪い。何かいい表現があったら僕に教えてよ。ヘッダー画像もいい加減変えたいしさ。



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