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夏のサクラン、サクレ、似ている。

夏は、その熱で、身体が一枚膜を張っているような気がする。
外の暑さで溶けていく、部屋はエアコンの冷たさで身体が軋む、ずっと前からエアコンはカビの匂いがする、制汗剤を鼻で吸って喉が痛む。
バランス、が失われる。
だから、窓を開ける。蓋が外れかかった扇風機が呻いて軋む。
部屋を片付ける前に何か文章を書く。
あと数口だけのペットボトルが部屋の隅に並んでいる。その悪臭は蓋を開けずとも臭ってくるような気がする。
俺だって軋んでいる。



僕は、高校を卒業してからの二年間のことをよく考える。
あの頃の問題は何一つ解決されないまま、時間だけが過ぎて、自分の肉体のグロテスクや原罪意識にも慣れてしまって、種々の問題が生活の問題に置き換わって、それらを一個ずつ取り組んでいる内に楽になったような気分になっている。
大学に入って、社会に属して、まともな顔のふりをして、吐き気を我慢して、満員電車に乗り続けていたら、僕は次第に元気になっていってしまって、まともが当たり前みたいな顔をしている。
僕は平日の昼下がりだったか夜明け前だかの公園のベンチで見ていた時計を思い出して、過去を裏切り続けているような気がするのだけれど、その過去が現実なのか虚妄なのかも分からず、自分が生活を一本通して進めてきたのかも分からなくなっている。
だから、僕は最近あの頃に戻りたいのだと思う。側に絶望だとか生死だとかが寝そべっていて、何もやることもやれることも無くて、ちゃんと、あの時は、僕が僕として空虚なアメーバとして生きていた。
そして、あの頃の一々を思い返して、やはり、ちゃんと頭がおかしい人間だったのだと気づいて、じゃあそのおかしい頭で考えていたことは無意味だったのか、今も後から見れば狂っているのかもしれない、だからつい、考えるのをやめる。楽しくないことを考えるべきだ、なんておかしいし。
僕が僕の中で重視していた、僕を生かし続けてくれた十代のうちの何かは、二十代になって少しずつ失われていった。それを引き受けていくことも十分にわかっているつもりだし、凡庸な一人の大人として生きていくことも、それさえあれば、健康さえあれば、いいと思っていたのだけれど。

もう一度、失われたものについて考えて書くことはとても難しい。
それは何か、大きな意味を持つように人は考えてしまいがちだけれど、書くことに正当性があるのかも分からないし、面白いのかも分からない。
忘れてしまったことは忘れてもいいことなのだから。
それに、過去を無闇に掘り返して、複雑な記憶の断片を、一つの物語に脚色して、悦に浸る、と言うのは、人間の悪徳なのではないかと思う。

僕はずっと楽になりたかった。色々なことに疲れてしまった。自分とか人生とかには十分飽きていた。誰にも迷惑かけずに、後ろ指刺されずに、嫌われずに、そして、好かれずに、生きていければそれでよかった。
そういうふうに社会が回っていないということは十代の時は知らなかった。


高く、そして乾いている、初夏の昼下がりを僕は自転車で走っている。
誰かに、お前は間違っている、とすれ違いざまに言われた気がした。
僕は、その通りだ、と思いながら、下り坂を漕いでいる。
これが君の街に繋がっていて、僕がそこに向かっているのだとしたら、それがよかったのだけれど、僕の中に「君」なんて人は存在しないし、どこかの誰かにも「君」としての僕は存在していないだろう。
あてもなく自転車を漕ぐ、それだけは怖いから、コンビニで馬鹿げたジュースを買った。
僕は一生このままかもしれない、と思いながら、それもまた救いとやらなのかもしれない、とも思う。

もしもし? 「君」は夏が好きですか?
好き? なら、互いに勇気を出して、友達になれませんか?
あー、夏でどうかしてるや、こんなこと、パソコンに向かいながら、汗かいて一生懸命タイピングして、文法が間違ってたら推敲して。
どうせ、僕はつまらないままだけど、なんとか面白い話もするし、「君」の問題なんて一つも解決できやしないんだけど、それは「君」も僕に対してはそうなんだから、まあ、海にでも行ってサクレでも食べようや。

僕たちは分かり合えないまま、なんとなくの繋がりだけに縋りながら生きていて、社会は知らないけれど、地球は関係ないから回っていて、まあ、社会は地球があって成り立つからなんとかなっていて、僕がこの先どうしていようと、しばらくは僕も隣人も心臓は動いている。
別に孤独だっていいじゃない。そんなに満たされたいですか。
孤独でもがいている方が、生きる上では楽だと思いますよ。
それも十代までしか許されないか、はは。


暑い。薄い。溶ける。エアコンをつけよう。


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