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『バード・ボックス』五感で感じる繋がり vol.675

Youtubeなどでショートの動画が何回も回ってきていて気になっていた映画です。

あるものを見てしまうと自害をする衝動を抑えられなくなってしまうという映画。

人間がほとんどの情報を視覚からのものに頼っていると言いますが、それを遮断されるという恐怖。

この映画を見ての感想を書いていきます。

未曾有の異変に襲われ、人類の滅亡も迫る極限状態の中で、幼い命を守ろうとする主人公の決死の姿を描く。思いがけず子どもを身ごもったマロリーは、ある日突然訪れた世界の終焉と人類滅亡の危機に直面する。謎の異変が次々と起こる中、生き残るためにできることは、決して「それ」を見ないということだけ。幼い命を守るため、マロリーは目隠しをして逃避行に出る。

https://eiga.com/movie/90242/

見えない中で見える人たち

何かを見てしまうと自害に走ってしまう。

しかし、そんな世界でもなぜか不思議なことに、それを見たとしても死なず、どちらかというと崇拝しているような人たちもいます。

結局最後までその集団の謎は解けなかったのですが、なぜなのでしょうか。

生きてはいるもののどこか自分を持っていない感じ。

心を奪われてしまっているとはこういったことをいうのではないでしょうか。

しかし、それは幸せなのでしょうか、生きていると言えるのでしょうか。

確かに彼らは目隠しをする必要がありませんが、憑りつかれてしまっているようにも見えます。

本人たちには自覚がないからそれも幸せなのかもしれませんが、、、。

集団心理の洗脳か

この映画、現実味はないにしてもどこかあり得るのではないかなと感じてしまうポイントもあります。

例えば、集団心理の可能性も十分にあるからです。

生徒たちも同じ。

誰かが体調が悪くて休んだ。

それがインフルエンザだと、大した症状も出ていないのに急に体調が悪いように感じ始めて、早退する。

これと同じようなことで、何かしらのきっかけで何かを見てしまうと自害してしまうという強い思い込みが生んでしまった現象なのかもしれません。

だから、見てはいけないもの自体も人によってさまざまなのかもしれません。

目が見えないからこそ

そして何も見てはいけない目隠しをしている状況だからこそ、より誰かと誰かの感覚を信じる必要が出てきます。

船に乗って、救助を求めに行くときは、全員の感覚こそが最大の道しるべとなっていました。

私たちは知らず知らずのうちに、資格情報を最も優先させて普段過ごしていますが、実はもっとありふれた能力があるのかもしれません。

そして、視覚以上に心でつながる本当のつながりを求めているのかもしれません。

そんなことを感じた映画でした。

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