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「わからないもの」をわからないままにしておくこと、君たちはどう生きるかを観て

先日、映画「君たちはどう生きるか」をみてきた。
(ネタバレにはならないように書くけれど、自分の感想は書きます。)

よくわからないけど、涙が出てきて、胸がいっぱいになった。
何を観て何を感じて何の感情の涙なのかは自分でも言語化できない。

でも、頭で理解できない心のどこかに触れて、心が動いたのかなと思っている。
だから途中から分かろうとするのをやめた。

見終わった後も、どういうことだったのか、何を伝えたかったのか、こめられたメッセージはなんだったのかと考えようとしてしまったけど、考えるのもやめた。

「何か感じたものがあった」
「心が動いた」
「涙が出た」
「あ〜よかったな〜という感想が残った」

それだけでいいのでは?と思った。

映画のレビューサイトのレビューを見ると、
「よくわからなくて面白くなかった」「理解できなかった」
という感想も多々見受けられた。

わからなくても面白かった!
理解できなかったけど、いいものはいい!
じゃダメなの?と思った。
そもそも子どもの映画やアニメの楽しみ方なんてそんな感じだし。

わからないものをわからないままにしておくこと。
わからないものとありのまま向き合うこと。
わからないものを無理やりわかったつもりにならないこと。
わからないから関係ないし知らないっ!ではなくて、わからないままに感じたことを事実として受け取って心の中に持っておくこと。

そういうのって大事なことのような気がした。

自分のことだって、大切な誰かのことだって、
自然だって、社会だって、世界だって、人生だって、
本当はもっともっとわからないことに溢れているはずだ。

目に見えることが全てじゃないし、
言葉にできることが全てじゃないし、
頭でわかることが全てでもない。

それでもわかりたいと思うし、わかろうとし続けるとも思う。
わかろうとし続けながら一生わからないものだとも思っている。

わからないから、面白くて、少し怖くて、真剣に向き合わないといけなくて、考え続けなくちゃいけなくて、儚くて、大切で、愛おしくなってくるものなのではないかと思う。

この作品の根底には、その「愛おしさ」のようなものが流れているような気がした。それは、はっきりとはわからないぼんやりしたものなんだけど、確かにそこにあるもので。

宮崎駿監督が、アニメ制作の意欲について聞かれたとき、「子どもたちにこの世は生きるに値する場所だと感じて欲しい、だからアニメーションをつくっている」というようなことを答えているインタビューがあると、私の推しpodcast「ダモンテ商会ラジオ【044】」を聞いて知った。その中でダモンテ海笑さんは「そういうの(先の宮崎駿の言葉)は人生とか世界への愛から来ていると思う。」ということを言っていた。


なんかそういう愛?のようなものが、この作品には詰まっているのかもしれないなと思った。それは物語の中で明確に表現はされていない(すくなくとも私にははっきりとはわからなかった)けど、私の無意識の心で受け取ったみたいだった。

今読んでいる本、人類学者のティム・インゴルドの著作、「応答、しつづけよ」の冒頭にこんな一文があった。

哲学者ハンナ・アーレントは、「世界に対して責任を負うほどに世界を愛しているかどうか」を決めるのは、私たちにゆだねられていることなのだと警告しました。アーレントは、第二次世界大戦の破滅を受けて、そう書いたのですが、再び世界が危機に瀕している現在、彼女の言葉は変わらぬ迫力を持っています。私たちが世界をもう一度愛するようになって初めて、来るべき世代にとっての再生の希望があり得るのだと、彼女は予言しました。そうするために、私たちは、頭だけでなく、心で考えて書く術を、学び直さなければなりません。

応答、しつづけよ/ティム・インゴルド


たまたまだけど、なんだか繋がるところがあるなと勝手に思ってしまった。


世界は愛するに値する。
人生は愛おしいものである。
心で考える。
私たちはどう生きるか。






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