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今のあたしを見て

過去の経歴とか略歴とか。
それってどれくらい価値のあるものなんだろう。
と、あたしはいつも頭を悩ます。

ちなみにあたしの経歴は、
公立小中高を卒業し、国立の大学に入学。
大学在学時に病気を患い、そのまま中途退学。
履歴書に書ける職歴は、ない。
という、誠に粗末なものだ。

何年前だったろうか。
働いてみたい!就労したい!と考え、ある会社に履歴書を送り、面接を受けたことがある。
最初に登場したのは、面接官ではなく、会社説明をしてくれる若い女性の方だった。
懇切丁寧に会社の説明をしてくれた。
そして少し時間を置いて登場したのが、その会社の地方支部の代表だった。
「宜しくお願いします」と言った瞬間から、その人は、あたしと目を合わせてくれなかった。
あたしの履歴書ばかり眺めては、「なんで職歴欄が空白なんですか?」とか、「なんで大学中退したんですか?」とか。
そんなネガティブな質問ばかりされた。
あたしだって、好きで職歴欄が空白な訳ではないし、好きで大学を中退した訳ではない。
けれどもその面接官は、あたしの履歴書に書かれた過去ばかり注視しては、今のあたしを見ようとしてくれなかった。
面接の終わり、あたしを蔑む目で、その面接官は漸く目を合わせてくれた。
悔しかった。

あの時のあたしはきっと、『過去、何を頑張ってきたか』より、『今、どんなことに挑戦したいのか』を、見てほしかったのだった。
それなのに…。

過去が現在以上に大きなものとされてしまう。
それはあたしにとってとても悲しい問題で。
これはたぶん、あたしに限らず誰しも、だろう。
そして就職うんぬんの問題だけではない気がする。

今、頑張りたいことがある。
今、頑張っていることがある。
その事実を一旦受け入れてほしい、認めてほしい。
その上で、あたしを評価してほしい。
あたしの可能性について、評価してほしい。
と考えたとき、過去はどれだけ役にたつのだろうか?
何かを継続してきた過去があったとして、例えば仕事を始めたとき、すぐに辞めてしまったら…
人の役に立つ活動を行ってきた過去があったとして、それでも本当は人の心に寄り添えない人だったとしたら…
あたしには、分からない。

いつだって、今のあたしを見てほしい。
それだけなのに、難しいね、本当に。

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