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躁うつ病時代を生き抜く創作術7 毎日の「創作的排泄行為」を欠かさない


「創作的排泄行為」とわざわざ難しい漢字をタイトルに入れたんですが、要は「創作的うんち」ということです。

「うんち」なんていきなり汚い言葉を使ってしまいました。

みなさんは「うんち」という言葉にどんなイメージをお持ちですか?
どうですか?
まあ「毎日するもの」「生理現象」「え!なに急にうんちって!汚い!」ってイメージですよね。
はい。
僕もそう思います。

でも、実は創作はうんちなんです。
「どういうこと?なんで創作がうんちなの?」と思う方もいるかもしれませんが、まあ、聞いてください。
創作はうんちとはつまり、創作はうんちくらい毎日気軽にするものということなんですね。読者の皆さんも、毎日、食事をし、排泄していると思います。それは人間にとって、生きる上での必須の行為です。
実は創作も排泄行為と同じくらい人間にとって、生きる上で必要なことで、そして尊い行為なんです。
最近は「インプット」「アウトプット」なんて言葉もありますよね。
でも、この言葉って、どこか飲み込みづらい、というか、なんかハードルが高い感じがしませんか?

こう置き換えてみましょう。

インプット=栄養摂取
アウトプット=排泄

どうでしょう。
わかりやすくなりましたか?

つまり、栄養を摂取したら、僕らは排泄しないと生きていけないんです。
便秘の時ってしんどいですよね。一日中、お腹が張って、なんか体がるい。
やる気が出ない。
イライラする。
逆に栄養を取らずに、排泄だけし続けると、栄養失調になってしまう。当たり前のことですよね。
創作することもも、それと同じなんです。インプット=栄養を摂取したら、適切なバランスで、アウトプット=排泄を行なわなければ、僕たちは健康的な状態ではいられないんです。
僕は友人のデザイナーと、この一連の流れを「ウンチズム」と読んでいます。
ウンチイズムです。
栄養の摂取と排泄のバランスを保つことが、この躁うつ時代を生き抜くために、最も必要なことだと言っても過言ではないです。

僕らは「情報強制摂取時代」に生きている


今、僕らははインプット過多な状態です。
いつも手に握っているスマホをひらけば、瞬間的に山のような情報が脳に飛び込んできます。情報に晒され続けている。
SNS、動画、ニュースサイト…僕らはインプットすべき情報を、取捨選択できているようで、できていない。
僕ら個人に合わせてセグメントされた情報が、四六時中、僕らに「栄養摂取」させようとしてくる。
これはもう避けようがありません。
僕だって、気晴らしにYouTubeをひらけば、僕の年齢と性別に合わせた広告が大量に流れてくる。もう世界的に情報過多な時代なんです。
SNSをひらけば、他人の生活風景と人生が脳内に飛び込んでくる。
僕らは「情報強制摂取時代」に生きているんですね。
そしてこれはますます発展していくことでしょう。
映画→テレビ→パソコン→スマホと、デバイスはどんどん僕らの脳内に直接訴えかけるようになってきていますよね。どんどん脳みそに近い器官で情報を摂取するようになってきている。
これから、もっともっと僕ら「個人」に合わせた情報が、僕らの目の前を飛び交うことになると思います。

僕は攻殻機動隊というアニメが好きなのですが、

士郎正宗原作『攻殻機動隊』
僕は押井守監督版の映画が好きです。

あれって、電脳化された近未来が舞台なんですよね。僕は攻殻機動隊を高校生の時に見たのですが、その時は情報源の主流はテレビで、他人とつながるデバイスもまだガラケーでした。情報が今ほど、脳みそに近くない時代で、「いくら技術が発展しても、脳がコンピューターにつながるわけないじゃん」と思っていました。
でも、今のスマホとか、VRとかの発達速度を見てみると、攻殻機動隊の世界もあながちフィクションじゃないな、と。
というか、むしろ、現実が攻殻機動隊の世界に近づいてきているじゃないかと。
ちょっと恐怖しています。

話が長くなりましたが、情報との距離がどんどんどんどん近くなっているからこそ、適切な毎日の「排泄」が必要なんですね。情報の摂取速度に合わせて、どんどん、どんどん排泄=うんちをしていかなければ、情報摂取は追いつかなくなっていく。情報に晒され続けると、僕らは栄養過多になって、うつになります。
この情報摂取過多こそ、うつの一つの原因だったります。他人の情報は地獄です。
すぐにうつに導きます。
そうやって、僕らは知らず知らずのうちに他人の情報を摂取して、うつに導かれているのです。
ウンチズムで重要なのは、「排泄」することを難しく考えないことです。みなさんはうんちするときに「今日はどうやってうんちしようか・・・?うーむ」なんて考えますか?誰もそんなことしないですよね。
ぼっーっと目の前のドアの模様とかを眺めながら、スマホをいじりながら、うんちしているはずです。
そりゃそうですよ。
生まれた時からやっている行為なんですから。
つまりアウトプットも、それくらい気軽に行っていいはずなんです。
でも、なぜか、今はアウトプットすることが極端に難しい時代になっている。
いいものを創る”べき”、他人から褒められるものをつくる”べき”という”べき”思考が蔓延している。
でも、創作は、もっと気軽に行っていいはずなのです。

あなたは「無才」です。うんちするのに才能は必要ですか?赤ちゃんですらうんちをしていますよね。創作=うんちは、それぐらい気軽な行為として日常に組み込んでいいものなのです。
矛盾するようですが、「排泄」したものは、他人にどんどん見せていきましょう。実はうんちを見てもらうことが重要なのです。
誰か一人でもいい。
家族や友人、それが難しければSNSでもいいです。
SNSにアップする際には「いいね」の数は気にしないようにしましょう。
「いいね」はおまけです。
あなたがうんちしたおまけ程度なものです。
毎日、他人に見てもらいましょう。
そうすることで、自分の排泄行為を認められるようになるのです。
そして、他人からのリアクションは、はなから期待しない。他人への期待はうつのもとです。投げつけるだけでいいのです。
なにかしらのリアクションがあっただけで「やった。ラッキー!」くらいの感覚でいましょう。

誰かひとりのために「創る」


僕らがアウトプットを極端に難しくしてしまったのは、創作物を見せる他人の幅を広めてしまったせいなのです。
誰か一人でいいのです。
誰か一人に見せるために、創作を続けましょう。
継続していれば、他人の幅はどんどん広がっていきます。SNSの中の有象無象な、顔のない他人ではなく、しっかりと体温を持ったリアルな他人とのつながりとなっていきます。
躁うつ時代を生き抜くためには、他人に見てもらうことが生き抜く術なのです。
僕もパステル画を描いた時は、帰宅する妻に見せるためだけに描きました。
本当にそれだけです。
たったそれだけの動機が、個展の開催に広がったり、作品集を作ったり、自然と広がっていったんです。
今や僕のうんちを見てくれる人は何十人に増えました。
創作を続ける動機が少しづつ増えていったんです。
ですが、創作物ですぐに目標を持つのはまず、やめておきましょう。
目の前の排泄だけに集中するんです。
それがウンチズムです。
まずは、誰か一人でもいいので、自分のうんちを見てもらえる他人を見つけましょう。
創作することは、それ相応のエネルギーを必要とします。
そのエネルギー源となるのが、「他人に見せること」なのです。
他人の目が、創作に継続をもたらします。
ですが、たとえば何万人もの人に作品を見てもらおうとするのはやめましょう。
多すぎる他人の目は「うつのもと」です。
自分の周りの数人、せいぜい数百人を意識しましょう。

まずは、毎日作りつつ、自分が認める他人、作品を見てくれる、自分だけの編集者を見つけましょう。

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