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序章 コンプレックスを味方につける


※2023/06/29現在の記録として残しておきます。
誤字脱字が多く、読みにくい文章です。
ご了承下さい。🙇🏻‍♀️

英語を使って海外の人と話している日本人を見て
いいな、いつかあんな風に話せたらな…
という淡い憧れから語学学習を始めた。
至って単純な動機だった。

しかし第二言語を話している自分
というものを他人が見て
“おぉ、すごい”って
思われたい。
そう言った気持ちに浸りたい
という承認欲求も少なからずあった。

それはなぜかというと
否定された経験があったからだ。
ここで述べるのはかなり勇気のいることだったがいじめを受けたことがある。

笑われるのは怖かった。
自分の好きを相手に伝えるのは怖かった。
自分の意見を言うのは
いつしか相手との心の距離を生んでしまうと
思うと言い出せなかった。
自信に満ちた人を見ると怖気ついた。
見下させるのは悲しかった。
少し周りと違う自分が嫌だった。
でもただ、純粋に相手と対等な立場で話したかっただけだった。
自分の好きも相手の好きもわかり合いたい
ただそれだけだった。

その純粋な気持ちは小学4年生の頃
踏み躙られてしまう。
他所の小学校から転校したての頃の私は
学校という名の社会に恐怖を覚えた。

教室という小さな箱の中に、
狭い視野しか映し出せない私のレンズは
曇りがかっていた。

自分を受け入れてくれる誰かって
どこにいるんだろうか。

誰も私を分かってくれる人はいない。
いつからだろう、心を閉ざすのが上手くなった。
傷ついた自分を癒す時間が欲しかった。
私は私を分からなくなっていた。

18歳、高校卒業後私は真っ暗闇にいた。
自分というものが何であるのか。
その意味のわからない正体不明の私という者と
対峙するために
シャットダウンした。
そうしてしまわないと私は私ではなくなり、
壊れてしまいそうだった。

その時に助けられたある本がある。
著者平野啓一郎さんの
『私とはなにか「個人」から「分人」へ』
という本だ。

彼の主張する、"わたし"という存在(個人)は本当は存在しておらず、
対人関係ごとに見せる複数の顔(分人)全てが、
本当の"わたし"である。というものだ。

例えば家族といる時の"わたし"
友人といる時の"わたし"
アルバイトをしている時の"わたし"
一人自宅でのんびりとしている時の"わたし"
恋人といる時の"わたし"
そして現代ならSNSを通じて行う
コミュニティでの"わたし"

相手という存在を介して"わたし"という人格が存在しているのであって、
それは双方向のコミュニケーションにおいて作り出されるものだと考えられはしないか、というものだ。

確かにあの人といると穏やかになれるだとか
あの人といるとノリよく面白い事を話せるだとか
あの人といると真面目なトーンになってしまうだとか…

どれをとっても"わたし"であるけれど、
コミュニケーションの仕方によっては
感情を良くも悪くも左右されてしまう。

だから一概に私だけが悪いだとか、
相手が悪いだとか
一括りに考えられるものではないとこの時気付いた。

どうしてもコミュニケーションにおいては
多少のズレを感じるのもおかしくないことなんだと。

そしてそれは私含め誰もが日常的に感じることだと分かった。


また短大時代、
第二言語を学んでいく途中で
語学に対するある違和感を覚えた。

英語を喋れるんですとか
海外留学してきたんですとか
TOEIC〇〇点なんです…とか

目的が
きちんと話せる事、高い点数を保持している事
に意識が向きがちなのではないか、と。

話している"言語"が違うだけ。
生まれてきた場所が違っただけ。
生活様式が違うだけ。
文化が違うだけ。
自分の中にある大切にしている事が違うだけ。
信じるものが違うだけ。
見てきた景色、関わる人が違っただけ。
語学はそんな異なるバックグラウンドを持つ人との
関わりの中で補助となる道具にすぎない。

日本はどうしても大陸と離れている島国だから
日常的にそうした異なる背景を持つ人との
関わりが少なくなるのは仕方ないことだと思う。

国内で英語を話すだけで、
ええ!英語喋れるの?すごいね!
って驚いてしまうけど
実際、世界という大きな枠組みで見ると
私はただのどこにでも居るような
ありふれたアジア人の一人でしかない。
きっと街で見かけられても
そういう括りで見られて終わりだ。

英語を公用語として日常的に使用する彼、彼女らは、英語を話さざるを得ない環境に身を置かれている。
それは、生きていくために、生活をするために
違う民族同士、宗教も価値観も文化も異なる人達と
共生していくために…

英語を使う環境で働いていく中で気づけた。
日本はどれほど裕福で、豊かなのか。
そして私は井の中の蛙であった。
彼らと交流する中で
私という人間がどれほどの小ささであるかを思い知った。

そしてあの小学校の記憶を再び思い返した。
今ならあの頃の私に優しく声をかけてあげられる。

「あなたはおかしくなんてない。そしてあなたを受け入れてくれる人は必ずいる。みんな少しずつそれぞれ違った景色が見えているだけ。そしてあなたのその学びは必ず世界を広げてくれる。」

みんな異なる相手と共に生きていくために学んでいるのに
あまりにも豊かに過ごせているから
私は学びというモノが分からなかった。
学校というモノが分からなかった。
趣味として、または周りから一目置かれたいがために
短大時代の私は語学学習というものに対して
"やっているふり"になっていたのではないか、と。
学びと、コミュニケーションの本質は
そこではなかったのではないかと
卒業後気付かされた。

誰かに見られてすごい!ではなく
対人な訳だ。
私の目の前に
私の想像を遥かに超える
知らない景色を見てきて生きてきた相手と
出来るだけ誤解が生じないように、
出来るだけ同じ目線で同じ景色を
頭に思い浮かべながら
意思疎通をするために…

どんなに上手く話せるかじゃない。
何を相手に伝えたい?
相手と何を話したい?
相手に何をしてあげたい?

別にペラペラじゃなくていいんだ。
完璧じゃなくていいんだ。
一生懸命に拙い言葉で真摯に話す人を
私は見くびったりしない。

日本語でも一緒。
どんなに語彙を知っていようが、
文法がきれいか
自分の話し方が達者であるか、
知識を語れるか、
そうじゃないんだ。

私の考える日本は世界的には豊かなのかもしれないけど、時々心は淋しいと感じる時がある。
相手と本質的なコミュニケーションが取れていないからなんじゃないかなぁ。

そう考えてしまう私は、
堅すぎるのかもしれない(笑)

基本話すのは人見知りで苦手だし、
自分の意見も口に出すにはやっぱり時間がかかる。
この想いもnoteに公開するのは内心不安でしょうがない。
打つ手が震える。

だけど私は私だ。
そんな私を受け入れてくれる人がいた。
それだけでもう十分すぎるくらいだった。
心が通った気がした。
少し優しくなれた。
24歳、私はそんな私を受け入れることが
できるようになってきた。
未だにあの頃心にできた傷は中々拭えなくて、
人との関わりに溝ができてしまうが
そんな不器用で繊細な自分にも優しくなれた。
今悩んでいる当時の私のような子にも伝えてあげたい。

「今あなたが見ている景色だけが全てじゃない。そして学びはあなたを自由にする」

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