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初めての彼氏は、アメリカ人だった。


身長185cmの、腕がフライパン直径くらいあるマッチョで、すごぶるイケメン。夢のような相手だった。

私は当時、英単語を紡ぐ程度しか英語が話せなかった。だから、お互いのことを徐々に知り合っていって晴れてお付き合い…というよりは、なかば衝突事故のような引力で付き合い始めた。

英語でのコミュニケーションが満足にできないまま時は過ぎて、半年経った頃にはフラれてしまった。「次は仕事で中国に行かなければならない」というウソをつかれて。

初めてのお付き合いな上に、ドラマの主人公でしょうか?級の見た目、そしてFunnyな彼に、私はとことん夢中だった。だから、別れのときは、人に言えないようなずさんで面倒くさい女をやり切ってしまった。


今では、マンガみたいな貴重な経験だったー!とバンザイをして言えるが、別れた直後は、人生で1番辛かった。今まで生活の中心にいた彼が、突然私の人生から跡形もなく消えてしまった事実がどうしても消化できなくて、なにに対してもやる気がでない日々を3ヶ月ほど過ごしたていたら、なにかが吹っ切れて、トルコに行くことを決めていた。


・・・


トルコに行った。

1ヶ月だけマルタ島に語学留学をしていた時によっ友(死語)になったメンズトルコ人に「トルコ行こうと思うんだけどホテル勿体無いから泊めてくれる?」数年振りに連絡をしてみたら、「Okay!」と軽くお返事をいただけたので、彼の住むアンカラの実家に泊めてもらうことになった。


実家に泊めてもらった2週間、彼らから受け取った無償のやさしさは、日常ではなかなか味わうことのできない特別なものだった。

極東からきたどこの馬の骨かもわからない私を友だちに紹介し、ありったけの郷土料理を食べさせ、観光地やそうでないディープなところにも連れ出し、お互いのカルチャーについて存分に話をする機会を作ってくれた。

そして下世話な話、彼らは私に一切お金を出させなかった。特別裕福な家庭というわけではなかったのに。私をトリートするために食費や交通費も多くかかっただろうに。

見ず知らずの人間に対して、有限な時間とコストをかけてたくさんの機会を作り、優しさを向けられるのはどうしてなんだろう。優しさと思っているのはたぶん私だけで、彼らはさも当たり前の礼儀かのように自然だった。


この無償の優しさを飲み込むのに、時間がかかった。

彼らが日本にきたときは、同じ以上のことをぜったいにしてあげよう!そう思えたが、それはあくまで先に彼らから優しさを受け取ったあとの話だ。

もし、逆の立場で、見ず知らずのトルコ人が私の実家に泊まることになったら、ここまで快くおもてなしができたのだろうか。

それは、付け焼き刃で与えられる何かではない、こころの豊かさだった。相手に対して自然に最上のおもてなしが出来るスペースが、こころの中に育っているのだと思った。


・・・


肩書きもステータスも関係なく、その人の思考とだけ向き合ってコミュニケーションが取れるのは、旅の醍醐味だ。そして、日常から離れて身一つで取るコミュニケーションは、日常で培った自分を再確認する機会にもなる。


日常から離れて、トルコに行った私は無償の優しさを飲み込むスペースを培え切れていない、未熟な自分に気づくことができた。

トルコに行ったことは、人生を変えるような衝撃的な経験ではなかった。だけど、私の中に一生その温度が残り続ける、温かな経験であったことは間違いない。


ドラマのようなアメリカ人彼氏が嵐のように現れて、そして去っていってしまったことも、必然だったのかも。南無阿弥陀仏。

人と出会い、別れることには、いつのときにも学びがある。



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