3 私について ②1度目の不登校(中学校編)

こんにちは。いちごです。

今回は、本格的に1回目の不登校になった時のお話をしていこうと思います。


1度目の不登校

2 私について ①1度目の不登校(小中学校の時の話)
の途中からになりますが、少しおさらいすると、

小学生の頃、ちょっとした嫌がらせなどに遭い、小6の二日だけ登校拒否に。その時の担任の先生がよい先生で、いろいろお話を聞いてくださった。そのおかげもあり、無事、小学校を卒業。中学は、地元の中学校から離れて、私立の中高一貫校に入学。小6の時の担任の先生には本当に感謝。

要約すると、こんな感じで前回終っていました。
それでは、ここから本格的に始めたいと思います。


私は、無事、私立の中高一貫校に入学することができ、「ここで自分を変えよう」と心に誓いました。ですが、中学校生活は私にとって、そんなに甘いものではありませんでした。地元の中学校とは、離れることはできましたが、同じ中学に入学する小学校の時の友達は、一人もいません。知っている友達が一人もおらず、それからが自分との戦いでした。クラスのみんなは、同じ小学校から何人も入学している人たちもいれば、その小学校から一人だけ入学してきたけど、コミュ力高くてすぐ友達もできている人もいました。私は、コミュ力が人よりない方なので、コミュ力高い子の後ろの席は本当に苦痛でしかありませんでした。毎日緊張して、ずっと気を張る日々を送っていました。そのため、私は、数人の友達を作ることは出来ましたが、私がこの学校に馴染めているとは思えませんでした。
そしてとうとう、ゴールデンウィークが始まってしまうのです。
この年のゴールデンウィークは、10連休あり、私はあることに挑戦します。私の学校では、ゴールデンウィークに希望者だけ参加し、県外の大学の留学生と2泊3日で交流会みたいなものがありました。私は、この一ヶ月気を張っていて疲れているので、ゴールデンウィークで体を休めればいいのに、その時の私は、やる気だけはあったので交流会に参加してしまいました。
ここで私の中で事件が起こったのです。
交流会一日目、私は、早くもホームシックになってしまい、夜もあまり寝れませんでした。また、英語だらけの生活で、英語ができない私にとって、地獄のような一日となってしまいました。
交流会二日目、英語のできる同級生に翻訳してもらいながら、必死に留学生の話を聞くことが出来ました。「今日終わったら明日帰れる」そう思いながら、二日目も気を張り巡らせて地獄のような日を送りました。
交流会最終日、留学生とのお別れよりも、今までの疲れがきて、帰りのバスに乗った記憶以外あまり覚えていません。心身ともに、フラフラの状態で家に帰りました。

それからというものの、ゴールデンウィークまでの激動の一ヶ月の末、疲れが出てしまい、熱を出しました。熱は数日で引いたものの、学校に行くのが怖くなり、不登校というものが始まったのです。




今回はここまでにします。
ここまで読んで下った方ありがとうございました!

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