愛情バランス説〜偏愛と愛情飢餓〜

今までnoteで愛情飢餓状態の人の心理について書いてきました。
愛情飢餓の原因は親から愛情を貰っていなかったという視点が今まで多かったと思います。
ネグレクトやDVなどは子供に対して愛情がないというのは分かりやすいでしょう。
しかしネグレクトやDVではなく過干渉や過保護も愛情飢餓の原因になり得るという事を書いてきました。

過保護や過干渉で愛情飢餓になる=それは愛情ではないというのが今までの僕の考え方でした。
その考えは今も大きくは変わりません。
しかし愛情であるかそうでないかという2択で白黒的に見るよりももう少しグラデーション的に見ていく必要があるのかなと最近感じています。
実際、本当に愛情がないというケースよりも愛情の方向性が違うとか歪んだ愛情であるとかそういうパターンの方が多いように感じるのです。

そこで僕が思いついた単語が「偏愛」でした。
偏愛の意味には様々なニュアンスが含まれそうではありますが、今回の記事では文字通り偏っている愛としてここでは捉えていこうと思います。
愛がないわけではないが偏った愛、アンバランスな愛というのが愛情飢餓の正体になる場合というのは実に多いのではないかとそう思うのです。
(これを愛情バランス説と仮に名付けます)

偏愛の代表例として挙げられるのが、前述した過保護や過干渉です。
そして過保護と過干渉は言葉としての意味は違うのですが、過保護であるが故に過干渉になるという意味でほぼほぼ同義のように思えます。
つまり過剰に保護しなければいけないと思う神経症的エネルギーが過干渉を生み出すというのがより正確な表現ではないでしょうか。

過保護とは一言で言えば心配性です。
交通事故に遭ったらどうしよう、イジメにあったらどうしよう、怪我をしたらどうしようというような不安を原動力にしています。
無論、親であればこのような不安は多少なりともあるのが自然でしょうしそれが絶対悪であるとは思いません。
しかしここで着目すべきなのは、子供ではなくまず自分なのかもしれません。
何故ならば「どうしよう」と思っているのは自分だからです。

あくまで不安になっているのは自分なんだという自覚を持たない上で子供にばかり着目していると子供を過剰に守ろうという神経症的なエネルギーが増幅されます。
それこそがまさに過保護の正体です。
そしてそのような神経症的なエネルギーの爆発による行動が過干渉であると言えます。
子供を危険から保護する為に子供の人生に干渉しようとしてしまうのです。
勉強しなさい、何時までに帰ってきなさい、連絡はすぐに返しなさいなどと子供に対して過剰に要求を膨らませていくのです。

この場合、要求しているのはあくまでも自分でその要求とは自分自身の精神性が生み出している要求に過ぎないのです。
言いなりにならない子供側が悪いと思って子供を責める親というのも多いですが、子供を屈服させようと思う自分の精神性に対しての疑問はなかなか持てないものです。

自分の精神が成熟していない状態で子供の事を考えようとすると自分と子供を分離して考える事ができなくなってしまいます。
幼稚な人は自分と子供を一体化して考えてしまうので、自分の都合を子供に押し付ける事もよしとしてしまうのです。
「自分と他者は別のものである」という自他境界という感覚が理解できないのです。
何かの本で「親が子供に甘えている」という表現を聞いた事がありますが、まさにそのような状態でしょう。

また「偏愛」についてもう一つ別の視点で考察してみたい事があります。
それは愛情にも種類があるという考え方です。
愛情に種類があって様々な愛情を満遍なく受け取る事が大切なのではないかという発想で、逆に特定の種類の愛情ばかりを貰って他が足りないという偏った状態を偏愛状態と呼べるのでは?というような視点です。

この非常に分かりやすい例として父性愛と母性愛というものがあります。
父性愛の定義や母性愛の定義というものは明確に決まってはいないと思うので、あくまでもざっくりしたイメージで捉えてみてください。
※母性愛と父性愛についてはこの記事の後に書いたので、リンクを追加しておきます。

例えば父親が単身赴任でほとんど家に帰らず、母親が過干渉なタイプという構図を想像してください。
その場合に母親からは過剰に干渉されて逆に父親からは何も干渉されず実質ほとんど放置状態というケースが考えられます。
このように母親とだけ極端に密着しているような状態を偏愛状態と呼べるのではないか?という事です。
つまり母性愛が過剰で父性愛が欠如するというアンバランスな状態になるのです。

このようなアンバランスな愛情によって特定の愛に対して飢えを感じるという構図があり得るのではないか?と僕は考えています。
厳しさも必要、優しさも必要、時には放っておく事も必要、でも大事な時にはちゃんと気にかける事も必要、こうして理屈で考えてみるとバランス良く愛を与えるという事がいかに難しいのかが分かります。
しかしもっとシンプルに考えるとするのであれば、やはり子供の本当の心を見ようとする事が何より大切なのではないでしょうか。

愛情飢餓の人の内、偏愛しか知らないという人は自分が実際に貰っていた愛と自分が欲している不足していた愛が何なのかを考えてみるのも良いかもしれません。
なお、偏愛については今回書いた程度にしかまだ考えがまとまっていないので考えが深まり次第より詳しく書いていこうかと思います。





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