社会学の源流ヘーゲル『法の哲学』
社会学の祖はだれか?
マルクスだとかデュルケームだとかウェーバーだとかの名前がよく挙がりますが、実はヘーゲルだという説もあります。
国家と社会を明確に区別し、社会を単独で論じた初めての思想家がヘーゲルだからです。
そのヘーゲルの社会哲学が展開されている書が『法の哲学』というやつ。マルクスを始めとして、多くの思想家にインスピレーションを与え続ける重要書。
最近、岩波文庫から新訳が出ました。僕が読んだのは中公クラシックスバージョン。
ヘーゲルは西洋哲学史上での最難関として有名ですが、この『法の哲学』に関しては思ったより読みやすいかも(思ったよりはですが)。
というのも見た目ほど分量が多くないんですね。「追加」というパートがそこかしこに挿入されていて、これはヘーゲル本人ではなく他の人物が書き加えたものらしい。通読するときには「追加」パートを飛ばすべきだと訳者がアドバイスしています。
この「追加」パートを飛ばして読むと、実際に読まなくてはいけないパートは案外少なく、思ったよりスイスイ進む感覚があります。
「追加」パートを飛ばすべきだというのは上巻11ページの凡例で訳者がひっそりアドバイスしているのですが、もっと目立つように書いたほうがよかったんじゃないかと思います。知らずにぜんぶ読んでる人が多そう。
岩波文庫版だとどういうふうに訳されているんだろうか?
ヘーゲル社会思想の二つの重要ポイント
ヘーゲルの『法の哲学』には二つの重要ポイントがあります。
・家族・市民社会・国家の三位一体モデル
・道徳と倫理の区別
家族・市民社会・国家の三位一体モデル
まず家族・市民社会・国家の三位一体ですが、われわれの生きる広義の社会をこのような3つの領域にわけて論じたのは、おそらくヘーゲルが初めてです。
社会と国家を区別している点が重要です。ヘーゲルのいう市民社会は経済システムにやや近いニュアンスで、政治がそこに含まれないことに要注意。
動物的な欲望の渦巻く取引ゲームの場が市民社会であり、人間的な公共性からなる政治の場(国家)からは明確に区別されます。
さらに重要なのは、この三者に弁証法的な関係があること。おのおのが単独で存在するのではなく、それぞれが一つのプロセスの一環をなすということです。
家族(テーゼ)→市民社会(アンチテーゼ)→国家(ジンテーゼ)というふうに。
家族という単純な共同体を市民社会の経済原理が否定し、さらにその市民社会の盲目の欲望が否定されることで理性的な国家へと止揚(アウフヘーベン)されます。
このヘーゲルの枠組みが、社会民主主義のモデルになっています。経済システムの行き過ぎを国家が抑制し、富の再分配を行うというやり方ですね。福祉国家はその一例。
現代世界の主流はこの社会民主主義ですから、ヘーゲルの社会哲学こそが現代を支配する思想だといってもいいかもしれません。
たとえばピケティは資本主義を批判しますが、彼の提示する超国家的な徴税モデルもヘーゲルの延長線上にありますね。グローバル資本主義が「市民社会」で、それを理性的に押さえつける「国家」がグローバルな監督組織になるわけです。
ちなみに国家の登場を許さず市民社会の全面化を望んだ場合、それはリバタリアニズムに近づきます。グローバル資本主義をどんどん推し進めようとする人はこっちに属します。
マルクスの共産主義も、実は国家の廃棄を目指すアナーキズム的な色の強いものでした。とはいえ資本主義を否定する点でリバタリアニズムとは相容れませんが。
ロシアでは強大な国家権力が復活し、中国にいたっては資本主義まで戻ってきました。これはマルクスの理想がヘーゲルの枠組みに敗北したことを意味します。国家を捨象してモデルを構築したのが失敗だったということです。
道徳と倫理の区別
ヘーゲルの社会哲学でもう一つ重要な点が、道徳と倫理の区別です。ヘーゲルは道徳という言葉と倫理という言葉を別の意味で使います。
道徳は個人の頭の中だけにある徳を指し、倫理は社会に実現された徳を指します。そのうえでヘーゲルは道徳を未熟なレベルに配置し、倫理を最終的な段階に置くのです。
これはカント批判になっています。
カントは現実の彼方にある理想を重視します。この社会には存在していないけれども、彼方の理想がわれわれを統制し、導いてくれるのだというふうに。
このように発揮される理性の能力をカントは「理性の統制的使用」と呼びます。
しかしヘーゲルは断固これに反対するんです。現実において力をもたなくてはなんの意味もないといって。
それがもっともよく表れた言葉が『法の哲学』に登場する「理性的なものは現実的であり、現実的なものは理性的である」というフレーズです。
これはもろにカント批判ですね。カントであれば「理性的なものは現実的じゃないけど現実を統制する力を持ちうるし、現実的なものは理性的じゃないけど理性に近づいていく可能性がないとも言い切れない」と述べるところです。
ヘーゲルには政治学でいうところのリアリズム的な性格があります。あるいは司法官僚的なカントに対して政治家的なヘーゲルと表現してもいいかも。
解説書には加藤尚武の『ヘーゲルの法哲学』がおすすめ
ヘーゲルはなかなか手頃な入門書がないんですよね。それがヘーゲルを難しくしている理由の一つ。難しすぎるから入門書が書けないという説もありますが。
そんななかで『法の哲学』の副読本としておすすめなのは加藤尚武の『ヘーゲルの法哲学』(青土社)。
ヘーゲル研究の重鎮が残した、明解でわかりやすい本です。意外と軽いノリで書かれています。
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