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休職日記「リワークに通って、モヤモヤを受け入れながら生きる日々のこと」

 休職してもうすぐ5ヶ月になろうとしている、今年の1月から本格的にリワークに通うようになって、緩やかに人間関係の輪の中にまた戻りつつある。

 元々人付き合いは得意な方ではなく、数ヶ月休職したからといって性格が大きく変わることもないわけで、人付き合いが始まれば苦手な人も出てくる。朝起きてリワークに行くことが憂鬱な日もあるし、「ああこんな気持ちで出社していたな」と思い返すこともある。

 とは言えリワークは平日の9時半から15時半くらいまで、6時間程度の拘束なのだから、フルタイムで働いて、残業も月60時間前後、必死に働いていた頃とは比べ物にならないくらい気は楽だ。

 リワークでは色々な課題を与えられ、グループワークをこなす。上手くできる人もいれば、上手にできない人もいる。パソコン作業なんかは特に得手不得手がはっきりしていて、休職前の仕事でどんな作業をしていたか如実に現れる。まあ自分なんかは不得意な方だから、劣等感を感じたりもする。

 営業でチームリーダーを務めていたとか、管理職でそれなりのポジションで働いていたんだろう、と匂わせる人もいる。まあ色々だ。「仕事」に対する価値観も人それぞれで、早く復職して自分も立派に「仕事」ができるのだと証明したい。と鼻息荒く意気込んでいる人もいれば、休職期間を使い切ってこのままでは退職してしまうから渋々「復職するしかないんだよ」という人もいる。

 そうした人間関係の輪の中で、自分も今後どうなるかは分からないけれど、社会復帰に向けてあれこれ学んでいる。個人的にはそんなに「仕事」ができると証明したいとか、バリバリ働きたいとかは思ってなくて、ただ残りの人生を「生まれてよかったな、生きててよかったな」と感じながら終えたい、ってことぐらいだ。

 コミュニケーションスキルとかストレス対処法とか以外にも、タスク管理とかプレゼン資料のまとめ方、のようなビジネススキルを学ぶ機会がある。そういうワークは苦手なのだけど、とりあえず自分の目標は「嫌なことや苦手なことがあってもとりあえずそこにいて淡々とこなす」ということにしていて、むしろ苦手なワークがある方が自己観察にはよかったりもする。

 出されたワークがうまくできないと劣等感や、自己嫌悪、うまくこなしている人に対する嫉妬心がモヤモヤと心の中に湧いてくる。そこで「なんでこんなモヤモヤしなくてはならないんだ!不快だ!」と思うとドツボにハマってぐるぐる思考が始まる。他人と比べてあれこれ悩むのはどこでも一緒だ。

 でも、そんな感情に一喜一憂していたらとてもメンタルがもたない。社会復帰したとして、まだ2〜30年は仕事をすることになる。この期間をメンタルを保ったまま歩み続けなければならない、少し人より作業が遅いとか、パソコン作業や、タスク管理が苦手だとか、そんな瑣末なことをいちいち気にしてたらやってられない。

 だから、そうしたモヤモヤした感情が湧いてきたら、取り敢えず心の中にそっと置いておくことにしている「ああ、不快な気持ちなんだな、そこにいていいよ」と居場所を用意してあげる。特にコントロールしようとは思わない。できないし。そうすると、気づいたら自然に消えている。

 藪をくぐり抜けると、色んな枯れ草や、蜘蛛の巣が体に纏わりついてくるけれど、神経質にあれこれ気にしない。ああそういうもんだと思って進んでいく。そう考えると何もかもがどうでも良い気もしてきて「取り敢えず生きていればいいか」なんて達観したくもなる。でも振り返ると大切な思い出は点々とちゃんと残っていたりするもので、それなりに歩んできたのだな、と感慨に耽ったりする。

 そんな感じで、最近は自分の感情の揺れ動きを観察しながら日々を過ごしている。自慢じゃないが、まだまだ復職の自信はない。結局のところ、課題は人間関係で、苦手な人、嫌な人、自分と合わない人、を上手にいなせるようにならないと、どこへ行ってもうまくいかないのは目に見えている。でも、人との繋がりのがなければ孤独の中で寂しく生きていくしかないのだから、これは社会の中で生きるということの宿命でもあるわけだ。

 「宿命」なんて大仰な言葉を使ったけど、ずっと人間関係で悩み続けてきたように、これからも悩んでいくのだろう。でもそんな悩みを子連れ狼のように乳母車に乗せて、ゴロゴロ押しながらさすらうのも一興だな、そんなことを最近は考えている。

 

 

 


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