“違うところ”より“同じところ”を
どうも。伊田錦です。
今日は、自分と他人の“違い”をどう捉えるのかというお話。
自分と他人は違う
ときに人は、他人に憧れる。
自分にないものを持っている。
自分にはできないことができる。
同じことをやっていても結果が全然違う。
あの人みたいになれたらなぁ。
自分なんて。
一方で。
ときに人は、他人に優越感を感じる。
あいつよりはできる。
あそこまで落ちぶれちゃいない。
俺のほうが優秀だ。
あいつにできるなら俺にもできる。
違いに“優劣”をつける
できる/できない。
知っている/知らない。
向いている/向いていない。
上手い/下手だ。
得意だ/苦手だ。
それらは、ただの違いでしかない。
のに。
人はそこに優劣をつけることがある。
① 自分は優れていて/相手は劣っている
② 自分は劣っていて/相手は優れている
①のパターンだと、人は相手を見下す。
できる自分が優れている。
できないあいつが劣っている。
そう思ってしまう。
そして、優れている自分は何をしても良い。
劣っているアイツは何をされても良い。
と間違った認識をしてしまう。
これは、いじりやイジメにつながる。
②のパターンは自分を卑下する。
あるいは、相手を神格化する。
常に、「自分なんて…」が付きまとい、思考や行動が制限される。
必要以上に、自分を否定する。
必要以上に、相手を肯定する。
行き過ぎれば。
憧れや尊敬が。
嫉妬や恨み、憎しみに変わる。
これも、トラブルや最悪の場合、事件につながる。
“違うところ”ではなく“同じところ”を
自分と他人が違うのは当たり前である。
その、自分と他人との違いを、“変だ!とか“おかしい!”と捉えるのではなく。
“違っていい。”
“違うからいい。”
と捉えられないだろうか。
違う部分を指摘する、責めるのではなく。
同じ部分を共有できるのではないか。
違うように見えても。
同じところはある。
その同じ部分を大切にできれば、違いなんか気にならない。
“違い”をおもしろがり、“同じ”をおもしろがれば、
もっと人付き合いは、おもしろがれる。
と思う。
おわりに
どうか。
“違い”に過敏にならず。
“同じ”を共有して。
お互いをおもしろがって、生活してほしい。
僕もそうありたい。
そんな人が増えれば。
では。また。いつか。
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