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かろきはおもく、おもきはかろく~生活の音が美しい人でありたい~

明日美です。
昨晩は関東でも雪が降りました。朝起きて、カーテンを開けると、雪化粧をした河川敷が眩しくて、直視できずに、しばし目を細めながらも、年に数回あるかないかの景色を楽しみました。
お仕事に影響が出ていたり、雪かきが大変な方たちもいらっしゃると思いますが、どうかお怪我なく過ごせますように。

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先日、ふと思い浮かんだことがありました。

「生活の音が美しい人でありたい」

それはお茶のお稽古が終わった後の、移動の電車の中でのことでした。静かで、丁寧な時間に満たされた後だったので、人混みの中でも内側は静かで、伸び伸びとしていました。
電車に乗り込むと、席が空いていましたので、両隣に人がいる席に腰を下ろし、その瞬間、あぁ気持ちよく座れたなぁと思ったのです。

ちゃんと自分の身体を支えるように、でも軽々と、席に、その空間に優しく受け止めてもらえるように座れたのですよね。

お茶の道の教えには様々なものがありますが、その中の一つに、

「軽(かろ)きは重く、重きは軽(かろ)く」

という言葉があります。

軽いものはひょいっと軽々しく持ち上げない、扱わない。重々しく丁寧に持ち上げる。重いものは重たそうに運ばない。そんなことを言われる。
自分の身体を使って、重力に逆らうかのように遂行する。

一方で、水や湯は、重力に落としてもらう。柄杓で汲み上げた湯を、茶碗に入れているのは私であり、柄杓であり、重力である。そして受け止めている茶碗を感じる。だから人によって音が違う。それはその人と、柄杓、重力、茶碗、場との交流の音なのだとも思う。意識することではないにしろ。

そんなわけで、同じ道具を使っていようと、同じ場所で点てようと、人によって響かせている音は、千差万別なのだ。
私はそれが美しいと思う。

音は正直で、嘘がつけない。足音も、ものを扱う音も、その時、最も自然な音がその場に響く。焦っていれば、自然と焦った音が聴こえるし、悲しいのなら、自然と悲しい音が聴こえる。伸び伸びとしていれば拡がるような音が聴こえる。○○なんて思われたくないなんていう意識すら、はるか彼方に飛んでいく。そして今を知る。

春は春の音。冬は冬の音。夏は夏の音。秋は秋の音。

朝起きて、窓を開けたら春の匂いがするように。
シンと冷えた夜に冬の匂いがするように。

そんな瞬間がこよなく嬉しい。

そんなふうに、自然に零れる音たちを心底楽しみ、敬愛するためにも、今ここにいる自分と世界との交流を丁寧にしていきたい。
それが、私が今感じる「美しさ」なのだ。

自分がたてた「音」が美しければ、私の五感は歓び、私にまとう世界も喜んでくれるんじゃないか。そんなふうに思う。

だから、私は今日もそんな自分でありたいと、丁寧にコップを置いてみる。
机とコップが触れ合い、コップに触れた指からは、受け止めてくれた木も感じる。

どんな音が聴こえているだろうか。
きっとそれは未来の音とも繋がっていく。そんな気がしている。

今年の素敵なテーマの一つになりそうだ。

最後まで読んでくださってありがとう。
すてきな一日をお過ごしください🌸

明日美



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