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なんだってできるのが管理職ではない vol.765

社会的立場が上の人が下の人に向かって、高圧的な態度を取るのがパワハラ。

以前まではそんな定義かと思っていました。

最近では下の世代から管理職に向けてのパワハラというのもあるらしいです。

なぜ、そんなことも知らないんですか?といった具合に。

このようなハラスメントが発生する背景には必ず何かしらの問題があるはずなのです。

今日はその管理職との関係やイメージについて書いていきます。


なんでこんなことも知らないんですか?

この言葉の背景にあるのは、「管理職はなんでも知っているもの」という思い込みではないでしょうか?

自分の知っていること程度のことなら、絶対に管理職も知っているはず。

こういった思い込みから、管理職の無知にがっかりしつい高圧的な態度をとってしまう。

私自身がそうです。

学校管理上、管理職であれば絶対に知っているであろう、そして少し調べればこんなこと分かるだろうということを管理職が知らないと、やり場のない憤りを感じるわけです。

そしてそれは、学校の体制への不安へとつながるわけです。

しかし、管理職も人間、そしてできる優秀な人材がなるとも限りません。

こと日本においては、年功序列社会であるために、年だけ重ねたすっからかんの親父が管理職になることだって十分にあります。

そう考えると、いちいち管理職に怒りを覚えるより、たかがこの程度の人物とたかを括った中で、偉そうな時にカウンターを喰らわすといった姿勢の方がよっぽどいいのかもしれません。

チームとしての学校

そもそもどうしてそんな考えに至りやすいのか。

これは学校という場所が、過去の通例のままトップダウンの形をとっているからではないでしょうか。

今のチームはリーダーはいたとしても、全員を引っ張っていくような先導者的役割をするリーダーは減っています。

どちらかというと、全員の輪を作りファシリテーション的な役割をしたリーダーが増えているわけです。

つまり、創造の過程がそもそもトップダウンから、変わりつつあるのに体勢が変わらないでいるからそこに違和感を覚えてしまうわけです。

本当のチームとは互いのウィークポイントを理解しあって補強し合うもの。

例えば、仕事をするのが遅い、忘れるといった人でも、何か日直のようにみんながやりたがらない仕事を引き受けてくれるというような先生もいるわけです。

この凸凹を埋め合わせることができるのが強いチームなのです。

管理職はなんでも知っているコントロールをする管理ではありません。

マネージメントする管理になっていく時代なのでしょう。

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