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ソウルフィルド・シャングリラ 第三章(4)

承前

 怒号と悲鳴、救命を求める叫びを圧して、また爆発が起こった。恐らく、先の爆発で倒壊した飲食店の燃料だろう。始末の悪いことに連なっていた屋台に次々と引火し、火災は短期間で劫火へと成長した。火と煙に巻かれて逃げ惑う群集。
 そんな叫喚を、現場から少し離れた廃ビルの屋上から眺める者がいた。
 屑代だ。
「いくらなんでも派手にやり過ぎだな、こりゃ。理生の奴は本気で後戻りする気はないということか」
 護留に対する口調とは打って変わった砕けた言葉遣いで独りごちる。
 一番破壊の痕が激しい爆心地に目を向けると、ちょうどフライヤーから二人――護留と悠理が出てくるところだった。
「はっはっ! 一丁前に手まで繋いで。男の子だねえ」
 楽しそうに呟く。
「――逃げ切れよ、雄哉」
 二人が西に向かって逃げるのを確認すると、屑代はALICEネット通信で部下たちに指示を出す。
・――こちらは屑代情報部長だ。特別巡邏隊と情報部警備課の人間は、市警軍の一般部隊や空宮の奴らを現場に近づけるな。うちの管轄だと言って全て突っぱねろ。手の空いている者は〝東〟方面を全力で捜索しろ。そちらに遺作とお姫さまが向かった――・
 了解の返事を待たずに通信を切ると、振り返る。
「で、お前は何の用な訳?」
 そこには、先ほど護留とすれ違った男――公社情報部のエージェントが立っていた。
「どうして、偽の情報を部隊に流したんですか屑代部長」
 質問に質問で返すなよ、と小さくぼやいて屑代は答える。
「そりゃ二人を逃がすために決まってるだろ。野暮なこと言わせんなよ恥ずかしい。お前こそ状況報告を俺に送らずに直接ここに来たってことは、理生から俺に注意しろとでも言われてたか? いや、理生じゃなくてもしかして空宮の方か?」
 男は黙ったまま前腕部のIGキネティック機構を展開させた。大口径のフルオートショットガンの剣呑な銃口が顔を覗かせる。つまりはそれが答えというわけだ。
「あ、それと俺もう部長じゃねえから。今さっき理生の野郎に辞表送りつけてやったからな」
 男が、発砲した。毎分300発近い速度で発射されるのは散弾ではなくスラグ弾だ。自動車すら数秒でスクラップにする弾丸の嵐。例え重度身体改造でも当たれば致命的だ。
 だが、
「なっ――!?」
 屑代の姿が、消えた。比喩ではなく、文字通りに。
 空宮にも密かに通じている男はそれを可能とする方法にすぐに気づく。
「――存在迷彩だと!? 発散技術が何故、」
 かつて100ヶ月戦争でも用いられ、技術的発散と共に人類史から消えたはずの技と術――発散技術は、ALICEネットのデータベースに辛うじて残っている物については天宮と空宮が100年掛けて復刻を試みて殆どが失敗している。存在迷彩もそのうちの一つだ。
「質問にはきちんと答えてやる。昔『ライラ』って計画で手に入れたんだよ。言っても分かんねえか」
 言葉と共に男の背後に存在焦点を合わせ再顕現した屑代は、腕から雷霆を浴びせかける。先程のテロの爆発に匹敵する轟音が響き、ビルが傾いだ。以前護留に用いた時と比べ10倍近い出力のそれは、男の身体の半分を瞬時に気化させ、残りの熱は分散主脳と副脳を舐め尽くした。
「っ……屑代……貴様――公社を……裏切っ……家族も、ただでは……」
「その『家族』を助けるためなんだよ。こちらも必死でな。まあでも公社裏切ってるのはお前もだからおあいこだよな?」
 同意を求めたが、男は既に事切れていた。屑代は大袈裟に肩を竦め、トルソーのようになった男の頭部を踏み抜く。いったい如何程の力が込められていたのか、ビルの屋上が陥没し、ついに建物そのものが崩れ始めた。 
「さて、退職金でも受け取りに行くかね」
 足にまとわりつく男の残骸を蹴り、その反動で高く飛ぶ。
 遅蒔きながら火災を検知した消防局が気象コントロールにより雨を降らせ始める。降り注ぐ滴は瞬く間に驟雨となり、祭りの場の混乱は広がった。
 そしてその時にはもう、屑代の姿はどこにも見当たらなかった。

     †

西暦2199年7月1日午後12時35分
澄崎市極東ブロック特別経済区域、占有第3小ブロック、天宮総合技術開発公社本社ビル

・――なるほど。分かりました。また何かありましたら連絡を――・
 爆破テロ発生後本社に戻り、報告を受け終えた理生は通信を切った。
 遺作――引瀬護留こと『Azrael-02』による天宮悠理暗殺計画は失敗。それに伴って、仮想人格消失によるユウリ開放も起こらず、『Azrael』同士の接触による止揚〈アウフヘーベン〉の発生も確認されなかった。
 また事件の最中に屑代情報部長が情報部エージェント一名を殺害。配下の部隊に偽の情報を指示して捜査を撹乱し、そのまま逃亡した。両『Azrael』シリーズとともに彼も未だ発見には至っていない。
 引瀬護留に関する情報に関しても、実際の情報と屑代が報告してきたものとの間には矛盾や改竄点が見られる。情報部の中央有機量子コンピュータには時限制のウイルスが仕掛けられていたのが発見され、現在治療行為のためにシステムを落としており種々の検証は不可能となっている。このハッキングも屑代の仕業とみて間違いないだろう。
「15年前から引瀬と同じく、屑代も裏切っていたというわけですか」
 引瀬博士がああも簡単に脱走できたのも、空宮が牽制を始めこちらが手を出せなくなってからようやく遺作が見つかったのも、これで納得できる。
 15年前――『プロジェクト・ライラ』失敗の日から、家族を捨て名を捨て自分の意志すら捨てたように天宮家に忠実に仕えてきたので重用していたが、結局こうなるわけだ。
「これで――『プロジェクト・ライラ』のメンバーも本当に解散ですね」
 だが、問題はない。ライラに代わる計画、真の都市と人類救済の術、『プロジェクト・アズライール』は最終段階に至っている。
 『Azrael』同士が一処に集まっているのならどうとでもなる。上手くいけばこちらが手を出すまでもなく事が成される可能性もあるが、万全を期すためにも捜索は続行すべきだろう。
 テロ発生後、市議会や空宮から矢のように報告の催促が入ってきているが全て無視している。彼らを考慮する必要は最早なくなった。
 プロジェクトが達成されれば、なにもかもが終わるからだ。
 彼らに提示していた『プロジェクト・アズライール』の内容は、全て資金やリソースを引き出すための虚偽だ。
 澄崎市中央ブロックと10万人の正規市民だけを残し、他を全て切り捨て新天地を築くなどという馬鹿げた妄想を今でも信じて疑っていないのだろう。
 このまま放置していても構わないのだが、今後こちらの動きの障害となる可能性もある。計画の達成は疑いようがないが、遅れればそれだけ苦しみが長くなる。となれば市警軍や市税局の手駒を用いて黙らせておいたほうがよかろう。
「悠灯さん――もう少しです。我々が、この街を救うまで……」
 市議会と空宮の最終対応に少しばかり――一週間程度の時間を取られる。その後にはこの澄崎に天宮を、理生を止められる人間は誰もいなくなる。
 更にその先――『天使』の再誕が成された暁には、この街から人間そのものがいなくなる。
 理生は窓に映った色なき景色を見遣る。
 澄崎市を塞ぐ忌々しい灰色の蓋。理生を、悠灯を、そして全市民をこの狭い世界に囚えている檻。あるいは技術発散の脅威から、人類を護り留めるための欺瞞の盾。壊すべき呪い。
 人々の意識と魂で編まれた知性の網、即ちALICEネットそのものを用いて張られた大規模事象結界に覆われた世界。市民全員の魂が存続を望む世界を。
 天宮理生は、飽くことなく眺め続けた。

    †

 何やら、外が騒がしい。何しろ今回は100周年記念祭だ。よっぽど派手にやっているのだろう。
 娘は、祭りを楽しんでいるだろうか?
 土産話が楽しみだ。あの子は食いしん坊だから、お姫様のことよりも屋台の食べ物の話ばかりになるかもしれない――その様を想像してクスクスと笑う。
 今日は近所の人たちの好意で介護を受け、体調も良い。そうだ、身体が動かせるから、あやとりの続きを教えてあげよう。一人で練習しているようだが、あやとりには二人で作るものもある。
 娘が大人になる姿を、恐らく自分は見届けて上げられないけれど。自分が生きた証をあの子の中に少しでも残してあげたい。
 母親は、娘の帰りを待ち続ける。
 いつまでも、待ち続ける。

(第四章へ続く)

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