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グリーンブックを観てきた。

先にいってお詫びしておきますが、今日も小説公開は延期となります。ついさっきまで今日公開分の話を出そうかと思っていたのですが、観てきた映画が思いの外グッときてしまって、今日はどうしてもそのことについて書きたいなぁと。。

映画の話の前に、noteの書き方なんか考えていかなきゃかもですねー。小説は日記と別で日々公開していくとか、なんだかんだ書きたいことや伝えたいことはその日ごとにあったりして、一日一投稿というのが逆に障壁になってしまいます。

とはいえ、限られた時間の中毎日一記事を読んでもらえるだけでもありがたいのに、二つあげたから読んでほしいってのも押し付けがましいかなーとか思ってしまったり。おいおい、なにか方法は考えようと思います。

さてさて本題に戻って、本日観てきた「グリーンブック」という映画のお話。まだ観てないよという方も多いと思うので、あらすじや内容にはあまり触れない範囲で、感じたことを書いておこうかな、と思います。

昨年「ボヘミアンラプソディ」が異様なヒットをかましましたね。フレディマーキュリーという実在する人物をモデルに、その波乱の人生を描いた傑作でした。しかし、異様なヒットの裏には当然批判はつきもの。僕が周囲の人に薦めたときにも、「綺麗なところばかり切り取って、」という意見をもらうことがありました。

僕はそういった意見も的外れではないなと思います。映画はドキュメンタリーではないので、フィクションだろうがノンフィクションだろうが、どうしたって物語性を孕んでしまう。そこには脚色や隠蔽だって、当然のように入り込んできてしまいます。しかし、なまじ実在するモデルを元にしているとなると、脚色や隠蔽を許せない人たちも出てきてしまうようで、先にあげた意見なんかが生まれてしまうんじゃないでしょうか。

ただし、テクスト論的な見方、すなわち映画内で描かれた物語が自律的なものであるという見方をするのであれば、ボヘミアンラプソディや今日見たグリーンブックはとても素晴らしい作品だったと僕は思っています。

いづれの作品にせよ、モデルとなった人物たちがいなければ生まれなかった映画かもしれませんが、あくまで実在と映画内物語は異なるものであって、脚色や隠蔽も、評価されうる対象となるものです。

最近観た中だと、「ボヘミアンラプソディ」と「パッドマン」、そして今日の「グリーンブック」はいづれも実在するモデルを元にした作品で、僕自身とても印象に残っている作品たちです。「パッドマン」に関しては、モデルとなった本人が直接、映画の中には完全なるフィクションもあると事実関係を否定するエピソードさえありますが、大切なのは現実世界との厳密性というより、物語としての完成度であったり世界観の相互関係だと思うのです。

グリーンブックにも、描かれていないことや脚色されたエピソードがあると察せられます。ただ、映画を見終えた後にスクリーンの中の人物たちに愛着が湧くような思いが湧くのは、それだけに素晴らしい映画なんじゃないかと感じました。

ちなみに、グリーンブックの舞台となった時代は、黒人差別を容認するようなジム・クロウ法が施行されていた時代でありました。黒人はバスに乗ることすら許されなかった時代に、こぞって車を買うことで自らの自由を確保しようという動きがあったそうです。そんな時代の中で生まれたグリーンブックという存在やその出生を知っていると、なお面白いのかもしれませんね。

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