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ご縁を育み、人生を彫る | 小瀧勝平

福島県いわき市に暮らしています。以前、「いわきの地域包括ケアigoku(いごく)」というメディア的なプロジェクトを手掛けていた。部署も変わり、現在はそのプロジェクトには関わっていないが、今も「この人をigokuに紹介したい」というありがたいご連絡がくる。igokuに掲載する権限は今はないが、ステキな人/人生/思いに出会ってしまったら、もうどうしようもない。自分のnoteで少しでも届けていこうと思います。



いわきの医療や介護、福祉の動きを伝えるメディア「いわきの地域包括ケア igoku(いごく)」が、年に数回発行するフリーペーパー「紙のigoku」.最新号vol.13は、いわきの地域医療を特集した。

表紙は、いわきの医師不足の解決を優先課題に掲げる内田広之市長。趣味である剣の胴着に身を包み、正面を見据える。

フリーペーパーの表紙

この撮影をするのに道場を貸してくださったのが、「雄心舘」舘主の大谷賢二先生。ある日、大谷先生から連絡があった。

「イガリさん、是非ご紹介したい方がいるんです。いわきで大変著名な彫刻家の小瀧先生という方なんです」

こちらこそ、是非お会いしたいですと回答し、(ご高齢で体調を崩されていた小瀧先生のタイミングに合わせて、)、大谷先生とともに小瀧先生のご自宅にお伺いさせていただきました。

内田市長(左)と大谷館主


彫刻家-小瀧勝平

インタビューに入る前に、まずは彫刻家 小瀧勝平先生の作品や受賞歴のいくつかを皆さんと共有しておこう。

2009年 第41回日展特選『未知のちから』


国内最大、116年の歴史を持つ、日本で最も権威ある公募美術展である日展で、入選ではなく、特選を初めて果たした作品。

2年後の2011年、第43回日展でも『心のひかり』で特選を受賞している。

また、いわきに暮らす私たちにとっては、こちら2つの作品は見たことがあるはずだ。

一つは松が岡公園近くに設置されている天田愚庵、
もう一つはアリオスのある平中央公園に設置されている「ひびき」という、どちらもブロンズ像だ。


彫刻家としてだけでなく、後進の指導にも尽力するとともに、2014年には日本彫刻会展覧会の審査員を、また翌2015年からはいわき美術協会会長を務められている。

と、御年87歳を迎えられる、いわきを代表するスゴい彫刻家なのである。


彫刻をはじめた、仰天のきっかけとは?!

いわき市平にある閑静な住宅街に小瀧先生のご自宅はある。
一見すると普通の住宅のようだが、玄関まわりや庭に、大きな木材が積んであったり、彫刻などを牽引するのに使うのか、滑車のようなものも作業スペースらしきところに吊るされている。

ご挨拶して、リビングに通されると、ご夫婦揃って仲良くインタビューに応じてくださった。

−− 今日は貴重なお時間いただきありがとうございます。小瀧先生と彫刻についてを中心にお話をお伺いできればと思います。どうぞよろしくお願いします。では、早速、先生と彫刻の出会いについてお聞かせください。

小瀧 多分、25歳ぐらいの時だったと思います。役所に勤めていたんですが、ふとNHKのテレビ番組で、仏師の方が仏様を彫られているのを見て、大変感動したんです。それがきっかけです。

−− えっ?!テレビで観てですか?!

小瀧 はい、そうです。テレビで観た方は、松久朋琳という仏師の方で、いてもたってもいられず、アポ無しでその方の京都の工房へ直接訪ねて行きました。

−− 展開が急すぎますw

小瀧 「直接会いにいく」。振り返ると、これは私の人生で大事なことかもしれません。

話は前後しますが、私は(福島県)伊達市の霊山で育ちました。
父は私が生まれる前に船の事故で亡くなり、母は私を産んですぐ、盲腸で亡くなりました。なので、私は両親の顔を知らないんです。

それもあってか、松久先生の仏像を見て見て、とても感動しました。美術品というより、親の供養として、冥福を祈りたいという気持ちでした。

その思いを松久先生にお伝えし、弟子というか、指導を受けることを認められたのです。ただ、いわきと京都は離れていますので、年に何回かは京都を訪れ、あとは勧められた通信テキストや松久先生のお弟子さんで、水戸にいらしゃった小森先生の指導を仰ぎながら、彫刻の道を進んでいきました。

リビングに飾られている木彫


−− 全くの素人ですいません。小瀧先生の作品を見ますと、木彫りのものとブロンズ像とがあります。どちらが得意とか好みとか、それぞれの魅力のようなものを教えてください。

小瀧 木彫りの特徴は、なんといっても質感。素材や木目の美しさをどう活かすがポイントです。私は、クス、カヤ、ケヤキをよく材料としていました。白檀という大変貴重で高価なものも使ったことはあったんですが、、、

−− どうされました?なにかあったんですか、白檀に?

奥様 私が、そんな高価なものだと知らずに、使わなくなった端材と思って、捨てちゃったのよ(笑)。オホホホホホホw
値段を聞いて、ビックリ。すぐにゴミ箱の中を探して、見つかったからよかった。

いつもニコニコの素敵な奥様


小瀧 ブロンズの特徴は、「凛(りん)」として立つ緊張感のようなものですね。例えば、アリオスの平中央公園にある「ひびき」という作品は、「平和な音がいわきにも、世界にもひびきますように」という思いを込めて作りました。

−− 木彫とブロンズ、それぞれ何作品ぐらい制作されたんですか?

小瀧 木彫で約100作品、ブロンズで50作品ぐらいだと思います。

−− 例えばブロンズですと、一作品にかかる制作期間と費用はどれぐらいかかるんですか?

小瀧 人のサイズぐらいだと、最低で5ヶ月、長くて1年かかります。費用は、粘土や石膏などで50〜60万円ぐらいはかかります。
でも、木彫の方が難しいねぇ。木は二つとして同じものはない。それぞれの素材の持つ、木目をどう活かすべきかというのは、本当に難しいです。

−− なるほど。
木彫でもブロンズでも制作に時間を要しますが、これほどの作品数を制作できた秘訣はなんですか?

小瀧 実は、うちの奥さんは料理の先生なんですよ。このリビングで料理教室をしていたんです。だから、何を食べても本当においしいんです。役所から帰ってきて、奥さんの美味しい夕ご飯を食べたら、あとは、離れの工房で、夜ずっと制作していました。

内助の功と言うんでしょうか、奥さんには本当に感謝しています。感謝の気持ちでいっぱいです。

−− 小瀧先生の、言わば彫刻人生、たっぷり聞かせてもらいました。最後に、人生を振り返ってのメッセージをお願いします。

小瀧 本当に人との出会い、ご縁に感謝ですね。いきなり京都に訪ねて行った私に松久先生はきちんと向き合ってくださり、ご指導してくださいました。妻にも感謝です。そして、「オモト」を知るきっかけも出会いとご縁としか言いようがないし、、、

−− ??? オモト???
先生、今おっしゃられた「オモト」ってなんですか?

小瀧 えぇ、私は彫刻より先にまず「オモト」の世界にのめり込んだんですよ。

止めたICレコーダーのRECボタンをもう一度押して、取材ノートの次のページをめくった。


「オモト」という別世界

彫刻家、小瀧勝平の話を聞きに来たのだが、インタビュー最後の締めの一言から、予期せず“第二章”が幕を開けた。二幕目のタイトルは、「オモト」だ。

−− 小瀧先生、そもそも「オモト」ってなんですか?

小瀧 「オモト」っていうのは、漢字では「万年青」と書きます。徳川家康も愛した常緑性多年草で、長年にわたり品種改良がされてきた観賞植物です。

そう言って、小瀧先生は、自身が育て、受賞した「オモト」の本を見せてくれた。



小瀧 葉の形や斑の模様、大きさなどの組み合わせを愛で、面白がるんです。貴重なものや出来のいいものは、大変高額で取引されます。

−− 先ほど「オモト」を知るきっかけも人との出会いだと仰られていましたが、その出会いについて教えてください。

小瀧 役所勤めをしている若いときに、中塩(※地名)にある団地に住んでいました。2階に住んでいたんですが、1階に住んでいる品のいいおじさんが毎朝、鉢に入った植物を日当たりのいいところに出していたんです、何鉢も。

毎日のようにやっているものだから、気になって声をかけたんです。そのおじさんが日に当てて育てていたのが「オモト」だったんです。

東京からいわきに移り住んで来られた方でした。その人から「オモト」の話をいろいろ聞いているうちに、「今度、東京の展覧会に一緒に行こう」となり、その方から「オモト」を一鉢譲り受けて、自分でも育てはじめたんです。頂戴したオモトは、当時の私の給料と同じ2万円もするものでした。

−− 彫刻との出会い方とはこれまた違いますが、それにしても、なんていうご縁でしょう。住んでいる団地の1階に住んでいる方に声をかけたら、その方からいろいろ教えていただきながら、「オモト」の世界に入っていかれるだなんて。

小瀧 「オモト」を育てるのも、楽しみながら夢中でやっていたら、なんだか向いていたみたいで。「いわきの小瀧さんは、上手に育てる。(オモトの)株を増やすのも上手だ」となり、そのうち、全国から育ててくれという依頼が舞い込むようになり、希少な良いオモトがたくさん集まるようになりました。


全国から届いた当時の依頼手紙


なんと、彫刻家 小瀧勝平は、「オモト」の世界でも超有名な栽培家であった。


小瀧勝平的人生の極意とは?

−− 彫刻に、「オモト」。どちらもひょんな出会いとご縁から始められ、どちらの道も極められた小瀧先生、その極意といいますか、ヒントをお聞かせください。

小瀧 道を極めたとは思っていませんが、まずはすべての出会いとご縁に感謝です。彫刻の松久先生、オモトを教えてくださった方、そして私の制作活動を支えてくれた妻、すべての皆さんに感謝してもしきれません。

次に大事だなぁと思うのは、「誠実である」ということです。
教えを乞う側ですから当然ですが、私は誰とお話するときでも、お付き合いするときでも「誠実」であることを心がけていました。こちらが誠実であれば、皆さんもきちんと私に向きあってくださいます。

あとは、私の性分なのかもしれませんが、思い立ったら「直接会いに行ってみる」ということと、「コツコツとつくり続ける」ということでしょうか。

奥様 いやぁ、私は隣で見ていただけですけど、お父さんは本当に楽しみながらやっていたわよね。それも秘訣なんじゃないでしょうかね。
お父さんと一緒に暮らしてきて、オモトとの出会いや彫刻との出会い、それを楽しみながら、昼夜問わずつくり続けてきたのを間近で見てきて、「人生って、ほんとうに面白いなぁ」って、しみじみ思います。


人との出会いやご縁を大事にすること。
いつでも、誰に対しても誠実であること。
ネットに情報が溢れる時代だからこそ、直接会いに行くこと。
楽しみながら夢中になれるものがある喜び。

小瀧先生のお話を聞きながら、自分は彫刻家にもオモトの栽培家にもなれないが、それでも人生でとても大事なことをたくさん教わりました。

小瀧先生、奥様、そして紹介くださった大谷先生、どうもありがとうございました!


   

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