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2月29日

 2月29日になると、思い出す人たちがいる。

 遡ること12年前、2012年2月29日の話。親の都合で10年過ごした大阪の街を同年の1か月後に離れることになっていた。子どもにとって、ある種社会の崩壊と言える「転校」。小学4年生だった私は、自分ごとになるなんて想像すらしていなかった。その日は水曜日。5時間目を終わらせて全速力で家に帰り、ランドセルを投げ捨ててビデオカメラを拵えて自転車を走らせる。小学校生活のピークが今日にある気がしたあの坂道…。

 もう少しだけ遡る。3学期の始業式の朝の会、担任だった香山先生に転校申請用紙を渡す。来るはずのない未来を受け入れられなくちゃならない激痛を一番感じる瞬間だった。
 翌日の給食の時間、香山先生に呼び出される。

 「いとうさ、これみんなに伝えた方がいいんじゃないの?」
 「え…」

 クラスメイトが転校することは3月に情報解禁されるイメージがあった。だから1月初旬、ましてや始業式の翌日だなんて予期していなかったし、何しろ心の準備ができていない。ましてやクラスメイトに知られたら、転校のマスに向けてコマが3マスくらい進んでしまう。それは避けたかったが、その提案の衝撃が強く、その後のやりとりは全く記憶にない。だが、どうやら同意したようで、帰りの会に「情報解禁!いとうかい転校決定」とポストされてしまった。学級委員長や学年合唱のピアノ伴奏をした経験もあり、ありがたいことにクラス内では、大谷の結婚に匹敵するレベルの反響があった。(2012年のスマホを持たない小学生における学校は唯一の社会だったからなんですけど…)今みたいに、いつでもどこでも繋がれる社会という実感がなかったし、転校=永遠の別れ、というイメージが大きかった気がするし。

 今思えば、香山先生の行動はとてつもないファインプレーだった。これを読んではいないだろうないけど、本当にありがとうございました。というのも、この発表が速かったおかげで、クラスメイトがこんなことを言ってくれたのだ。

「2月29日の放課後にいとうのお別れパーティーしようぜ!」

 お待たせしました。ここから2月29日の話に戻ります。
 「2月の5週目で習い事は休み」「水曜日だから5時間目で終わる」「時期的にもちょうどいい」「学区内にあった公園も空いている」「水曜日は暇な人が多い」など、実に小学生らしい理由で2月29日に決まった。クラスメイトのおばあちゃんの家に来るようにとだけ言われ、当日の内容は全く知らないまま。ビデオカメラを拵えた自転車少年はウキウキしながら向かった。

 クラスメイト34人のうち33人(ひとりはどうしても外せない用事があったらしい)がそこに集まっていた。十代の間、落ち込んだ時に元気を出すエピソードとしてよく思い出していたものだ。情報解禁のスピードは大事です。22歳になった今でも効果は抜群。自分はつくづく幸せ者だと思う。ただ翌日学校には私もいるから、そこまで寂しいムードもなく、日常が学外で行われている、何とも特別な感覚だった。

 といっても33人が放課後に集結するとそう簡単に収集はつかない。担任という存在の大きさに気づかされる。持ち込んだお菓子を勝手に食いだす奴もいれば、外へ飛び出す奴もいる。声も通らないし、みんなの話題がバラバラ。挙句の果てには、家で喋りたい派閥と近くの公園で体を動かしたい派閥で意見が対立し、「おまえはいつもそうだよ」と、クラスメイトの不満を暴露する者も現れる始末。「私のためにケンカしないで!!」と叫びたかったが、「いとうはどうしたい??」と全く聞かれなかったので、成り行きを見守ることしかできなかった。しかし、対立が深まるにつれ、泣きだす者も現れ始め(私のお別れを想って泣いてくれよ…笑)、「あの…俺のお別れパーティーよな??」と思わずつぶやいたことも今となってははいい思い出だ。結局、お菓子パーティを室内で行い、希望者が公園周辺を自転車で周回した。対立シーンはあったが、基本的にはみんな笑顔だったので、それで満足だった。

 17時30分。大学生はこの時間から集合したりするが、小学生にとっては解散時間だ。「今日は楽しかった。集まってくれてありがとう」と軽く挨拶をして終了…かと思われたが、みんなが手紙をくれた。丁寧に封筒までくれた。12年前の手紙だが、一枚も捨てずに置いている。最後に主催してくれた奴が「今日って4年に1回しかないし、それだけで特別な日やから今日のこと一生忘れへんようにと思って2月29日にしてん」と言ってくれた。たとえこれが後付けだとしても、こんな粋なことを10歳にして言える彼を心から尊敬している。

 翌日のこと、授業中、唐突に香山先生が、「いとうくん廊下に行ってくれる?」と言い放った。「え?どうしたんですか、急に??」とツッコんでもよかったが、あ、これは俺に手紙を書いてくれてるんだな…と想像できたので、「わかりました」とだけ言い詮索はしなかった。大人だ。けどよく考えたら、昨日手紙をくれたみんなは、またメッセージを書いてたわけで…みんなのほうがもっと大人だ。

 転校してからみんなと一度も会っていない。同窓会も絶妙に呼ばれないタイミングで転校してしまったし。みんなは元気にしているのだろうか。2月29日になると、思い出す人がいる。見た目も思い出も変わっちゃって、すれ違っても気づかないんだろうけど。私にとってはどこかで幸せに生きててほしいと思う人たちだ。逢えたらいいなあ。長生きしなきゃ。2月29日になってみんなのことを思い出すためにも。

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