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【短編】システムは愛を同期するか(後編)

あなたは大切な人を守れますか?



五分程度で読める短編です。
前編はこちら。


以下本編です。

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月下美人から帰ると、真っ先に顔を出したのはエルフィーだった。今朝まではじゃれていても驚くほど静かだったのに「わん!」と一声。そのあとは「なんだ、お前だったか」とでも言いたげな顔をしてリビングへ消えていった。相変わらずの無関心具合だ。

僕はアンドロイドペット用のおもちゃやおやつがたっぷり入った紙袋を引っさげ、意気揚々と後を追う。リビングでは綾子がすっかりエルフィーにメロメロになっていた。

エルフィーのタレ耳ごとわしゃわしゃと頭を撫で、その可愛さや賢さなど何かにつけて褒めている。こういうのを親バカって言うんだろうか。

そういえば近所の公園でいつも散歩をしている鈴木さん家の愛犬・ダックスも、いつも綺麗な洋服を着せられていた。思わず鈴木さんにではなくダックスに「お洒落ですね」と声をかけたら変な顔をされてしまったけど。

ニコニコしてエルフィーを可愛がる綾子の前に、買ってきたおもちゃやおやつを出す。全部犬用を買ったつもりだったのに、猫用のおもちゃや鳥用の餌なんてものが混ざっていて笑われた。僕も釣られて笑ってしまう。

エルフィーは僕が買ってきた中でも、やっぱり骨の形をしたものを気に入った。アンドロイドとはいえ、ちゃんと好みがあるのが面白い。

僕と綾子は少し遅めの夕食をとりながら、一人遊びをするエルフィーを眺めた。いつもならテレビタイムなのだが、綾子の希望で電源すら入れていない。いつもに比べたらとても静かだけれど、我が家の二人が楽しそうなので良しとする。

「エルフィーね、友達のところはペット禁止だがら鳴けなかったんだって。でもうちのマンションはペットOKだし、 そうやってエルフィーに喋ってたら突然「わん!」って!」

嬉しそうに報告する綾子。話したいことがたくさんあるんだろう。そのためにもテレビをつけなかったのかもしれない。

「そういえば今日は帰ってくるの遅かったね。どうしたの」

「福永のところに寄ってきたんだ」

相変わらず偏屈な福永の様子を話していると、貸してもらった単行本のことを思い出した。表紙を見てみると、彼には珍しく海外書籍の翻訳だった。

「『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』」

「不思議なタイトルね」

夕食を終えた綾子が紅茶を飲みながら言った。僕も彼女の入れた紅茶を横目に、本をパラパラとめくってみる。読んだことはないけれど、あらすじくらいは聞いたことがあった。

「SF小説らしいよ。この本の中では動物を飼っていることがステータスなんだけど、主人公はロボットの羊しか持っていないんだ」

「ロボットの動物なんて、まるでエルフィーのことみたい」

綾子はテーブルに頬杖をついていた。今日は一日エルフィーの散歩に行ったり遊んだりしていたから疲れたのかもしれない。いつもぼーっとしている僕よりもぼーっとしていて、目もとろんとしていた。

その顔を見ていると、僕も自然と眠たくなってきてしまう。エルフィーと仲良くなれるよう試行錯誤するのは明日にするとしよう。

「今日はそろそろ寝ようか。エルフィーもお休みの時間だよ」

僕が声をかけてもふいっとそっぽを向くのに、綾子が抱っこすると嬉しそうに「わん!」と返事をする。僕はいよいよちょっぴり悲しくなってきた。福永に言ったら鼻を鳴らして笑われそうだが、顔には出なくても僕は案外ナイーブなのだ。


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その日の夜は、眠る綾子の横で本を開いてから寝た。選んだのはもちろん福永が貸してくれたもの。綾子が眩しくないように照明を絞って文字を追う。

半分も読めずに寝入ってしまったけれど、本はとても面白かった。さすが福永が勧めるだけある。

けれどもどうにも不思議だった。今の今まで忘れていたけど、僕は福永に「動物の飼い方」の本をリクエストした。だけど渡されたのは一冊の文庫本。いつも説明を放棄する福永のことだから、きっと察しろということだろう。のほほんの化身である僕には無理な話だ。

次の朝、僕は綾子の叫び声で飛び起きた。というよりも激しく揺さぶられて起きざるを得なかった。

「ねぇ、ニュース見て!」

悲鳴にも近いような声に、僕は寝起きのヨタヨタ歩きで無理矢理リビングへ向かった。身体がカチコチに固まっていたからストレッチしたいけど、綾子に怒られそうなのでお預けにする。

テレビに目を向けると、綾子のお気に入りのキャスターが出演するニュースにたくさんの動物たちが映っていた。犬や猫はもちろんのこと、ウサギやモルモット、亀や金魚に至るまで種類も様々。生き物の番組かと思ったが、何やら様子が違う。

「流行中のアンドロイドペットを利用した前代未聞の情報漏洩事件に対し、発売元の企業は本日の夕方未明から会見を開くと発表しています」

僕はぽかんとして、その場からうまく動けなかった。情報漏洩の四文字が頭の中を駆けずり回って、ようやく少しずつ理解する。どうやらアンドロイドたちの視覚情報から人々の生活データを吸い上げたものが、何らかの形で漏れてしまったらしいのだ。

ニュース解説を務める年配の男性が「SF小説にでもなりそうな話が、まさに現実になってしまいましたね」とどこか他人事のように言う。僕もそれをどこか他人事のように聞く。

綾子は泣きそうな顔で誰かと電話していた。内容から察するに、相手はエルフィーを預けた友人らしかった。携帯を握る手が震えていて、僕はその手をぎゅっと包み込みたくなった。綾子が怖いものに触れないように、そのまま丸めて閉まってしまいたい。

僕はリビングの隅でボールを咥えているエルフィーを見た。彼は変わらず僕とは目を合わせてくれないけど、昨日と同じに可愛らしく目をクリクリさせていた。この目が人々を混乱させているなんて、これっぽっちも想像ができない。

ニュースでは街の人の声が飛び交う。我先にと愛していたはずのペットたちを放り出し、躍起になって情報漏洩の詳細を尋ねる人々の波、波。心ない言葉が壊れた掃除機みたいに吐き出されているけど、僕の心の中心には一ミリも入ってくる気配がない。こんな時でも僕の真ん中はのほほんとしていて、凪いだ水面のように穏やかだ。僕の心が綾子に見えたら、ちょっとくらい怒られるかもしれない。

綾子の電話は終わらない。何度もエルフィーの名前が出てくるが、その声は悲痛でならない。

昨日のエルフィーと今日のエルフィー、一体何が違うというのだろう。骨型のおやつが好きで、ボールは千切れんばかりに全力で咥える、綾子ばかりに懐いて僕には見向きもしない、変わらないエルフィーなのに。

僕は手を差し伸べる。床に伏せたエルフィーは動かず、二つの瞳は僕を捉えない。だけど少しだけ寂しげに見えるその顔は彼がアンドロイドであるという事実と、確かな意思を感じさせる。

綾子の電話が終わった。彼女の目には涙が溜まって、溢れ出しそうになっている。

綾子が泣くと、なんだか全てが曇る気がした。僕も、この街も、エルフィーも。全部がぼやぼやと曖昧になって、境目がなくなったらどうしよう。

目の前のエルフィーに聞いた。

「エルフィー、君は綾子が好き?」

綾子、という言葉に反応したのか、エルフィーは初めて僕の目を見た。透き通ったビー玉のような目の奥には、きっと僕にはちっともわからないような複雑なシステムがあって、彼を形作っているんだろう。

そのシステムの中で僕とエルフィーは出会い、奇しくもまだ仲良くはなれていない。けれど、僕はエルフィーをこれっぽっちも嫌いにはなれなかった。

「それなら僕と同じだね」

すっと両手を伸ばしてエルフィーを抱き上げる。むくむくの毛玉が宙に浮き、その間抜けた姿にちょっと笑ってしまう。

後ろにいた綾子は目を丸くして驚いていた。涙もすっかり止まっている、良かった。

僕とエルフィー、綾子を好きなもの同士だ。きっとうまくやっていける。頬を寄せるとエルフィーからは温かな金属の匂いがした。


✳︎


「やっぱり犬っころを飼うことになったか」

福永は不満そうな顔で安心したように言った。僕が怒っていてものほほんとしているように、彼は嬉しい時もいつもしかめっ面だ。

日本中を駆け巡った情報漏洩事件から一週間、僕は月下美人にいた。前代未聞と言われてメディアも散々騒ぎ立てたが、結局は大したことなかったらしい。人間たちに生活はすっかりいつも通りだ。

しかし残念なことにそれを機にアンドロイドペットを手放した人も多く、金属のペットたちはあえなく居場所をなくしていった。ただひとつ救われたのは、以前から注目されていた「看板ペット」事業に、手放された動物たちが派遣されたため事態は収束に向かっているらしい。

もともと「本物」の代わりにアンドロイドペットを飼う人も多かったから、自分勝手に彼らを扱う人も少なくなかった。そう思えば、本当に愛してくれる人のもとにだけ彼らは残ったのかもしれない。

そしてなんと、福永が店主たる古書堂「月下美人」にも看板ペットがやってきた。僕が一週間ぶりに彼のもとを訪れると、すでに猫は我が物顔で福永の膝の上に収まっていたのだ。福永は丸くなって眠っている猫に「みーさん、ごめんよ」と断りながら僕をしかめっ面で迎えた。世の中は本当に何が起こるか分からない。

「うん、引き取ることになったよ。綾子の友達は女性の独り暮らしだからやっぱり怖いし、そんな気持ちじゃエルフィーにも悪いからって」

ニュースを見た朝、綾子はエルフィーの飼い主と話していた。彼女も泣いていたという。今すぐエルフィーを抱き締めたいのに、彼の目を「怖い」と思ってしまう自分もいる。それは当然のことだと僕も思う。僕が女の子なら飛び上がって逃げ出しているかもしれない。

だから代わりに、僕等がエルフィーと暮らすことになった。綾子の友人はアンドロイドペットの発売元が会見を始めた頃にやってきて、力一杯エルフィーに微笑んで「よろしくお願いします」と頭を下げて帰っていった。

「福永はこうなるって分かってたのか」

「そりゃあな。だからその本を貸してやったんだ」

貸しただけなんだから返せ、と催促する手に僕は単行本を手渡した。

「本屋をやっていると色々な情報が入ってくるもんなんだ。特に金属動物の話は前から週刊誌やゴシップ雑誌でいいネタだったから、いつか本物になるかもしれないと思っていた」

「それなら教えてくれたら良かったのに」

僕が口を尖らせて言うと、福永は少しだけ決まりの悪そうな顔をしている。彼のこんな顔を見るの二年に一度くらいだ。あとは大抵一国の王様みたいに踏ん反り返っている。

「お前があれだけ必死でいたならその犬っころ、綾子さんが気に入っているんだろう。彼女は優しい人だから、直接的な言い方は避けられるべきだと思ったんだ」

もごもごと口籠もりながらそう言って、福永はそっぽを向いてしまった。

福永が敬称をつける人は歴史的文豪と、綾子だけだ。彼はなぜだか出会った頃から綾子には恭しく頭を下げ、心を配っていた。僕のことは当然のように小馬鹿にするくせに。

福永曰く「綾子さんはお前のような朴念仁を聖母のごとく受け入れてくれる人だ。大切にしろ」と言うことらしい。

つまりは綾子が変に傷付かなくて済むよう、福永なりに遠回しな表現を選んでくれたのだ。結果的にはニュースで知るところとなってしまったが、なんとも福永らしいなぁと感心する。

高校時代、僕がクラスメイトから嫌がらせを受けていた時に助けてくれた、あの時の福永のままだ。ただ残念ながら当時の僕は「え、僕いじめられてたの」と言って彼を怒らせてしまい、結果的に手が出そうになる福永をクラスメイトが宥めてくれるという可笑しな最後になってしまったのだが。

僕にはもちろんお客さんにだって絶対に敬称をつけないけれど、大切な人や愛するペットにはとことん入れ込んでしまう福永が、僕は案外好きだった。

「それ、犬っころにお土産か」

「うん、そろそろ僕とも仲良くしてくれると良いんだけど」

短い足でコロコロと床を滑るエルフィー。彼が僕の方を向いてくれたのは、結局あの一回きりだった。けれど僕は諦めない。一足飛びに進化できない代わりに、諦めがとことん悪いのが僕のいいところなのだ。

帰り際に「みーさん」を撫でようとすると、福永に手で払われた。ついでに店で一番高価な動物図鑑を買わされそうになったので、大人しく退散する。これは仲良くなるのに時間がかかりそうだ。



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お読みいただきありがとうございました!

あとがきに続きます。



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