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絶望はせめて美しく在ってほしかった

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黒歴史と思い出を文字にしたもの
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記事一覧

給食の時間の放送委員みたいだった頃の話

給食の時間の放送委員みたいだった頃の話

給食の時間に、放送委員がマイナーなジャンルの楽曲を流して眉を潜められる話を時々見かける。
私はそれを見て心臓のあたりが痒くなる感覚を覚える。
私がまさにそういうことをしてきた人間だからだ。

それはなぜなのか。
皆もその楽曲に感銘を受けると確信していたからだ。
歌詞カードを見なければ歌詞を聞き取れないような楽曲でも、皆がしっかりと耳を澄ませて聞き取って歌詞の世界観に胸を打たれるはず。
間奏のギター

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所謂「小金」に想う話

所謂「小金」に想う話

仕事が決まらないまま大学を卒業したため1年間無職だった経験がある。
その頃に周りの友人たちが羨ましかったのは旅行に行った話でもスマートフォンを新調した話でもなく、手数料や資格試験の受験料の類を支払った話だった。

無職はもちろん収入がない。
バイトの経験も乏しいので貯金もない。
毎月、親がお情けとしてくれる5000円が唯一の収入源。

手数料なら数百円、資格試験なら数千円。
欲しいものを買うわけで

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特別で在り続ける音楽の話(SURRENDER/Lostage)

アジカンの「夜のコール」が聴きたくて「NANO-MUGEN COMPILATION 2009」を借り、その中に「SURRENDER」が収録されていた。

頭を殴られたような衝撃だった。
その時の私は20歳になったばかりで、色々なことに振り回されていて、もう自分の未来ぐらいしか拠り所がなかった。
「今日に明日を混ぜる」という詞に言い様のない希望を感じた。
「もう逃がすよ」という詞にそろそろ色々なこと

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特別で在り続けるアルバムの話(Hell-See/Syrup16g)

特別で在り続けるアルバムの話(Hell-See/Syrup16g)

2008年の冬。
TOWER RECORDSでおすすめされていて、ジャケットが綺麗で値段も普通のアルバムよりは安かったから手に取った。
それがSyrup16gの「Hell-see」だった。

そういえばボーカルが鬱病だって公言しているバンドだったっけ。
大学生になって何もかも上手くいっていると思った私はその病をどこか他人事のように感じていて、少しの偏見すら持っていた。

一曲目、「イエロウ」。

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夏の幻を見た話

夏の幻を見た話

これを書いているのは金曜日。
月曜日にあった話をしよう。

午後から入っていた打ち合わせのために会議室に向かった。
中は換気のために窓が開け放されていて、風と緑の匂いと蝉の声で満ちていた。
スマートフォンの電源ボタンを押す。
8月30日と表示される。
7月30日であるほうが正しいような、ずっと続いていきそうな気温。
どうやって長袖を着ていたのか上手く思い出せない。
あの時間を、硝子張りの容れ物に閉

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夏の朝に夏の夜を感じた話

夏の朝に夏の夜を感じた話

もう6年も前だ。

仕事が終わったあと特急に乗り、都内に住む友達と会ってお酒を飲みながらたくさん話をした。
店内はそれぞれテント張りのような個室で居心地がよかった。
そういう予定が入るのも、夏らしくてとてもよかった。

日付が変わるころまでそうして過ごし、御茶ノ水駅近くに予約をしていたホテルにチェックインした。
外泊をするといつもなら中々眠れないのだが、その日はシャワーを浴びて早々に深い眠りに入っ

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私の駄目さは叙述トリックにもなりやしないという話

私の駄目さは叙述トリックにもなりやしないという話

中学生の頃の帰り道、足元に目を遣ったら片方の羽がもげた蝶が残った羽を必死に動かしていた。

見たことがない光景だったので、しゃがんでしばらく様子を観察した。
絶え間ない。休みない。再び空を飛べることを願って羽を動かし続けている。

その様子に酷く感銘し、私も人生に対してそうでありたいと思った。

というのは嘘で、ぼんやりと「きっとこういうものを見たのがきっかけで人生が変わる人もいるのだろう」と他人

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とりわけ眼鏡に「ほかの子」と隔絶させられていた話

とりわけ眼鏡に「ほかの子」と隔絶させられていた話

私は近眼になるのが早く、小学6年生のときに眼鏡を作るために連れられた眼科で「右0.3、左0.06です。かなり度が進んでいます。」と告げられた。

当時はまだ眼鏡が高かったのでレンズを薄くするための料金やレンズとフレームの強度を上げる(ドッジボール対策)ための料金などで数万円したと親が話していた。
そのためデザインが限られてしまい、しかも授業中だけでなく一日中眼鏡をかけていなければならない視力だった

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コンテンツと現実の残酷なまでの乖離の話

コンテンツと現実の残酷なまでの乖離の話

(あるいは、”「アゲハ蝶」の世界をどうしようもなく羨んでいた12歳の頃の話”の続編)

ステイホームが長期化して昔読んだ漫画をKindleで買い直すことが増えた。

その中で、当時そのギャップに胸がつぶれそうになったものに行き当たった。
それはなんてことはない、中学生が放課後に制服姿でアイスを買い食いするシーンだった。

私の通っていた中学校は田舎であることと荒れていたこととがあって、校則がとても

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一生のうちに街中で再会したい人がいる話

一生のうちに街中で再会したい人がいる話

私は2人目の「自分から好きになった人」を忘れることができない。
今は恋人がいるし、彼に対しての恋愛感情も今はもう残っていない。
ただ、「じゃあ、またね」が最後であったせいで物語が終わらなかったのだ。

そうなることを望んだのは他ならない私自身だった。
彼のことを一生愛し続けるだろうと思ったら、失恋だけはしたくなかった。
ちゃんと彼が住む東京で仕事に就けたら歯車を回そうと思っていた。
「他に彼女がで

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愛情についてちゃんと理解していなかった頃の話

愛情についてちゃんと理解していなかった頃の話

私は、与える・相手のことを知る、というタイプの愛情をよく理解できていない。

誰かを好きになると「私を理解したいと思ってほしい」という感情が暴走してしまうのである。
今の恋人のおかげでそれはかなり緩和されたが、まだ根の部分は残っている。

16歳のときと23歳のとき、それを恋愛と呼ぶにはあまりにも歪過ぎることをした。

▽16歳、あれは本当の意味の初恋だったのだろうか

高校生になり、それまでの狭

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イヴ・サンローランの口紅を塗る世界の話

イヴ・サンローランの口紅を塗る世界の話

前々回投稿した「32歳腐女子側だった頃の話」が数人の方に「スキ」をいただきました。
「スキ」してくださった皆様も、ご覧になってくださった皆様も、ありがとうございます。

今回はその記事の最後に記載した、仕事が決まったあとの話。
元々の自惚れ屋の性格から、気分を害する方もいると思います。

内定が取れた会社は第一志望ではなかった。
むしろ現役の就活生の頃は見向きもしておらず、ずっと無職でいることの恐

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「アゲハ蝶」の世界をどうしようもなく羨んでいた12歳の頃の話

「アゲハ蝶」の世界をどうしようもなく羨んでいた12歳の頃の話

12歳の頃にポルノグラフィティの「アゲハ蝶」に衝撃を受けた。

歌詞がとにかく新しい。
「君が好きずっと変わらないこの気持ち」のような詞しか知らなかったので、旅人だの詩人だの戯曲だの、冷たい水をくださいできたら愛してくださいだのの言葉の選択にひたすらに驚いたのである。
自分の脳の未だ触ったことがない場所を激しくノックされたような感覚だった。

それと同時に、芸能人というのはなんて格好いいんだろうと

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32歳腐女子側だった頃の話

いま話題となっている「32歳腐女子」の記事を読んで「ああ、当時の私だ」と見につまされる思いをした。
正確には腐女子ではないのだけれど、年齢不相応の子どもっぽさというのが同じなのである。

知り合いには一度も話したことがない当時の事をここで全て書いてみようと思う。
長くなりそうだ。

年齢不相応人間、爆誕2012年、23歳になる年のことだった。
私は就職先が決まらないまま大学を卒業し、就活浪人になっ

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