『大家の選挙』 春風亭㐂いち

今は民主主義の世の中だなんて云いまして…
「大家さん、なんか御用ですか?長屋のみんな集めましたけど」
「おぅおぅ、さぁみんなよく来たね。上がっておくれ。いや用ってのは他じゃないんだ」
「なんすか?」
「実は今度のにね、私、出ようと思ってるんだ」
「え、なんすか?」
「いや、だから出ようと思ってるんだよ」
「あぁ長屋を?」
「いや違うよ。私ン宅だよここは。いやだからね、今度の選挙に立候補しようと思ってるんだよ」
「へぇーー!大家さんが?立候補するんすか?」
「それでねぇ、選挙演説ってぇの聞いたことあるだろ?あれをね、みんなに手伝ってもらいたいんだよ」
「あーはいはい。分かりました、どんなことすりゃいいですか?なんかマイク持って喋るんすか?」
「いやそんな応援演説なんか頼みゃしないよ。車を運転したり、ビラを配ったり、そういった雑用をね手伝ってもらいたくてね」
「あぁ、なんだそんなことですか。あっしはね暇ですから、お安い御用ですよ」
「そうかぃそうかぃ、そりゃ助かるありがとう。お前さんはどうだい?」
「すみません大家さん、ちょいと仕事がここんところ溜まってましてね、カカァも働かねぇとうるせーんすよ、今回はちょっと…」
「いやいや、いいんだいいんだ。無理することはない。それじゃあ手伝ってくれんのは、お前さんがたかぃ?そうかぃありがとう。何?店賃が三つ溜まってる?負けといてやる負けといてやる」
「なんすか、それ!ならあっしだって手伝いますよ!」
「じゃあ、あっしも!」
「あっしも!」
「あっしも!」
なんてんで。
これから長屋連中でもって大家さんの選挙を手伝うことになりまして。
ポスターを作ったり旗を拵えたりと大忙しで。
もう長屋一帯が選挙事務所といった塩梅になりまして…
「オゥ!いいかぃ、今日中に片付けねぇと、明日なんだからね、演説は!パッパ、パッパと手ェ動かしておくれよ!」
「…オイ、熊公の野郎ヤケに張り切ってんじゃねぇかよ」
「あの野郎、店賃溜まってっかんな。大家が当選すりゃそれ全部チャラになるってっからよ、それでだろ」
「でもそういうのって違法なんじゃねぇのかね?」
「いいだろ別に。それぐらいみんなやってるよ」
「オゥ!そこオメェたち!口じゃないよ動かすのは、手だよ手!」
「やぁやぁ、みんなご苦労様だね」
「あ、どうも大家さん」
「いや~ようやく、明日の演説の原稿が出来上がってね。みんなにもちょいと見て貰いたいんだよ」
「あぁそうすっか、どれどれ。『私がこの長屋の大家に当選した暁には…』ん?大家さん、これなんすか?」
「なんですかって、私のマニフェストだよ」
「いやそらぁいいんすけど…え、大家さんこれなんの選挙なんですか?」
「なんのって大家の選挙だよ」
「大家の選挙?参議院じゃねぇんすか?」
「何を言ってるだよ、そんなの私が出れる訳ないじゃないか、この長屋の大家を決める選挙だよ。三年にいっぺんやってるだろ?」
「三年にいっぺん?そうなんすか!」
「あれ?知らなかったかぃ?あぁそうか、お前さんがたこの長屋に越してきてまだ三年たってなかったからね。この長屋ではね、三年ごとに選挙をして長屋の役職を決めてるんだよ。私が現職の大家です」
「え、じゃあ三年前は大家さんはこの長屋の大家じゃなかったんですか?」
「あぁ私は八っつあんだったんだよ」
「…え?あっち?どういうことですか?」
「いやだから三年前まで私がこの長屋の八っつあんだったんだよ」
「え、じゃああっちは…」
「だからお前さん現職の八っつあんじゃないか」
「現職の八?ちょっと待ってください、じゃああっちは?」
「お前さん現職の熊さんだろ?」
「じゃああっちは?」
「現職の徳さん」
「そうだったんすか?まるで自覚がなかったんですけどね…与太郎は?」
「あぁ与太郎は五期連続で『与太郎』に当選してるね」
「五期ですか」
「そう、ずーっと与太郎」
「糊やのバァさんは?」
「十五期当選してるね」
「ずっと糊やのバァさんですか」
「そうね、ずーっとバァさんだね。もう『糊やのバァさん』で45年になるかね」
「ハァ~吉田の隠居は?」
「あぁ吉田の隠居が前大家だったね。三年前の選挙で私に敗北してね。渋々、隠居になったんだよ」
「はぁーそうだったんすか。ちょっと待ってください。あっしが現職の八五郎ってのは誰が決めたんすか?」
「いや私だよ。私の独断で決めたんだ。大家だからね」
「そんなこと出来るんですか大家って」
「だって大家だからね」
「ハァ~そうなんすか。んで今回は他に誰が立候補してるんですか?」
「実はね、それがね私だけなんだよ」
「え!大家さんだけ?って事は…」
「まぁそういう事だね、次期大家も私が当選確実だね」
「ちょっと待ってくださいよ!冗談じゃねぇや、ずるいじゃねぇっすか、そんなの。だったらあっしだって大家に立候補しますよ!」
「じゃあ俺もだ!」
「俺もだ!」
「俺もだ!」
なんてんでね。長屋一同で大家に立候補することになりまして。翌る日の演説に備えて皆それぞれ帰っていきます。
「おぅ、来たね」
「来たよ。いよいよだね」
「あぁ俺がね今日ねビシッと決めてね大家になるからね」
「何を言ってんだ、オメェみてぇなのがなれるかってんだ、なぁ」
「へっ、オメェだってそうじゃねぇか、オメェに投票する奴なんかいやしねぇよ」
「な~にを言って…ん?そういうやこれ誰が投票すんだ?みんな立候補してんだろ?」
「いやなんでも与太郎だけ立候補してねぇみたいだから、あいつが投票するらしいぜ」
「え、与太郎?そ、それ一票?それで決めんの?大丈夫かよあいつで、えぇ?あ、いた。おぃ与太!与太郎!」
「ふっふっふっふ」
「んでぇ、今日オメェなんかいつもと形が違うな。んないい帯で、下駄だってそれオメェ鼻緒もいいやつだろ?どうしたんだよ?」
「ふふ、なんだか知らない、今朝からみんながあたいのうちに来てね、いいものを沢山くれるんだ」
「オィオィオィ、もう始まってるぞ!戦いが!」
ワーワー言っておりまして、そのうちに寺社奉行立ち会いのもと、演説が始まりまして。
「えぇ~私が現職の大家でございます。あたくしが次期大家に当選した暁には、今まで以上に恵まれない店子には手を差し伸べようと考えております。具体的な案としては与太郎さんの店賃免除、学費負担、その他諸々を長屋一同皆で支えあっていける、そんな長屋を作っていこうとじゃありませんか!強いては私が前々から公言しておりました法案『与太郎みい坊所帯案』を実現させたいと思っております!」
「オィ昨日のマニフェストと違うぞ!大家の野郎、与太郎に寄せて来やがったな!それになんだ、与太郎とみい坊が所帯を持つ?冗談じゃねぇや!オィみんなでなんか言ってやれ」
「うるせー!引っ込めー!しみったれ大家!」
「うるさーい!本日は私の応援に小間物屋の大旦那に来て頂いております。宜しくお願いを致します」
「どうも皆さま、お暑い中お集まり頂きまして。小間物屋の主人で御座います。本日は現職大家さんの応援で駆け付けた次第で御座います。大家さんには普段から大変にお世話になっておりまして、人柄も良く、おおらかで、懐が深い。もうこんな素晴らしい方はおりません。そして私が一番、大家さんを推す理由としてあるのが『与太郎みい坊所帯案』で御座います。ウチで働くみい坊はいつも与太郎のことを想い、恋い焦がれておりました。そんなみい坊の叶えてくれるのはここに立ってあられる大家さんだけで御座います。どうぞ大家さんに清き一票を!」
「あれ癒着だろ、絶対!」
「あぁそれでか!」
「何が?」
「いや昨日、小間物屋から泣きながらみぃちゃんが駆け出してったの見たんだよ」
「オィ冗談じゃねぇぞ!みいちゃん嫌がってんじゃねぇか!やめろ!こんな選挙は不毛だ!」
なんてんでね、大変な騒ぎで。
怒号が飛び交う中、それぞれ皆の演説が終わります。それからまもなく開票が行われまして。投票率なんと100%でございます。と言っても与太郎しかおりませんが。寺社奉行が投票箱の中から紙を取り上げまして…
「…えぇ〜では。次期大家は、、、小間物屋のみい坊!」
「えええええ!おぃ、みいちゃんが大家!?」
「どうなってんだよ!」
「…ちょっと、どうなってるんですか小間物屋さん?これは一体どういう事ですか?」
「いや私に聞かれたって分かりませんよ、そんな。そもそもウチのみい坊は立候補してたんですか?」
「おぃ、与太郎なんだってオメェみいちゃんに投票したんだよ?」
「ふふ、昨日ね、みいちゃんがあたいのうちに来てね、『ねぇ与太さん、明日アタシに投票してくれる?』ってねほっぺにチューしてくれたんだ。みいちゃんあたいにベタ惚れなんだって」
「……はぁ〜みい坊の野郎やりやがったな!」
「ふふ、これでみいちゃんはあたいのお嫁さん」
「何を言ってんだ、んなわけねぇだろ。そらぁお前、みい坊に担がれたんだよ」
「え?」
「担がれたってんだよ」
「あぁそれであたい、天にも昇る心持ちだ」

2019.7.13

来週は与いちです。

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