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趣味嗜好で形成されるアイデンティティ

アイデンティティとは、社会や他者との関わりのなかで、「自分は何者か」を自他ともに認識することだ。

例えば、「あなたはどんな人?」と聞かれて、「責任感が強いです」と答えたとする。その「責任感が強い」という認識は、普段生活するなかで、「私って責任感が強いな」と感じたり、他者から「あなたって責任感が強いよね」と言われることで確立されていくという。

初対面で生まれる認識のズレ

家庭や職場、学校生活など、継続して他者と関係を築けるコミュニティにおいて、アイデンティティは正確に確立されやすいと思う。

例えば、友人との会話のなかで、「この子は、繊細面もあるんだな」と気づくこともあるし、丁寧につくられた資料を見て、「この人は仕事で手を抜かないんだな」と知ることもある。いわば、自分が「こういう人間ですよ」とアピールしなくても、何気ない言動を通して、他人が自分のさまざまな側面を正しく認識してくれる機会があるのだ。

でも、初対面の場や、SNS上での繋がりの場合、アイデンティティが正確に確立されることは難しい(と思っている)。というのも、自分の過去や普段の様子を知らない人にとって、目の前の言動や自らが発信した情報以外に信じるものがなく、自分の認識とは異なった認識がされてしまう可能性があるからだ。

(例えば、自分は「人見知り」だと認識していても、無理をして明るく振る舞った場合、初対面の人からは、「コミュニケーション力が高い人」と認識されてしまい、自分と相手の認識にズレが生じてしまう)

イメージを勝手に生み出す趣味嗜好の利便性

そこで、多用されているなと感じるのが趣味嗜好の話。というのも、あらゆる嗜好品には、世間が勝手につけた“イメージ”というものがあり、自分の認識に近いイメージの趣味・嗜好品を伝えることで、他者に自分という人間を想像してもらうことができるからだ。

例えば「趣味:キャンプ」と伝えれば、アウトドアが好きで、サブカルに理解がありそう……みたいなイメージを持ってもらうことができるし、「ゲームが好き」と伝えれば、インドアで、マイペースなイメージを持ってもらうことができる。

だから、初対面のときに趣味を聞いたり、SNSで趣向品について発信するのは、「共通の話題で盛り上がりたい」という目的の他に、「自分はこんな人ですよ」というのを他者に伝える目的も持ち合わせていると、勝手に思っている。

好きなものに一貫性がない私の苦悩

しかし、私はこの趣味嗜好に、まったくもって一貫性がない。

例えば、映画や小説といった文学においては、人間の醜さを表現したり、誰かの人生を追随できる作品が好きだ。というのも、「人生、そんな幸不幸はっきりつけられないだろう」という捻くれた自論を持っており、ハッピーエンドやバッドエンドよりも、人間らしさを感じられる作品の方が、深く共感できるのだ。

一方で、エンタメにおいては違う。むしろ「友情・努力・勝利」みたいなものは大好物だし、少年ジャンプも細田守も任天堂も、日本が誇るエンタメ一式は「こんなに素晴らしい作品をありがとうございます!」と喜びながら消化している。さらには、流行にも興味があり、TikTokは週3~4で見ているし、Youtuber事情にも同世代のなかではかなり明るい。ヒットチャートの音楽も、ある程度は知っている方だと思う。

とこんな感じなので、趣味嗜好のどこを切り取るかは結構死活問題だったりする。「是枝監督の映画が好き」というか、「Youtuberの購入品紹介が好き」というかで、他者が私に持つイメージは180度変わってしまうからだ。

私は、自分の一部の好きなものしかSNSで発信できない

「そんなの全部好きといえばいいじゃん」と思うかもしれないが、私としては、接触時間が短い人に自分を認識してもらうには、情報を選別する必要があると思っている。

例えば、「初めまして」で出会って、「さよなら」までの3時間。そこで、自分のすべてを曝け出そうものなら、情報過多によって「どういう人か掴めなかった」という結果になってしまう。SNSでも同様で、情報の方向性や、趣味・嗜好に紐づくイメージが統一されていなければ、断片的な情報で自分という人間をイメージしてもらうのは難しい。

Instagramで統一感が大切と言われていたり、ブランディングで世界観を定めることが大切と言われているのも、これと原理なんじゃないだろうか。

つまり、私みたいな趣味趣向の方向性に一貫性がない人間は、SNS上での発信において、伝えるべき情報を選別していかなければならない。

でも、好きなものをすべて好きと伝えられないのは、かなり苦しい。だから今回、哲学的な話題を逆手にとって、あえてこういう話をしてみた。

私の場合、こういった思考系の発信をすることが多いので、今後、SNS上ではエンタメ的なものよりも文学的な物を趣味嗜好として取り上げることがほとんどだと思う。でも、そんなときに、「あ、これはこの人の好きなものの一部でしかないんだな」と理解してくれれば、私としては嬉しい。

@renashibata_

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