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ポンヌフの恋人の一年。

ーもしもし?
あぁ最近何度も電話をかけてごめん。
いや、今日学校行かなかったんだよ、睡眠薬抜けなくて、起き上がれなくて。
いや、心配することじゃない。最近睡眠が不安定なんだ。大丈夫だよ。まぁおかげで期末試験受けられなかったんだけど。それもまぁなんとかなると思うよ。

あぁなんで電話をかけたかだった。

まぁそれは単に君の夢を見た気がしたからなんだよ。どんな夢だったかは知らないし、本当に見たかって言われたらそれもわからないんだけど。

ポンヌフの恋人って映画知ってる?

あれさ、去年の8月1日に見たんだ。
その日は大学の友達と夜に花火する予定なんかあって、とりあえずいつも通りの夏休みだった。
まぁいつも通りの夏休みがいつぶりだったのかはわからないんだけど。

あれでさ、好きなセリフがあってさ、その晩に夢に見た人に朝起きれたら電話をかけられたらいいのに、みたいなセリフがあるんだ、ごめん正確にはわからないんだけど。

夢では昔の人ばっかり出てくるよ。もう会えなくなった人とかもう行けなくなった場所とか。
多分今の生活が僕の人生になるにはもう少し時間がかかるんだろうね。

でもやっぱり時々、いや、それにしては見る方かな、君の夢を見るよ、夢で君と何したかとかはわからないんだけど、なんとなく朝起きてさ、煙草吸って、世界が少しずつ鮮明になった時、あれ?なんの夢見てたっけ?ってなって、パンにジャムを塗ってコーヒードームがふっくら湧き上がって匂いが鼻に届いた時にさ、あぁ多分君の夢を見たんだろうなって、気づくんだ。

だからなんだって話だよね。

だからどうしたいとかはないよ。

大体おかしいよね、君のことを夢に見たって君に言ったら面倒なことが起こるの。だから世の中はおかしいんだと思うよ。

もっと素直になりたいよ、本当は。

ごめん、長く喋りすぎた。
電話代が高くなりすぎるとママンが良い顔をしないんだ。
まぁ、君の電話番号なんて知らないから、かけるふりばっかりで、電話代なんてかかんないんだけど、喋り疲れたよ。
そう、一人で反応もないのに喋り続けるのは疲れるんだ。
そんなことばっかりなんだけどね。

じゃあまた電話するよ。


2023年7月31日に世界が崩壊するらしいですね、と水道局の広告を僕の家のポストに入れながら男は言った。
男は汗だくで背広を着込んでいる、僕は煙草を吸いながらぼんやり男を見ていた。
男はポストに入れるその仕草を見られるのが気まずかったのか、そんなことを言った。
それもそのはずだ、僕の家のポストは要らない広告を避けるために、少し複雑な構造をしている。
男はめげずに蓋をこじ開けて広告を入れた。

2023年7月31日に世界が崩壊する。

誰がそんなことを言ったんですか?
ノストラダムスですよ、あの有名なやつ。
それって1999年の話じゃなくて?
いや、よく知らんのですけど、ブラックホールがなんとかって、聞いてないですか?
いや、知らないな、知っていても信じない。
そうですよね、お兄さんの年齢じゃ1999年は知らんだろうけど、あれは皆んななんとなく信じてましたよ。
そうですか。
怖いんでしょうな。終わることも、続いていくことも。信じられないんですよ、クソでも終わらないことが。
えぇ、まぁ。
じゃあ僕は急ぐんで。
お疲れ様です。

男は背広を着たまま袖口で汗を拭ってどこかに歩き去っていった。
7月31日まであと4日か、と僕は思う。
ちょうど生活費もなくなるし、別に構わないな、と思う。



海岸で拾った、押す波で洗い流した、その二枚貝の片側を、きみ、に渡したい、と思うけれど、まぁそんなのはとても力のいることだから、僕はこっそり引き出しにしまうか、どこかの二人組に渡してしまうのだろう。

朝焼けの海は綺麗だった。
誰にそれを伝えればいいのかはわからない。


ポンヌフの恋人を見てから一年で世界が終わるなら、それもまた良かった。
僕は存在しないポンヌフの恋人のことを考え続け、素麺のために茗荷と紫蘇を切り、相手のいない電話をかけ続けた。
このままどうしようもなく毎日が続いて、どうしようもなく誰かの夢を見続けることもわかっていた。

引き出しから二枚貝を取り出した。合わさるのは一対しかない、海で砂を流したから少し潮でベタついている、細波の音が聞こえたって良い。
耳を澄ましてみても聞こえるのはエアコンの唸りだけだった。

明日は一限だ、早く寝よう、夢は、知らないよ、睡眠薬を飲んで三年半経ったけれど、その間の夢にどんな意味があったのか、起きている間に何をしてきたのか、それは全くわからない。

だから、君が僕の衝動になってみせてよ。

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