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勝たないし抗わない話

一応健康が気になるお年頃のため、日々なんとなく、ぼんやりと、節制している(つもりだ)。(←この一文だけでもうどれほどあやふやで曖昧な、あんまり本気じゃない努力というのが伝わると思う。) 
タンパク質が取れるように豆腐とか納豆は常備しているし、なくなるとソワソワしてしまう。
お弁当に持って行くおにぎりはだいたい100グラムくらい。それ以上摂ると自分は座りながら寝る。
お酒は特別なときにはリミッター解除して飲んでいいけど、普段家で晩酌するときは、飲んでも2本、あるいは飲まない。

けど、どうしても時々無茶苦茶に食べたくなる時があるし、飲みたくなるときがある。
むしゃくしゃしたときとか、何か嬉しいことがあったとき、逆に悲しいときとかむなしいときも飲みたくなるし食べたくなる(ストレスを食品の摂取で解消するのはよくないらしいので止めた方がいいそうです)。あとは、家で映画を観ているときはお酒片手に、だし、その映画タイムが「晴れた日のお休み、洗濯も掃除も買い物も明日のお弁当の準備も全部終わって、お風呂も入ってあとは寝るだけ!」みたいな状態でお昼からお酒飲みながら映画観るのは、本当に、得も言われぬ喜びだ。

ただ、最近気になっていることがある。
家で映画を観ながら、あるいは何かしながらお酒を飲むと、確実に、以前より限界が早い。しかも、若干しんどい。
昼すぎに飲み始めたら日が暮れる前には頭が痛くなる、なのに飲んでいる量は数年前と比べたら半分くらいになっている。
食事を作りながら飲んでいたら、出来上がる頃には「…なんか…もういいかも…」という本末転倒な状態になっている(意地でも食べる)。
自分で言うのも何だが、鯨飲という表現がぴったりなほど飲むほうだ。ほうだった。
酩酊が楽しくて、それをキープしたくて、ひたすら目の前の瓶を空にするチャレンジを続けて、トイレに行きたくなるけどトイレに行ったら目が覚めるから戻ってきてすぐ飲んで、またトイレに行って、と繰り返して気づいたら空が白んでいる。
そういう、下手したらジャンキーになってしまうような酒の飲み方もしていたし、ただ静かに映画を観ながら、気に入ったグラスで舐め続けることもあった。

だがしかし、ここ最近の体の拒否反応である。
明らかに自分の認識と物理的な許容量に差が生まれている。
自分もとうとう大人の階段を上ってしまったのだろうか。わたしはまだシンデレラですか?(今思うとあれ何で音楽の教科書載ってたんだ?)

今までの状態がずっと続くとは思っていないし、何ならもう下降気味になっていくのみなのである程度覚悟はしていたが、それでもやっぱり実際に身に起こるとショックなものである。
そういえば最近は、以前のように炭水化物を抜いたところで痩せなくなったし(むしろ体調が悪くなる時もある)、顔は様々なアラが目立つようになってきた。
こないだなんて、色々スケジュールが狂って24時間近く食べ物を食べなかったら何もやる気はしないしずっと物悲しいし何をやっても「…どうせ意味ないし」ってネガティブになるという最悪のループにはまった。意図的にやったわけじゃないが、自分はオートファジーとやらは多分無理だと思う。
10年前は、まあそんな長時間食べなかったことがほぼなかったから比較しようがないが、多少お腹がすいたら作る、食べる、常に元気いっぱい!みたいな感じだったのでそういう些細な違いもあるかなどと想像する。

とにかく、勝てないのである。抵抗できない。加齢による体の変化に。
いや抗おうと思えばいくらでもやりようはあると思うのだが。ジムに金積むとか美容整形するとか。
けどなんというか、ある程度の、健康に生きられる程度の筋力など諸々はあると嬉しいが、自分が50歳を超えた時、「すっご~い!わか~い!20代の子と並んでも違和感な~い!」と言われたいかと思うと、それは言われたくない。
もちろん美しくはいたいし、健康でいたい。けど、止めようがない流れに逆らってまでではない。流れにあらがうのもいいと思う。一つの選択だ。ただ、自分は、こう、流れに逆らうよりはいい感じに流れに乗りたい。一生懸命クロールするより、時々激しかったりゆるやかだったりする流れに流される方が自分にとっては楽しそうだと思う。

昔観た映画の中で「神はなぜ最初に若さと美しさを与え、後からそれを奪うのか」というセリフがあった。それに対する答えは「若さと美しさはイコールではない」というものだった。
そう思う人は少ないのかもしれないし、綺麗ごとかもしれない。実際に若いとは言えない年齢の人で、美しいと言われる人は「年齢よりも【若く】見える」という意味での美しさなのかもしれない。
でも、自分一人くらいは、「若さと美しさはイコールではない」という考え方で生きててもいいよな、と思う。
年を取ったからこそ似合うものもある。ゴージャスなぶっとい金の指輪とか、祖母が仕立てた唐獅子模様の付け下げとか、それなりのオーラをまとえるようにならないと、貧相に見えるだろう(しかし祖母は何だってまあそんな柄を選んだのか。あんたカタギだろう)。
それに、自分がやりたいめちゃくちゃ派手な髪色や髪形だって、若いうちにやるのとまた違う趣があるだろう。
楽しいことが全くないわけではない。
むしろ自分で楽しいこと、楽しそうなことを予定しておかないと、きっとシケたツラのつまらない老人になってしまう、自分の性格とかを考えると。

年齢を重ねることに勝てるはずはない、みんな平等に年を取る。
できなくなること、悪い方に変わっていくことに抵抗しなくてもいい、できてたのは多分偶然だったから。

今、この時点の自分としては、年齢を重ねることにも、衰えを感じることにも、一年が一瞬で過ぎ去ることにも驚き、恐れ、悲しさを感じる。それでも、楽しいことを見つけて、楽しいのと楽しくないのとのバランスをとりつつそれなりに生きていければな、と思う。
そういう、心に移り行くよしなしごとの話だった。
ご査収ください。


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