まあちゃんの半生記4

パパにはお兄さんがいて、パパとは正反対の頭の硬い人だった。

従兄弟のお兄ちゃんに、この間16年ぶりに会ったら「のぶさん(ぱぱ)には悩みがあるといつも相談してたし、しょっちゅう飲みに連れてってもらってた。かわいいお姉ちゃん紹介してもらったり(オイ)仕事もアドバイスされた通りにしたりするくらい慕ってたんだよ。すごくみんなに愛されてたしすごい尊敬してる。」って教えてくれた。

お手本通りじゃなくても人に愛を持って接するのはパパが教えてくれた。

きっとあのまま生きてがんばってたらいまは「会長!お疲れ様です!」っていわれてたかもしれないってばよ。パパ。

そんな毎日を送っていた小学校6年生のある日
わたしはゆっくり起きて学校に行く準備をしていた。パパは先に仕事に出ていた。
テーブルの上にはチラシの裏に
「朝ご飯は、フライパンの中にあるやつたべてねー!美味しいよん❤️」と
クスッと笑える絵が書いてある置き手紙が置いてあった。

そんなことはあんまりしないパパだったけど、クスッと笑って何気なくポイっとゴミ箱に捨ててご飯を食べて学校に行った。
それがパパからもらった最後の言葉だったのに。


授業中に「伊原さん、職員室に来て。」と呼び出された。

パパが倒れた。
意識がない。〇〇病院へ来いと。

学校を早退して病院に急いだ。

緊急手術室に向かうパパに駆け寄って「パパーーー!」と叫んで手を握った。一瞬目を開けた。わたしを見た。強く手を握り返した。

『パパは一回死んだけど生き返ったんだぞー』

パパは死ぬはずがない。わたしのスーパーマンだもん。

それから8時間ほどの手術をし、手術は成功した。
急いで手術室に駆け込むと胸を全部開かれた傷のあるパパが病室に横たわっていた。

なぜか意識が戻りません。あと尿が出ませんと医者に言われた。

病院の中でパパが意識を取り戻した時嬉しいように千羽鶴をお姉ちゃんと折っていた。お姉ちゃんは30個くらい折ったときにこんなので良くなるわけないと悟ったらしい。じっと意識が戻るのを待つしかなかったのだ。神に祈るしかなかった。

尿が出ないからかパパの顔は2倍くらいになっていた。
パパが死ぬはずない。とどこかで思っていたわたしはその光景を見て延命装置でギリギリ生きていることを察した。

でも絶対死ぬなんてありえないと思っていた。

「パパは2回死んだんだぞ〜!」
なんて大笑いしてるのを想像していた。楽観的でないといられなかったのかもしれない。

意識のないパパの隣で誕生日を迎えた。
誕生日だから、とこんな時に気を利かせて誰かが買ってきてくれたコンビニのケーキを泣きながらパパの横で少し食べた。しょっぱい味しかしない。

それからまもなくして心臓マッサージがはじまった。
パパー!
と叫ぶとパパは瞼をピクッとうごかして涙を流してた。
先生は意識ないはずなので痙攣か何かででてしまうんですと言っていたけど声は届いていたと思う。

まもなくして死んだ。
1月24日。わたしの誕生日の翌々日だった。

ママはパパが死んで霊安室にいる時やっと韓国から帰ってきた。
なんで居なかったの。
憎しみしかなかった。

それから覚えているのは病院から

パパの大動脈の血管が肥大しすぎていてみたことがない症例なので病院で遺体の解剖させてくださいって言われたことと

頑張って痛かった体をまた切り開けるなんて信じられないやだと大泣きして嫌がったこと。

あとはもう記憶がない。
気づいたらよくわからんうちに葬儀になっていた。

葬儀にはたくさんの人が来たけど誰が来たかも覚えてない。でもホントにたくさんの人がきてた。

ラッキーは家のパパの部屋にずっと居た。
なにかをわかっていたんだろう。仏壇の前の座布団の上に寝ていた。

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